第105話:黒蛇の涙(5)
イゼキエルはアイリスよりも一回り小柄だった。
衣装はアイリスと同じものを着ている。異なる点は仮面を身につけていないところで、外出時も素顔を曝している。
仮面を身につける慣習は、各聖女ごとに異なると言われているが、アイリスの失敗があったのでイゼキエルの代では身につけないようになったのかもしれない。
あくまで予想の範疇だがありえない話ではない。そして、これ自体は俺達にとってさほど重要な意味合いも持たない。
髪色は金色。腰まで届くほどの長い髪に、サイドはピンク色のリボンで纏めて胸元に寄せている。
容姿端麗の美しい女性と言える。
そして、右手には身の丈と同じ長さの杖を握っている。
蛇の彫刻が装飾として施されており、左右対称で杖に絡みついている。
「一週間ぶりでございますね、姫様。そちらの殿方が噂となってる魔導士の方ですか?」
「そうでございます」
イゼキエルは俺を一瞥し、ふたたびセフィリアさんに視線を戻す。
笑顔を浮かべているが、目つきは鋭く、内心では俺を警戒しているのがわかった。
「彼の名前は?」
「魔導士のロイドでございます」
「嗚呼、とても素敵なお名前ですね。彼はローランドの出身なのですか?」
「いえ、メルゼリアから来訪した者です。それより聖女様、私達の前に現れたということは、何か理由があっての事ですよね」
「ふふふ、姫様。あまり警戒なさらないで下さい」
「警戒してるのは私ではなく聖女様のように見受けられますが」
「ふふふ、たしかにそうかもしれません。私も、このタイミングで皆さんがローランドにやって来たことに大変驚いております。この際、遠回しにではなく率直に聞きましょう、姫様はお友達に私の秘密をどこまで説明なさいましたか?」
イゼキエルは笑顔のまま強い殺気を放つ。
内側から放出される強大な魔力量に、隣で話を聞いていた俺は内心驚いた。
アイリスの代わり程度の聖女と考えていたが、この魔力量は紛れもなく本物であり、運だけで勝ち取った仮初の地位ではない事が伝わってきた。
余計な事を考えたら殺す。
それが彼女の言葉からヒシヒシと伝わってきた。
一方、セフィリアさんはというと、イゼキエルの殺気に動じておらず平然とした口調で答える。
「ご安心ください、聖女様。彼らにはまだ何も話してませんよ」
「なぜ? 私を政治的に追い詰める事ができますよ?」
「このローランドに何の一切も興味がありませんので。今の私にとって大切なのはアイリス様のみ。聖女様が協力的な態度でアイリス様を解放なさるなら、我々は大人しくローランドから身を引きます。聖女様に対して何の悔恨も遺さない決断を下します」
「……ローランドから身を引く。その言葉に二言はありませんね」
「もちろんです。今後一切関わるつもりはありません。もし約束を破れば、その時は喜んで首を差し出しましょう」
「ふむ、承知しました。姫様の言葉を信じましょう。私も姫様とやり合うのはどうにか避けたいと思っておりましたので、そのお言葉を聞けて心から安心しました」
イゼキエルから殺気が消えた。
そして、自身の杖を抱きながら嬉しそうに喜んだ。
「聖女様。以前にも申しましたが、私がここにいるのは、ギースの陰謀に巻き込まれただけです。アイリス様も私を助けるために危険を冒してやってきただけで、聖女様の地位を脅かそうと考えているわけではございません。ミネルバの平穏に心から満足してるのに、どうして今更ローランドの土地を思い浮かべましょうか」
「たしかに姫様の仰る通りですね。では、私も姫様の覚悟を信じて、今すぐにでも人質のアイリスを解放しましょう。牢に拘束したままではお二人も気持ちが晴れないでしょうから」
「こちらこそ、我々の平穏を重んじ、ご寛大な決断をしてくださった聖女様の優しさに、感謝の念を想うばかりです」
セフィリアさんはそこまで話すと、優しく微笑んだ。
イゼキエルもニコリと作り笑みを返し、
うふふふふ、とお互いに笑いあった。
一分にも満たないやり取りだったが、お互いの要求が交錯しあう激しい一騎打ちだった。
どうやら相手側もセフィリアさんを敵に回すのは得策ではないと判断したようだ。
会話の中でチラッと出てきたイゼキエルの秘密だが、これがセフィリアさんの口から語られることは二度とないだろう。
どんな秘密なのか内心気になるが、今はイゼキエルの秘密よりもアイリスの安全が最重要だ。
アイリスが無事に解放されるなら俺も文句はない。
二人の会話が終わると、イゼキエルはセフィリアさんの要求を呑むために、アイリスのいる別館へと兵士を向かわせた。
それから数分後、三人の兵士に連れられたアイリスが別館より現れた。
手足には拘束具もなく、本当に自由の身になった事が伺えた。
「約束を順守するため、呪いの契約等もしていないのでご安心下さい」
「その言葉を聞いてよりいっそう安心しました」
アイリスが俺達に気づく。
不安そうだった少女の顔が一瞬驚きに満ちて、それから泣きそうな表情へと変わっていく。
「セフィリア!」
アイリスはその場から駆け出してセフィリアさんに抱き着いた。
待ち望んでいた友との再会に感極まり、アイリスは喜びの涙を見せている。
ワンワンと子供のように号泣し、セフィリアさんをギュッと抱きしめて離さない。
やはり、アイリスにとってセフィリアさんは特別な存在のようだ。
それを改めて感じながら俺は二人が再開した事を喜んだ。
それにしても俺、マジで空気だったな。
魔法ではセフィリアさんを補助できても、宮廷での権力闘争においては何の役にも立たない事がわかった自分なのであった。