第11話:アイリス
俺は聖女に対しては一般的な知識しか持ち合わせていないため、大聖女と聖女の違いなんて名称の違いでしかないのだが、どうやらアイリスは聖女の中でも最高ランクに位置する大聖女らしい。
大聖女の威光は凄まじく、本国の聖女でないにも関わらず目の前にいた全員を平伏させてしまった。
先程まで一番暴言を吐いていた男性剣士ですら地面に額を押しつけるようにして体を震わせている。
冒険者一同に関してはギルド長が一人ずつ顔面に右ストレートをぶち込んで無理やり土下座させたわけなんだが、ギルド長の必死さは充分伝わっているようで、目の前のアイリスがたいへん高貴な人物であることはよくよく肌で理解しているようだ。
このタイミングで、俺はある種のテンプレートじみた声かけを行った。
「アイリス様、あなた様はいったい何者なんですか?」
「悪党退治が趣味の、ただの旅好きの聖女でございますよ」
普通の聖女は悪党退治なんて物騒な言葉使わないと思うんだよね。こういう時には自身のことをちゃっかり聖女と名乗るあたり、やはり彼女は聖女という役割に対して誇りを持っていたのだろう。
実を言うと、アイリスも現状に対して満更ではない表情をしている。出会いの時点で完全に正義執行ウーマンだったのでヒーローごっこはもともと好きなのだろう。まあわからんでもない。
「申し訳ありません。大聖女アイリス様とも知らず、ギルドの者たちが度重なる無礼を働いた事を、彼らの代表としてここに深くお詫び申し上げます。この度はこの私を厳しく罰して下さい」
ギルド長は震えた声でアイリスにそう言った。
アイリスも真剣な表情に戻り、他を寄せ付けない厳格な口調で淡々と語り始めた。
「アナタは私の事を知っているようですが、以前どこかでお会いしましたか?」
「私は聖騎士なので朝の礼拝を日課としております。アイリス様にお会いしたのは二年前、護衛騎士の一人として派遣された時の事でございます。朝の礼拝の時に偶然、アイリス様とお会いしました」
「なるほど、アナタは敬虔な信徒なのですね」
アイリスは一呼吸おいて、さらに話を続ける。
「本来、監督であるアナタにも重い責任が及ぶところですが、秩序神エメロードは信仰深い信徒に対しては寛大な処置をなさいます。ゆえにアナタを罰することは致しません。アナタへの罪は許されました。
しかし、他者の心を明確に傷つけるような彼らの言動、事情を知らない我々に対しての横暴な振る舞いは決して見過ごすわけにはいきません。監督であるアナタが厳しく処罰して下さい」
「承知しました。オイ、お前たちは本日より全員Eランクに降格だ。初心に戻ってまた1からクエストやり直せ!」
「「「そ、そんなあああああああ!?」」」
冒険者たち全員が悲鳴をあげた。
「これでよろしいでしょうか、アイリス様」
「はい、それで構いません。その後の指導もよろしく頼みますよ」
「ギルド長として尽力致します」
ギルド長は深々と頭を下げた。
聖女裁判の感想だが、アイリスにしては随分と重い罰を与えたなと感じた。
アイリスの事だから、てっきり彼らの罪を許すものとばかり思っていた。
「優しくするばかりが彼らのためになるとは限りません。罰するべきところは厳しく罰しなければ彼らは決して反省しないでしょう。愛を与えるだけでなく、きちんと罰を与えることも秩序神エメロードの代行者としての責務と言えます」
聖女モードのアイリスからは厳粛さが伝わってくる。
「さて、彼らの処罰は終わりましたが、今度はロイド様の番です。今回の件はロイド様にも反省すべき点があります」
「え? 俺にもあるのか!?」
説教が俺の方にまで飛び火してきて驚いた。
俺の説教される理由か……。
なんだろう、心当たりしかない。今この場でタメ口で喋っているのも世間一般ではアウトだ。宗教色の強い王国ではその場で斬られてもおかしくない事をしている。
アイリスは微笑を浮かべながら近づいてくる。
「私に聖女の威光を使わせてしまったことです」
なるほど、そっちの意味か。
「私はすでに普通の女の子に戻っているんですから、当時の権力に頼るのは本来ダメなことなんですよ」
「悪かったよアイリス」
「いーえ、許しません。ロイド様に要求いたします。一生懸命がんばって聖女らしく振る舞った私の頭を撫でて下さい」
どうやら誰かに甘えたいらしい。
「アイリスはえらいえらい」
アイリスの頭をポンポンと押しながら優しく撫でる。
頭を撫でられている間、アイリスは眩しそうに目を細めている。
大聖女への表現としては不適切だが、まるで小動物を撫でているみたいだった。
「あ、あいつ、ギルド長すら頭を下げたあのお方の頭を撫でてやがる……!?」
「あの男は一体何者なんだ……? まさか大聖女をも超えるすごい人物なのか?」
いつの間にか俺の方まで神格化されている。
俺はただの素材採取率が40%の男だよ。
その後、ギルド長より念願の『地図』を手に入れて、俺はアイリスと二人でギルドをあとにした。
余談ではあるが、ギルド長が見かけたアイリスは他者を寄せ付けない冷たい雰囲気があったようで、今のような柔らかさは一切なかったようだ。
ただ地図を手に入れるだけでこんなに苦労するとは思わなかった。
なんの変哲もない普通の地図を眺めながらこれまでの苦労に思いを馳せる。
短い時間ではあったが濃密な時間だった。
チンピラ三人組に襲われたり、迷子になったり、愉快犯のせいで冒険者に因縁つけられたり。
今思えばしょうもない目にばかりあってるな。
でも、ルビーから指定された難しい素材を集めてきた時よりも何十倍もの達成感があった。
なぜだろう。
「ロイド様、今度はあの道を右に曲がるらしいですよ」
俺の右隣で楽しそうに地図を指差すアイリス。
子供のように無邪気にはしゃぐ仕草とその表情を見て、疑問に対するパズルのピースが埋まった気がした。
こうして嬉しく感じるのはきっと。
ゴールの先に誰かの「笑顔」があったからだと思う。
このままでは終われない。
出会ってまだ半日も経っていないが、いつの間にか俺はアイリスに心惹かれていた。
恋人になりたいとは少し違う感情。
恋人という言葉にはいまでも少しだけトラウマがある。
アイリスにとっての『特別な友達』になりたいという感情が今は合っている。
目的地の宿に到着するまでにアイリスの心に残るなにかを残したいと考えていた。
ゴールがあんな遠くに感じたのに今はゴールが近づいてくるにつれて名残惜しさを感じる。
「どうかしましたか?」
俺の様子に何かしら感じ取ったのか、アイリスの方から声をかけてきた。
「さっきのリベンジマッチをしたいなって考えてた」
アイリスに直接言葉として伝える。
「その言葉を先に言ってしまうと、私の期待値が高くなってしまいますよ? 聖女的な視点から見て90点以下はお説教です」
最低限の点数があまりにも高すぎる……!
アイリスに先手を打たれてしまった。これはなかなか手強い相手だ。
難易度が高いということは期待の裏返しでもあるので、これは頑張らないとという嬉しい気持ちになる。
「ゴールはもうすぐなのでちょっと早足で進みますね」
おい、この聖女いじわるすぎるだろ。
地図的な距離感から見てあと到着まで二分もない。
周囲を見回して何かヒントになるものがないかを探す。
すると、青く光っている《魔光石》が目にとまった。しばらく《魔光石》をジッと見つめてると、俺の脳裏にあるアイディアが思い浮んだ。
俺はすぐに肉体強化魔法の《グロウ》を発動する。
地面を蹴って屋根の上に飛び移り、辺りを見回してちょうどいい場所がないかを探す。
すると時計塔が目にとまる。時計の針は、もうすぐ朝を迎える時刻だ。
今からならギリギリ間に合いそうだな。
俺は屋根から飛び降りてアイリスに駆け寄る。
「おーいアイリス! ちょっと体に触ってもいいか?」
「別に構いませんけど、一体何をするおつもりですか?」
「ん。ちょっとな」
アイリスの背中に腕を回して、ひょいっとアイリスをお姫様抱っこした。
《グロウ》の効果が持続しているので今の彼女は羽根のように軽い。
「う、あひゃ!?」
突然のことでびっくりするアイリス。
顔も真っ赤になり、慌てふためく姿はとても新鮮だ。
「あわ、あわわ。ろ、ろろロイド様?」
「少しだけ目をつぶっていてくれないか?」
「は、はい……」
俺はアイリスにそうお願いする。するとアイリスは何も言わず、目をギュッとつぶってくれた。
それから俺はとある場所へと急いだ。
屋根の上を駆け抜けながら日の出よりも先に目的地に到着するために。
「もう目を開けていいぞアイリス」
目を開いたアイリスの視界を包み込んだものは青い光。
魔光石の青い光に包まれた街の夜景。
現在俺たちは時計塔の頂上にいる。
宿屋から見た街の景色が綺麗だったから、もっと高い位置にある時計塔の上から見たらもっと綺麗だろうなと思ってここを選んだ。
あとはアイリスが喜んでくれたら万々歳だな。
そして、アイリスの反応だが。
「空からみる街の景色ってこんなに綺麗なんですね。今まで知りませんでした」
失敗するかもという気持ちもちょっとばかりあったが、どうやら杞憂だったようだ。
アイリスはとても感動しており、口を開けたまま景色に見惚れている。
「ロイド様、合格ですよ」
聖女として合格点をくださった。
だが、俺が本当に見せたかったのはこれではなく、その先だ。
「いいや、まだだよアイリス。驚くのはまだ早い」
「え?」
料理人は良い素材を美味しい料理へと変えるのが仕事だ。
錬金術師は良い素材を素晴らしいアイテムへと変えるのが仕事だ。
じゃあ俺たち専属魔導士は、良い素材をさらに生かしてもらえるように『最高の舞台』を整えるのが仕事なんだと思う。
朝日が昇りつつあるようで、魔鉱石の色が朝日に反射して青色から銀色へと変化していく。
その銀色はまるで『アイリス』を表わしているようであった。
朝日に照らされた長い銀髪は光を束ねたように、よりいっそう輝きを増してゆく。
「合格点は超えてくれたか?」
改めて、俺はアイリスに尋ねる。
「ロイド様はいじわるな方ですね。もうとっくに超えていますよ、120点です」
120点嬉しい~。がんばった甲斐があった。
それにしても俺、よくここに連れてくる発想が咄嗟に思いついたな。
まあ、俺がそれだけすごい奴ってことか。いやー、まいったなー、できる男は違うなー。
と、鼻を高くしながら調子に乗っているとアイリスはさらに口を開く。
「一つだけ、点数には反映されない『減点ポイント』があります」
「え?」
この状況下で減点されるポイントなんてあるのだろうか。
「とても単純な答えです。私のために頑張りすぎて、さっきの地点よりも目的地が遠くなっていますよ」
言われてみればそうだった。
地図で確認するとフロルストリートがまーた遠くになってしまった。
あんなドヤ顔で宣言しておいて当初の目的を忘れるとかダサすぎるだろ。
肩をがっくりと落として落胆している俺を見て、アイリスは口に手をあてながらクスクスと楽しげに笑っている。
でも、まあいいか。
いまのアイリスは威光もなにも感じられない、他の誰でもない普通の少女に見える。
でも、そんなアイリスの姿が、俺には一番眩しく映った。
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