間章18:初級錬金術師の一時的な平穏
黒鴉と共に《アビスウォール》を脱出した私は、黒鴉が用意していた小舟に乗って、大陸側の港を目指している。
大陸側というのは、メルゼリア王国は海上を挟んで二つの領土を持っており、王都のあるメルゼリア島側、サウスライト地方のある大陸側に分けられる。
別にロイドのところに行きたいわけではないが、メルゼリア島側は陛下の監視の目が厳しいため、捕まらないためには大陸側を目指す必要がある。
現在、小舟には私と黒鴉の二人が乗っており、私がオールを動かして小舟を動かしている。
「アルケミア卿! もっと早くオールを動かすでごじゃる!」
「ご、ごめん。でも私が思っていたよりも重くて」
「言い訳はいいでごじゃる。アルケミア卿は錬金術もできない無能なんだから、もっと他のことで人の役に立つでごじゃる」
「うう、そこまで言わなくても……私も頑張っているのに……」
「そういう甘えた言葉を繰り返した結果が今の厳しい現実でごじゃる。文句言ってないでさっさとオールを動かせ!」
私は何も言い返す事ができず、黒鴉の要求通りに黙々とオールを動かした。
それから10分ほどが経過した。
雲一つない快晴の大空。太陽の日差しが陸地よりも辛い。
蒸し暑くて死にそうだ。
黒鴉に視線を向ける。
彼女も俯いたまま微動だにせず、呼びかけても反応が薄かった。
有名な殺し屋もこの暑さにはだいぶまいっているようだ。
季節は秋なので、8月よりはマシになっているはずだが、それを感じさせないほど今の状況は劣悪だった。
「あの、黒鴉さんに質問があるんですが」
「なに?」
「黒鴉さんってどうして殺し屋になろうと思ったんですか?」
「それ今説明する必要ある?」
「いえ、ないです。すいません」
「…………拙者の実家は、元々暗殺業を生業にしていた暗部の家系だったんでごじゃる。殺し屋としての生き方もそこで学んだ」
「へえ、そうだったんですね。黒鴉という名前もそこから?」
「いま人が喋っている途中ですよ? 黙っていてくれませんか?」
「あ、ごめんなさい……」
黒鴉は苛立ちながら丁寧口調でそう告げた。
丁寧口調が彼女の素の口調だと思うけど、普段がごじゃるごじゃる言ってるから、なかなか慣れない。
「ただ、10年前。故郷が戦争で滅んでしまったんでごじゃる。暗部も解体して、行き場を失って各地を転々としていると、盟主様の所でスカウトされたんでごじゃる」
「……」
「盟主様っていうのは、拙者が今がいま仕えている組織のトップのことで、拙者がこの世で一番尊敬している人物でごじゃる」
煉獄殺戮団は犯罪組織。
犯罪組織のトップなのに尊敬できる人物。
私にはよくわからない感性だ。
「アルケミア卿のような考えを持つ人も多いでごじゃる」
「ご、ごめん」
「いや、別に怒ってないでごじゃるよ。むしろアルケミア卿の考えのほうが世間一般でとらえれば正しいでごじゃる。ただ、拙者はこの生き方しか知らないし、今更ほかの生き方ができるとも思えない。たとえ人から間違っていると咎められても、今の自分を変えることはできないでごじゃる。私の力を理解して、認めてくれて、それを100パーセント生かしてくれる。だから拙者は盟主様のことを尊敬しているんでごじゃる」
黒鴉はそこまで淡々と話すと、私の目を真っすぐと見た。
今は仮面を被っているので彼女の表情はわからないが、真面目な表情をしているのは口調でわかった。
「私のように深淵に足を突っ込んでいないアルケミア卿は、まだ人生をやり直す事ができるはずなんです。自分でなんでもできるようになって、精神的に自信がつけば錬金術に拘らなくてもきっと幸せになれます。私はそう信じたい」
「黒鴉さん……」
「休憩タイムはもう終わりです。オールを漕ぐ作業に戻ってください」
「はい、わかりました」
「さっきより10倍の速度で漕ぐのでごじゃるよ!」
「じゅ、10倍は流石に無理だよ!」
「無理という言葉は嘘つきの言葉でごじゃる!」
命令する内容は同じだが、彼女の価値観がわかったおかげで、さっきよりも素直な気持ちで彼女の言葉を受け入れることができるようになった気がした。
仮面の奥の表情もどこか笑っているように感じた。
地獄の日差しも夕方になればだいぶ緩和して、過ごしやすい気温に近づいてきた。
空にもうっすらと星が見えてきた。
私は昨夜、方角を確認する際に必要な星座の一つを教えてもらった。
夜空に無数に浮かんでいる星の一つに赤みががった星があって、それがちょうど東側の方角を指し示しているそうだ。
奇遇なことに、その星の名称は《ルビステラ》。
私のルビーという名前とよく似ている。
自分の名前の語源は宝石のルビーから来ているとこれまで思っていたが、もしかすると、こっちの《ルビステラ》からも引用されているかもしれない。
あくまで私の予想でしかないが、もしそうだったらいいなと感じた。両親はすでに死んでいるのでそれを確かめる手段はないけど。
「そろそろ夕食にするでごじゃる」
黒鴉は小舟の上にパンを三個並べた。
ちなみにこのパンはアビスウォールからかっぱらってきたものらしい。
「ほい、たくさん食べるでごじゃる」
すると、黒鴉はパンを三個私に渡した。
「えっと……」
唐突に全部のパンを渡されたので私は困惑してしまう。
「拙者は魔族だから一週間くらい何も食べなくても問題ないでごじゃる。そういう訓練も長年受けてきているでごじゃる。拙者としては、アルケミア卿が動けなくなるほうが、もっと面倒でごじゃる」
「わ、わかりました」
私は黒鴉からパンを三つ貰う。
私の体調を考慮して三つあげたのは理解できるけど、さすがに全部食べるのは良心が痛む……。
私が躊躇していると、彼女は小さくため息を吐いた。
「…………いまアルケミア卿が右手に握ってる小さなパン。それをちょっとだけ貰うでごじゃる」
「!」
「はぁ……食べれるときに食べておかないとあとで後悔しますよ」
黒鴉はブツブツとぼやきながらパンを一つとって、それを半分に割ってモグモグと食べ始めた。
私はそれを眺めながらすごく嬉しい気持ちになった。
「相変わらずまっずいパンですね。よくこんなまずいパンを二週間も食べましたね」
「えへへっ、すごいでしょ」
「褒めてないっつーの。はぁ、美味しいお肉か、新鮮なお魚を食べたい」
「お魚なら海にたくさんいますよ」
「私はカナヅチなんです。一ミリも泳げないのでそれは不可能というものです」
「え、意外。殺し屋なのに……」
「殺し屋だから泳げるという勝手な想像はやめてください! 人には向き不向きというものがあるんです!」
黒鴉は立ち上がって早口でそう叫んだ。
すると、小舟の上ということもあり、黒鴉はバランスを崩しそうになった。
「あっ、ひゃあっ!?」
悲鳴を上げながら慌てて私にしがみつく。
あまりにも無様な動作で、殺し屋らしい部分は完全にゼロだった。
すごく可笑しかったので思わず笑いそうになってしまった。
仮面越しでは彼女が赤面してるのが反応でわかった。
さて、和やかなムードのまま時間が進んでいく。
船を操作するのは私だが、黒鴉も周囲を観察しながらモンスターが近づいて来たら短剣を投げて即座に処理してくれる。
こうして俯瞰して考えると、黒鴉が自分で船を運転しないのも頷ける。
モンスターの対応は、一歩間違えれば死につながる事を、黒鴉は私に改めて説明した。
こうやって間近でモンスターを見てみると、黒鴉が言っている意味もなんとなく理解できた。
黒鴉から色々とモンスターの特徴を学びながら、しばらく何事もなく時が過ぎていく。
異変が起こったのは深夜を過ぎた頃合い。
バリバリバリバリバリ……。
静かだった海に突然奇妙な音が聞こえ始めた。
その不気味な音は頭上から響いてくる。
見上げると、空間を切り開くような大きな裂け目が夜空にパックリと開いていた。
「な、なんですかあれ?」
「拙者に聞かれても困るでごじゃる」
黒鴉も困惑しており、私の質問に対しても何もわからないと首を振った。
しばらく裂け目を眺めていると、突然、世界の終わりのような赤い閃光が空から落ちてきた。
それは私たちの小舟のすぐ近くに着弾した。
ズドオオオオオオオオオオオオオオオオオオオン!
赤い閃光が視界を一瞬にして包み込んで、さらに私は背中を引っ張られるような風圧が襲い掛かってきた。
「アルケミア卿! いますぐ舟の手すりに掴まるでごじゃる!」
「え?」
黒鴉の叫び声が聞こえてきた。
が、反応が遅れた私は船から海上へとふるい落とされて海面へと転がるように落下する。
服が水分を吸って体全体が鉛のように重くなった。
今の状況もほとんど理解できず、ヤバいという感情だけが警告のように鳴り響いた。
さらに直後、今度は大きな荒波が私に襲い掛かってくる。
とっさに助けてと悲鳴を上げたが、轟音と波の音によって一瞬でかき消される。
何の抵抗もできずに私は海底へと引きずり込まれた。
必死で体を動かすが、それに反して海面がどんどんと遠ざかっていく。
(あっ、私はここで死ぬんだ)
なんとなくそう察してしまった。
意識も徐々に薄れていき、私の視界は暗闇へと暗転した。
次回の更新は6月25日の12:00になります。お昼頃に投稿します。




