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*****




 雄大な滝のたてる飛沫と陽光とによって生み出される虹を背に、アヴィシャ・ヴァイジャ・ジャヴァは書類を読んでいた。

 細かい模様が浮き上がるように細工をされた上に貝の内側にある真珠層を薄く剥ぎ砕いたものが貼り付けられた白い革製の壁紙は、要所要所が銀で彩色され、七色の光に染まり、尚且つ秘めやかな光を放っている。床に敷かれた白絹の絨毯もまた、技巧的な模様が施された見事なものだ。

 細やかな銀と真珠層の七色の輝きとが、一見すると白々と冷たい無機質な部屋をほんの少しだけ暖かく居心地の良いものへと変えている。

 そのはずであった。

 艶やかな照りを宿すこげ茶の執務机にそれまで見ていた書類を伏せて、ようやく顔を立ち尽くしたままの男に向けた。日に焼けた朴訥そうな年配の男が、帽子を胸元に押さえつけるようにして立っている。白いシャツにこげ茶のベスト、同色のジャケットとズボン、黒い革靴という身なりは、庶民にしてみればかなりめかし込んだものである。大公に謁見するために気を遣ったことがうかがえた。

「そ、その………」

 この部屋に通されてからの長い沈黙に、男は耐え切れず、汗を拭きながら口を開く。

 いたたまれない。

 椅子を勧められるとはもとより考えてはいなかった。しかし、この、自分たちの村をはじめ十を数えるだろう村々を荘園として直接支配する大公閣下がたった今自分に向けてきた栗色の双眸に、感情の欠片が込められていないことが、彼の全身に冷や汗をにじまさせるのだ。

 大公にとって、自分など路傍の石よりすら価値のない存在なのだと思い知らされる。

「モアン殿お控えください」

 静かな声に、モアンと呼ばれた男がはじかれたように震えた。

 自分が何をしたのか、処罰されてもおかしくない、礼を失した行動だったとくちびるをかみしめた。

 厳然たる上下関係からすれば、ただの一村の村長から許されもせずに大公に声をかけることなど、してはならないことなのだ。

 栗色の双眸の中、瞳孔がひたりと彼に据えられた。

 はじめて大公がそこになにがしかの感情を宿したことで、彼の背中が、ぞわりと逆毛立つ。

「デル村の長だったか」

 静かな声だった。

 しかし、それは大公の眼差しとも相まって、彼を怖気立たせるばかりだった。

「返答を」

 再び存在感を消していたアディルに促され、彼は震える声で諾と応えた。

「そうか。それで、陳情ということであったか」

 かすかに首を傾げる大公の動きにつれて、栗色の艶やかな髪がかすかに揺れた。

「は、はい」

 無様に震える全身を叱咤しながら、やはり滲み出す汗を拭い去る。

 目の前で大公が再び書類、彼が携えて来たそれを取り上げる。

「課税が過ぎるとあるが、我が荘園に課している税といえば、アグリアメタクシのみであろう」

 違ったか?

 大公領にある直轄の荘園の山にのみ生息するアグリアメタスソコリガの幼生のみからその絹糸は摂ることができる。

「ほかとは違い、税を一年に一度一品だけに決め、荘園側が合議の結果承知したのだったと記憶しているが」

 それが、重いと?

「見たところ、そなたの纏うシャツは絹であるようだ。村長の身なりはその村の生活状況に準拠すると思うのだが。違ったか」

「い、いえ、それは………」

 たちまち、シャツが重くなったような錯覚に襲われた。

「聞いた話によれば、そなたの宿泊する宿はアミランダだそうだが」

「そ、それをっ」

 なぜ知っているのかと、後頭部がぞわりと震える。ただの村長風情が泊まるには過ぎた宿だとは思ったが、アグリアメタクシを生産する荘園の長だという矜持から選んだ宿だった。それに、高級な宿とはいえ、その中での等級は真ん中よりも下ほどの宿だ。客層は商人、いって豪族からといったところだった。かろうじて背伸びをしてやっとの宿であったのだ。そう。そこよりも上になると、下級貴族からでなければ相手をすることはない。無理を押して泊まろうとすれば、兵士を呼ばれることになるだろう。

「アミランダに泊まることに文句を言うほど野暮ではないが、な。そなたは、我が荘園の長だ。なればその程度の宿に泊まることもできよう。………が、相応の場所というものがあるだろう。減税の陳情に来たものにふさわしい宿というものが、な」

 違うか?

 部屋を出ていたらしいアディルがトレイを捧げ持ち、大公の執務机に芳しい匂いの飲み物を供する。

 それで口を潤わせ、 「デル村にはアグリアの絹のみを規定の領納めてくるのならばよしと、してある。それで苦しいならば、いま少し生産体制を考え直すべきではないのか」

 陳情に来るよりも先に、することがあろう。

 そう断じる。

「し、しかし」

「そなた、もう少し説明をしようという気はないのか」

 私は、税を上げた覚えはない。

 天候もこれまでとなんら変わりはないと報告を受けている。

 これで、苦しいと言ってくるのであれば、体制自体に問題があるとしか考えられまい。

「ああ、そういえば………アディル」

「は」

 打てば響くとばかりに、アディルが一枚の布を大公に手渡した。

「これは、過日私が出かけた場所で贖ったものだが、そなたこれが何かわかるか」

 大公が手渡した布を、アディルがモアンの手に持たせた。

 スッと血の気が引く心地がした。

「アグリアの絹だと思のだが、その店の主は違うというのだ」

 よく似た別の絹だと---な。

 確かに、我が荘園で生産しているアグリアの絹よりはいささか質が落ちると感じるものの、それが王都とはいえ、服飾店に出回るというのは、困る。

 質が落ちるだけあって、安価でもあるらしい。

 あくまでもアグリアの絹に比べてではあるがな。

 これは、アグリアメタスソコリガの糸に普通の絹糸を混ぜて織られている。

「わかるか? これは、我が荘園のうちのいずれかが糸を横流ししているということに他ならない」

「早急に糸の出処を調べます」

 モアンが震える声でそう言った。




 アグリアの絹はその全てが税として納められていなければならない。

 このが国が成り立った折に、神々がそう定められた。

 今では、神官でさえも忘れている。

「これは、神々が混沌の神子に下しおかれたものなのだ」

 大公の表情に初めて感情が宿る。

 苦々しげに。

 忌まわしげに。

 悲しげに。

 王族も創世と終焉の巫女たちでさえ、本来であれば、身にまとうことはゆるされないものであるというのに。

 今、アグリアの絹を纏うことが許されるものは、トオルだけなのだ。

 混沌の神の暴虐をその身に受ける哀れな生贄の神子。

 その苦痛を癒すことができる唯一のもの。

 その本来の意義を平然と踏みにじった王侯や巫女たち。

 あまつさえ、公には無いこととされている混沌の神の神子に、それが渡されることはなくなって久しい。

 だというのに。

 その、無様な紛い物を手に、大公は、くちびるを噛みしめる。

 知った時の驚愕を、まざまざと思い出す。

 そうして、全ては遅きに逸したのだと。

 これさえあれば、渡されていれば、混沌の神子の苦しみは少しは癒されたはずなのだ。

 誰かの面影が大公の脳裏を過ぎり、いつしかトオルに取って代わられた。

「トオル………」

 哀れな、異界から攫われた、少年。

 哀れで、愛おしい、混沌の神子。

 昨日、その少年が混沌の神から受けた暴虐を思い出し、アヴィシャは、こみ上げてくる何かを必死で押し殺した。



「絶対に」

 トオルはその言葉の後に扉を閉ざした。

 絶対に見てくれるな---と。

 懇願してくるのはいつものことだった。

 声、否。悲鳴すら漏れ聞こえぬようにと。

 二重三重の防音結界を、トオルの望みのままに、アヴィシャは張り巡らせた。

 彼が望むのであれば、何であろうとかなえると決めていた。

 それは、混沌の神子総てに対する弔いとも償いとも思える感情の故だったろうか。

 あの愛しいふたりに対するものであったのか。

 それとも、ただ、トオルにだけのものなのか。

 アヴィシャにももはや、わからなくなっていた。


 生まれた時、側には双子の弟がいた。

 王家の双子。

 第一子となったアヴィシャは、ほんの少しだけジーヴァスよりも早くに生まれたという幸運に恵まれたのにすぎない。

 それを幸運と呼ぶのならば---だ。

 けれど、ジーヴァスは幸運だと思ったのだ。

 特に彼よりも高待遇だと考えたことはなかった。

 殊に仲が悪いと考えたこともなかった。

 それでも、彼は感じたのだろう。

 自分は兄であるアヴィシャの影にいると。

 彼のものをすべて欲しがった。

 同じものを---果ては、アヴィシャの手にするそのものを。

 兄だからといって、恵まれていると感じたことなどありはしなかった。

 次期国王として厳しく管理された毎日の中で、唯一の優しさであった許嫁をジーヴァスに奪われた時、王位継承権を手放した。

 癒しだと感じていた許嫁を、その実いささか重荷に感じていたという罪悪感が彼にはあった。だから、ジーヴァスが彼女を愛しているのなら、自分などと共にあるよりもよほど幸せになれるだろうと。



 自分は、ジーヴァスを見誤っていたのだ。



 そう。

 ジーヴァスはこれで満足するだろうと。

 兄である自分のものを欲しがることもなくなろうだろうと。

 それが間違いであったと知ったのは、

 ---モーリ。

 無為の日々を送る自分の前に現れたひとりの少女。

 彼女の存在のゆえだった。

 愛して、枕を交わした。

 たった一度。

 それは、未婚の男女の間ではあってはならないことではあったが、昂まりあった感情を若いふたりが抑えることは難しいことであったのだ。

 そうして。

 ふたたび、愛したものは奪われた。

 混沌の神子として選ばれた王族の代わりとして。

 未だ稚い、生まれたばかりの王子の身代わりとして。

 モーリが、彼の子を身ごもっていたことを知らせてきたのは、神殿の動向を探らせていた彼の配下だった。

 秘密裏に運ばれたそれは、しかし、弟には、王には、知られていたのだろう。

 でなければ、ありえない。

 そう。

 救い出すことのできなかったモーリ。

 彼女は、神子の役割を全うした。

 代わりに子を産むことを許されたのだ。そうでなければ、アヴィシャの子が生まれるはずがなかった。

 生まれた息子を手許で育てることを諦めたのは、弟の拘泥が未だに解消されていなかったことを思い知らされたからであった。

 アヴィシャの子だとジーヴァスが知れば、無事では済まないのではないか。

 だからこそ、アヴィシャはあえて、息子の養子先を聞かなかった。

 それでも。

 我が子である。

 一目でいい。

 あってみたかった。

 自分の決めたことではあったが。

 父だと名乗らなくてもいい。

 物陰からで構わない。

 姿も知りはしなかったが。

 会えば息子だとわかるに違いない。

 わからないはずがない。

 モーリがあの苦痛に満ちた日々の中、まさに命がけで残してくれた我が子である。

 募る思いをこらえることはできなかった。

 そうしてまた数年。

 探し当てた我が子は、大公家の荘園の一つで養われていた。

 しかし。

 探し出した我が子は、決して幸福な生活を送っているようには見えなかった。

 痩せた小柄なからだ。

 暗く沈んだまなざし。

 洗いざらして色あせた、からだに合わない着衣。

 荘園の生活は、領内の他の土地よりも豊かなはずだ。

 アグリアメタスソコリガの絹さえ全て納めていれば、他の生産物は全て収入にできるのだ。

 なぜ。

 孤児と嘲られ、養い親に酷使させられている。時には食事を抜かれ、鞭さえ使われることさえあった。発育不全の哀れなからだで、水くみをさせられている姿を見ることもあった。

 それが、荘園デルでのことだった。

 デルの長の下でのことだった。

 そんな我が子の姿を見て、アヴィシャはどれほど引き取りたいと思っただろう。

 お前は私の息子だと、そう言って、攫ってしまいたかったのだ。

 それでも、ためらいがあった。

 ないわけがない。

 大公という立場にありながら、実の弟である国王に悪意ある執着を持たれている身だ。

 そんな男の家に引き取って、息子が幸せになれるだなどと、どうして考えられるだろう。

 それでも。

 それでも。

 それでも。

 着衣の胸元を握りしめる。

 偶然を装って、少年に会った。

 こっそりと、少年がよく水くみに出かけている泉のほとりで。

 身分を隠して宿の場所を尋ねた。

 そうして三度だけ会話をした。

 四度目のその夜、空にふたつの月が昇る頃、アヴィシャは名も聞けぬままの我が子を待ちつづけた。

 こと自分のことに関しては狂気を帯びる弟の思考を読むことができず後手に回る羽目となる。それでも、我が子を守ろうと決意したというのに。

 後手に回った己をどうしようもなく意識した。

 国王が知らないはずがないのだ。

 自分ですら探し当てられたものを。

 ただの一度として、この手に抱くことはなかった。

 ただの一度として名を呼ぶことさえも。

 そうして、失った。

 デルの長に売られたのだと後で知った。

 王太子が生きている限り、誰かが犠牲になる。

 息子は偶然、犠牲に選ばれたのだ。

 そこに、王の意志があったのかどうか、アヴィシャは知らない。

 ただ、息子が王太子の身代わりとして、デルの長に売られたのだということを知ったのだ。


 許すものか。


 許さない。


 国王も。


 王太子も。


 神殿も。


 デルの長も。


 国民も。


 自分自身も。


 全てを許すものか。


 今もアヴィシャの心を炙りつづける怒りの炎が宿ったかのような赤い石が、ミュケイラの胸元で揺れている。

「どこから探りだしてきたものか」

 あれは、あの日。

 たった一度だけ抱き合ったあの次の朝、モーリに贈ったものだった。

 神殿に連れて行かれたあの後、あれがどうなったのか、彼は知らない。

「神殿も共犯なのか」

 なぜという疑問だけは考えるまでもない。

 あのふしだらな女は、王太子の許嫁となるために、自分の子だと認めさせるためだけに、あれをどこからか探し出してきたのにすぎない。




***** 




 怖気が走る。

 心の底から、恐怖が、こみ上げてくる。

 寒いのは、全身からにじむ汗のせいだろう。体温を奪ってゆく。

 夜である。

 優しい色彩に満たされた居心地のいい寝室に、その影が現れた。まるで、紙に落ちた墨の汚れのように。

 ふたつの月がこの世界の影に隠れた夜である。

 あらかじめ現れることがわかっていてすら、この恐怖を抑えることはできなかった。

 黒い触手が無数に生えた、まるで磯辺で見た記憶のあるイソギンチャクのようなその姿の神が、うねる触手の幾本かを彼に向かわせてくる。

 逃げはしない。

 逃げたところで、いずれ捕まるのだ。

 ベッドから降りてそれを待ち受ける。

 鋭い棘をまとった触手が、トオルの腕に絡みついた。

「っ」

 痛いとは、口にしない。

 しかし、噛み締め損ねた名残が口を突いて出る。

 途端、触手が離れた。

 まるで、トオルの悲鳴に怖じたかのように。

 それでも、神は、トオルに近づこうとするのをやめはしない。

 神の触手が触れた箇所には、深い傷跡が刻まれ、血を流す。

 それは、いつものことだった。

 やがて、神の全身の触手がまるでそれ自体意志あるもののようにうごめきを大きくしてゆく。

 その動きが、トオルの怖気を煽るのだ。

 いつもいつも。

 怖い。

 何度もなんども蹂躙を繰り返されつづけてきて、わかるものもある。

 うっすらとではあるが、決して、自分を傷つけることが神の本意などではないのだと。

 しかし、わかったからといって、どうなると言うのだろう。

 これから起こることも、これから自分が味わう苦痛も、変わることはないのだから。

 それくらいならばいっそのこと、そんなことなどわからなければよかった。

 トオルはそう思う。

 滲む涙の向こう側で、神がにじり寄ってくる。

 そのさまは、まるで牙を剥く野生動物に近づいてこようとする人間の行動のようにも見えて、より一層のこと、怖気が増すのだ。

 認識が違うのだと。

 おそらく---ではあるが。

 おそらく、混沌の神は単純にトオルのことを可愛がりたいと思っているのだ。

 その行為が、トオルを毎回傷つけ、苦しめ、殺してしまうということを、神であるからこそ重大には感じていないのにすぎない。なにせ、神子であるトオルは死んでもまた蘇るのだから。

 きっと、神子が怖がる理由も、泣き叫ぶ理油も、なにひとつ、神はわかっていないのに違いない。

 そうなのだろうと、思うのだ。

 ずるりと、鳥肌が立つような音を立てて、神が近寄ってくる。

 うねる触手が空気を震わせ、それが肌を掠る。それだけで、皮膚が切れる。

 痛い。

 けれど、できるだけ、悲鳴は咬み殺す。

 代わりのように、涙がたくさんこぼれ落ちるけれど、これは一晩の我慢なのだ。

「ぐっ」

 触手が全身を捕まえ、力を加えてくる。

 人間であれば、抱きしめる行為なのだろう。

 けれど、そこにあるのは、全身を棘で貫かれる苦痛だけだ。

 開いた口から、血が、溢れ出す。

 棘のいくつかが内臓に達したのだろう。

 大量のそれが綺麗な絨毯を汚してゆくのが、涙越しの視界に垣間見えた。

 そのままトオルの足から力が抜ける。トオルを抱きすくめる数多の触手にトオルの全体重がかかった。さして重くはないとはいえ少年一人分の体重である。力のかかる箇所の棘が深く一気に食い込んだ。

 喉の奥から、喘鳴がこぼれ落ちる。

 涙が、流れ落ち、新たな涙が眼球の前に盛り上がってくるたびに痙攣に連れて同じことが繰り返される。

 そんなことなど斟酌することのない神が、夜着の裾から新たな触手を伸ばしてゆく。他の触手よりすらいっそ禍々しい形状のそれの目的をトオルが知らないはずもないが、全身の痛みにそれどころではなかった。

 しかし。

 すぼまった箇所を割り開く性急な行為に、声になることのない悲鳴をあげて、のたうつ。動きに連れてなおさら傷が深くなってゆくことにすら思い至ることはない。内臓を傷つけられ体内から引き裂かれてゆくその痛みに、もういっそ一息にとトオルが思っていることさえも、知らないでいる。

 血の匂いが充満するその部屋で、トオルをえぐるその凶器が何度も引き抜かれては貫くことを繰り返す。

 硬くすぼまっていた淡い色彩のそこは暴かれた挙句その慎ましい姿を散らされ、暴虐の証にまみれていた。あと幾ばくもせずに文字通り引き裂かれるのだと、苦痛にのたうちながら、悲鳴をあげながら、その時を恐れずにはいられなかった。

 しかし、その夜は、何かが違っていた。

 遠慮会釈なく内臓を食い破るその凶器がトオルの胸に開いたあの黒い穴の真裏に達した時、それまでの痛みを凌駕する熱が解放されたのだ。

 ずるりともごぼりともわからない悍ましい音がして、トオルを貫く棘や触手が抜けてゆく。

 重い水音を立てて絨毯の上に倒れたトオルのからだには傷つけられた後は数多生々しく残されているものの、四肢は繋がっていた。

 光をなくした瞳が天井に向けられている。

 力なく仰臥するからだから白い湯気が立ち上る。

 そうして、どれくらい経ったのか。

 胸の穴だけを残して、トオルの傷跡が全て消え去った。元の生成り色の肌味を取り戻し、大きく震えた。

 腹が膨れ、すぐさま窄んだ。

 それが何度も繰り返され、やがて静かに窄んだままとなった。

 それらを見下ろしていた混沌の神がぐねりと大きくからだを捻った。

 それは、まるで全てが満足行くように運んだのを確認して喜んだかのように見えた。


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