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降らない雨はないのだから

作者: 桐谷 迅

 “止まない雨はない”


 その言葉が幻想に過ぎないということくらい、俺は知っている。


 人並寄せるスクランブル交差点、都心を縦横に分断して進む線路と列車、張り巡らされたアスファルトの上には鉄の塊が常に行き来している。

 そんな無数の影が交差する夕方過ぎの街、その端にある小さなアパートの小さなベランダから、一面を鉛色で覆い尽くされた空を見上げた。


「俺って、何がしたかったんだろう」


 もう忘れてしまったよ。


 そんな自問自答の末、言葉にもならぬ叫き声を(こら)えながら、煙草に火をつけた。

 肺一杯に充満させた煙を溜息と一緒に吐き出していく。一本分の煙に辛いことを、もう一本で苦しいことを、さらに取り出した一本で理不尽なことを、最後の一本で何もかもを吐き出していった。


 こんな毒とも変わらぬモノが理解()かっていても止められないだなんて、とうにニコチン中毒にでもなっているのだろうか。

 頭ではそう考えつつも新しい箱を開け、すぐに一本取り出し、(ふか)し始めた。


「ふぅー。……はぁ」


 柵に(もた)れ掛かり、携帯をポケットから取り出すと、着信履歴を消去する。

 理由は特にないのだが、こうでもしないと気になって仕方がないのだ。真面目なのか、取り憑かれているのかは自分では分からない。

 ただ、心に空いた穴を仕事することで埋めようとしていることくらいは分かっていた。


「……これでいいんだよな」


 呟きながら、目線を下ろして行った。

 足元だけが見えればいいのだ。僕はそれだけで十分生きていける。今でもそう思う。前を見れる人なんて、きっとごく僅か。過去を乗り越えて、選んだ未来へといける人なんて、きっと数えれる程しかいない。


 何度も壊れかけの心に言い聞かせた。


「……なぁ、美月(みつき)


 似合いもしない女性もののロケットを取り出すと、久々に蓋を開け、小さな写真を眺める。

 そこには、幼気ない笑顔で、堂々とピースサインを掲げる俺と、元気一杯の笑顔で、片手を俺の肩に回し、もう片手でピースサインをする女の子が写っていた。

 少し色の薄い黒髪ショートはとても印象的で、男勝りな性格は服装にも出ている。


 小学生の頃の写真だ。

 とても懐かしい。


 ……俺にとって、その言葉は相応しくなかった。


 彼女がこの世から消えてしまった日、このロケットを貰ったその日から、俺の時は止まってしまったのだから。

 何時だって、何れだけの時間が経とうとも、俺はその日に留まり続けているのだから。

 もう十五年も前の、雨の日に。




 学校近くの交差点。

 何の変哲もなく、見晴らしもいい交差点の歩道。

 「早く早く」なんて急かしながら渡る彼女の影。

 手には真っ赤な傘。背中にはもう小さくなってしまった真紅のランドセル。

 青く点灯していた信号灯。

 速度を落とすことなく右折してきた車。


 たった数瞬後には、彼女の影は視界から消えてしまい、残っていたのは傘とランドセルだけだった。




 脳裏に(よぎ)る思い出に目を向け、少しぼぅっとしていた時、ふと、鼻腔に刺す匂いがした。


「––––雨か。……そういや、もう梅雨だっけ」


 まだ半分も残っている煙草を灰皿に押し付け、ベランダ口に置いてある消臭スプレーを服全体に掛けると、洗濯物と一緒に部屋の中へと入る。

 その数分後には、土砂降りとも言える雨に見舞われた。


 至高の時間を邪魔された怒りに、深い溜息を一つ吐き出すと、タイミング良く携帯が鳴った。


「はい。もしもし、伊野沢(いのさわ)です。あ、お世話になっております。……はい。そちらの件に関しましては、私の方ではお答えし兼ねますので、担当のものに折り返しお電話をさせます。はい、申し訳ございません。失礼致します」


 通話を切るとすぐに、会社の番号を選択し、電話を掛ける。

 そして、誰もいないのにひたすら頭を下げ、「すみません」「申し訳御座いませんでした」の二言を幾度と並べた。


 電話が切れると、鬱な気分で外を眺める。


 止まない雨はない、と誰かが言ったそうだ。

 そんなのは所詮、前を向いて歩ける人の綺麗事でしかない。


 確かに、天気で言えば、降らない雨はないし、止まない雨はないだろう。

 だが、“雨”とはそれだけではない。人の心にも雨は降る。誰にだって降るのだ。そして、その雨は止まないこともあるのだから。



 街は熟睡し、冷え切った午前二時。

 鍵の閉まった窓。月明かりを纏うレース。散乱した書類。水滴落ちる蛇口。溢れたゴミ箱。(くら)く飽和した部屋。

 カーテンレールには随分と埃を被り、力無く吊るされているてるてる坊主があった。




 雨はまだ止まない。

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