第七話「かつての夢」
――部活。
そう、俺の青春には、部活が足りなかった。
中学、高校と部活動というものを一切やって来なかった俺は、部活というものに対して、なみなみならぬ憧れがあった。
厳しい運動部で、志を共にする仲間たちと真剣に全国を目指すもよし。ゆるい文化部で、気が合う仲間たちと日が暮れるまで部室で駄弁り倒すもよし。
どちらも青春の形であり、学生のときにしか経験できないものだ。
バイト先の高校生から、所属している部活の話を聞くたびに胸が締めつけられていた。
それは自慢だったり愚痴だったりしたけど……楽しかった思い出にしても、つらかった思い出にしても、それは将来の財産になる。
なにも持たない俺からしてみれば、眩しくてたまらなかった。
そんな、今さら望んでも手が届かないはずだった果実が――今ここにある。
* * *
放課後、俺は部活案内のパンフレットを手に、部室棟を歩いていた。
「部活に入れば自然と友達もできるだろうし、一石二鳥だな」
一人、うんうんと頷く。
二十七歳が部活……そう考えると若干の抵抗はあるが、この際だし、いいかげん年齢のことは忘れよう。
俺は今、ぴちぴちの十六歳なんだ。
はっちゃけていこう。
で、問題はどこの部活に入るか、だけど……。
「ここか、文芸部」
俺がひとまず見学先として選んだのは、文芸部だった。
……実を言うと、こんな俺にも夢があった。
他人が聞いたら笑うかもしれないが、小説家になることだ。
中学生のとき、クラスでイジメに遭って、家にひきこもっていた時期がある。おそらく人生で一番、読書にのめりこんだ時期だ。
現実世界に生きづらさを感じていた俺を、物語は救ってくれた。
だから俺も、人の心を動かすような物語を書いて、俺みたいに苦しんでいる人を、救ってあげたいと思った。
中学も高校も、あらゆる青春イベントを犠牲にして創作活動に没頭していた。
俺は作家になって大成するんだ、遊び惚けているお前らとは今に差がつくんだ……そう自分に言い聞かせて。
大学は、自宅から通える第一志望の学校には受からなかったが、脚本の勉強ができる学校に進学した。
結局、すぐに退学して、筆も折ってしまったけど……。
何度か新人賞にも応募したが、箸にも棒にもかからなかった。つまり、俺には人の心に響く物語が書けなかったのだ。
……考えてみれば当然だ。
ろくな人生経験を積んでいない俺に、面白いものが書けるはずがない。人間、インプットしたもの以上のことは、アウトプットできないのだ。
と、いうわけで。
読書と執筆は俺のほぼ唯一の趣味なので、まずは純粋に興味のあった文芸部を訪れたというわけだ。
前回の学校生活でも文芸部の存在は気になっていたんだけど、怖気づいて行けなかったんだよな。
「しかし、勢いでここまで来たはいいものの……」
目の前のドアには、『文藝部』というプレートが貼りつけられている。
閉め切られた部屋というのは、非常に入りづらい。
チキる。
めちゃくちゃ、チキる。
「……ええいっ、ここまできてビビッてどうする!」
どうせこの先、何度も同じような壁を乗り越えなきゃいけないんだ。
いちいち立ち止まってなんかいられない。
ぺしっと己の頬を張り、ドアを開けた。
「失礼しまーす……」
『文芸部』ということで、漠然と書斎みたいな部屋をイメージしていたが、長机とパイプ椅子が大部分を占拠する、簡素な内装だった。
もちろん本棚はあるし、それなりのラインナップは揃っているが、あまり『文芸部』という感じはしない。ただのフリースペースみたいな感じだ。
俺の入室に伴い、部屋でくつろいでいたらしい三人の部員の視線が、一気に集まってきた。
「あれ? お客さんかな?」
長机の前に座り、文庫本を読んでいた三つ編み眼鏡の女生徒が、ころりと首を傾げる。
「は、はい。あの、見学に来たんですけど……」
「あ、ホント!? どうぞどうぞ好きに見てって! ここ、すっごくいい部活だから!」
ほわほわとした笑みを浮かべ、歓迎の意を示してくれる。
「おいおい京子。『好きに見てって』とか言われても、新入生が困るだろ」
向かい側に座っていた男子生徒が苦言を呈する。優男風のイケメンで、理知的な雰囲気を漂わせている。
「いや、あの俺、新入生じゃなくて……」
「あ、二年生?」
二十七歳です。
……という言葉はもちろん呑み込んで、頷いてみせる。
「そうなのか。二年生からの入部って、ちょっと珍しいな」
「あー、まぁ……」
タイムリープしたのが高校二年生の肉体だからなぁ……俺だってできれば一年生から入部したかった。
「もちろん、二年生も歓迎だぞ。うちは来る者拒まずだからな」
「そうそう! 大歓迎! あ、私、三年の八重樫京子っていうの。ここの部長だよ」
三つ編み眼鏡の女の子がテンション高く名乗りを上げる。
三年生ってことは、先輩だな。
八重樫先輩、っと。
「キミは?」
「あ、八代弓弦です。二年二組です」
「よろしくね、ゆずっち!」
「ゆ、ゆず……?」
俺のあだ名だろうか。そんなふうに呼ばれたのは初めてだ。
ていうか、距離詰めるのはえーなー……。
「京子は初対面の相手もニックネームで呼ぶんだ。悪気はないから勘弁してやってくれ」
俺が気圧されていると、さっきの優男風の先輩――おそらく先輩だろう――が肩を竦めて苦笑を送ってきた。
「僕は三年の筑紫純一郎。いちおう、ここの副部長をやってる。まぁ、消去法でそうなっただけだけど」
おそらく、部員自体そんなに多くないのだろう。もしかしたら、三年生はこの二人しかいないのかもしれない。
「で、もう一人、僕の隣に座っているちんまいのが一年の水瀬だ」
「む。ちんまいとか言わないでくださいよぉ~」
それまでスマホに目を落として沈黙を守っていたツインテールの女生徒が、ぷくぅと頬を膨らませて抗議の声を上げる。
俺のほうへ向き直り、にこりと笑った。
「水瀬えみです~、よろしくです、八代センパイ♪」
あざといくらいの甘え声で言って、俺を上目遣いで見てくる。
「う、うん。よろしく」
八代先輩……か。いい響きだ。
そういえば俺、先輩や後輩というものを持ったことがなかったな。
「えみも今日、正式に入部したばかりなので、八代センパイが入ってくれるなら心強いです! 今のところ新入部員はえみだけだし……」
「水瀬は新歓期間からここに入り浸ってたからな」
神楽坂先生から入部届を配布されたときに初めて知ったのだが、先週は各部活動のオリエンテーションがあったらしい。おもに新入生を対象にしたものなので、二年生には軽くしかアナウンスがなかったのだろう。どうやら友達作りに気を取られて聞き逃していたみたいだ。
「あともう一人、二年生の部員がいるんだけど、今日は来ないみたいだな」
「じゃあ……部員は全部で四人ですか?」
「そうなる。弱小部活なんだ」
筑紫先輩はそう言って口の端を歪める。思っていた以上に小所帯みたいだ。
「この学校の決まりとして、最低でも部員が五人いないと部として認められないんだ。だから結構、ピンチだったりする」
「そ、それは大変ですね」
定員に満たなかった場合は同好会に格下げだろうか。そうなったら、この部室は取り上げられてしまいそうだ。
「ゆずっちが入ってくれたら五人になるから万事解決だよ!」
「そう結論を急ぐなって京子。まずは八代くんの話を聞こう」
「そうですよ~、えみも八代センパイのお話聞きたいです!」
お、なんか俺、人気者?
この人数に詰め寄られるのは初めてだから、ちょっと狼狽えてしまう。
……いやまぁ、是が非でも新入部員がほしいだけなんだろうけどさ。
三人に促され、俺は空いている椅子に腰を下ろす。
「文芸部に興味を持ってくれたってことは、本が好きなんだよね? 好きな作家さんとかいる?」
筑紫先輩に訊かれ、古い記憶を検索する。
「たくさんいますけど……たとえば、西野圭吾さんとか?」
昔から活動している無難な作家を挙げておく。
まだ発売していない本の話をしないように気をつけないとな。
「えっ、西野さん私も好きっ! ゆずっちはどの作品が一番好き!?」
「や、え、その……っ」
八重樫先輩が興奮気味に身を乗り出してくる。
この人、距離近いなぁ……!
「僕は『暴露』かな」
たじたじの俺に助け船を出すように、筑紫先輩が落ち着いた口調で西野作品を挙げる。
「えー、純ちゃん趣味わるぅー。あれすっごい後味微妙じゃんっ」
「それがいいんだろ」
「筑紫センパイはバッドエンド好きですからね~」
やいのやいのと西野作品について語り始める。
みんな、本当に物語が好きなんだろう。なんだかそれだけで、この人たちに好感を持ってしまう。
「ゆずっちはどう思う?」
「……あ、お、俺も『暴露』は好きですよ。同じ系統だと『破綻』とか」
「お、八代くん話がわかるね」
なんだろう、すごく居心地のいい空間だ。
こうやって趣味の話を人とするのは初めてだな……。
――それから日が暮れるまで、俺たちは本の話題で盛り上がった。
三日後。
俺は入部届を手に、職員室に向かっていた。
用紙に記入した部活の名前は『文芸部』だ。
あれから他の部活も見学してみたけど、いずれも文芸部ほどは心惹かれなかった。
もちろんバリバリの運動部にも興味はあったが、あまり厳しい部活だと、他に手が回らない可能性がある。
青春を満遍なく謳歌したい俺としては、高校生活が部活一辺倒になるのは避けたい。
そのへん、文芸部はかなりゆるい感じで都合がいい。出席に関しても強制じゃないし、気が向いたときにふらっと行けばいい。
活動内容に関しては年に一回、部誌を発行するだけだ。部員の自作短編小説を載せるらしい。
だからそのときには、俺も筆を握らなきゃいけないわけだけど……。
(不思議なもんだな)
俺が小説家という夢のために捧げた時間は――青春は――すべて無駄になった。
他のもっと潰しのきく職業だったり、他者と関わったりすることで自己の成長が促されるような目標だったら完全な無駄ともいえなかったのだが、いかんせんすべてが自分の中で完結していた。
いや、外の世界から逃げて、自己満足の世界で生きることを俺が選んでいた。
だから夢破れた後、俺にはなにも残らなかったんだ。
皮肉な話だ。
せっかく、その『無駄にした時間』を取り戻すチャンスを与えられたのに、俺はまた同じ世界に飛び込もうとしている。
(でも、向き合わないと――)
ふたたび小説家を目指すつもりは、今のところない。
だけど、過去を頭ごなしに否定するのは間違っているはずだ。
正直、『作家なんて目指さなきゃよかった』って思ったことは一度や二度じゃない。
その時間をもっと他のことに充ててれば自分は今こうなってないんじゃないか、って何度思ったかわからない。
けど、あのときの自分を忘れちゃいけない。
忘れてしまってはきっと成長は望めない。
全部受け入れたうえで、乗り越えなきゃいけないのだろう。
そうしてまた心から、物語を読んだり書いたりするのが好きだって言えるようになりたい。
(まぁ、そのうち気が向いたら、今のタイムリープ生活を綴ってみるのも悪くないかもな)
一人、ほくそ笑みながら歩いていると、前方で職員室のドアが開いた。
「――失礼しました」
御川だ。
綺麗なお辞儀をして、職員室を後にする。
俺と同じで、先生に用事があったらしい。
「……御川も入部届か?」
なんとか、自然に話しかけられた。
一日とはいえ文芸部で人に揉まれたことで、心の強度が上がっているのかもしれない。
御川は俺の姿を認めると、ふんと鼻を鳴らして髪をかきあげた。
「いいえ。私はもう部活に入っているもの」
「へえ、何部なんだ?」
「あなたには関係ないことよ」
相変わらず、取りつく島もない女だ。
「八代くんはどこに入部するの?」
「どこだと思う?」
「さようなら」
話は終わりね、とばかりに手を振って立ち去ろうとする。
……えー! ちょっと会話を楽しもうとしただけじゃん!?
「待て待て待て! 悪かった。文芸部だ」
「……はい?」
あわてて部活名を告げると、御川は俺を振り返って固まった。
「ごめんなさい。よく聞こえなかったわ。何部と言ったの?」
「文芸部」
もう一度、はっきり言ってやると、御川はこれでもかというくらいに顔をしかめた。
「……そう。よろしくね」
それだけ言って、今度こそ立ち去っていく。
「……よろしく?」
……まさか。
文芸部の最後の一人って、あいつなの!?