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第二十八話「青春を生きる」

「な、なにキレてんだよ」


 茅ヶ崎に反撃されたことがよっぽど意外だったのか、小野寺はたじろいだ様子を見せる。


 かくいう俺も、茅ヶ崎の剣幕に内心驚いていた。他のクラスメイトたちも同じらしく、みんな固唾を飲んで事の成り行きを見守っている。


「あたし、ずっと我慢してた。花蓮たちが自分で気づいてくれるのを待ってた。……でも、もう我慢の限界だよ」

「なに言ってんの? あんた」


 小野寺が苛立たしげに茅ヶ崎を睨む。茅ヶ崎はその目をまっすぐに見返して、まっすぐな言葉を投げ込む。


「花蓮――もう幼稚な真似はやめよう?」

「……っ!」


 小野寺はぎりっと歯を食いしばると、茅ヶ崎に殴りかからんばかりの勢いで詰め寄り、その胸ぐらを掴んだ。


「その正義面がムカつくんだっつーの! アタシだって、あんたがすぐ謝ってきてくれれば、こんな……!」


 怒りの形相の中に、物悲しい色を見つける。

 いつかも聞いた言葉。


 もしかしたら小野寺は、仲直りの方法を知らなかっただけなのかもしれない。感情表現の仕方を間違っただけなのかもしれない。

 だとしても、小野寺がやったことは決してなかったことにはならないが。


「正義面? あたしはいつも、自分が正しいと思うことをしているだけ」


 茅ヶ崎は、自分より身長が大きい小野寺に胸ぐらを掴まれても怯えた様子はない。


「花蓮はどう? ――花蓮こそ、強がってない?」


 茅ヶ崎の言葉に、小野寺は一瞬、虚を突かれたような顔をする。

 岡井や富永のような取り巻きに囲まれ、自分を強くみせるように周りを攻撃していた小野寺。

 そうしないと自分という人間の価値を守れないし、下手をすれば『狩る側』から『狩られる側』に回ってしまうから。


「この……っ! 言わせておけば――っ!!」


 思い当たる節があったのだろう。小野寺はカッと激情し、右手を振りかぶった。


「っ、やめろっ!」


 止めようとしたが、もはや間に合わない。茅ヶ崎は目をぎゅっとつむり、来るべき衝撃にそなえる。


「――そこまでよ」


 ――パシン!


 乾いた音が鳴る。


 それは小野寺が茅ヶ崎の頬に平手打ちした音――ではなく、御川が直前で小野寺の腕を掴んで暴行を止めた音だった。


「なっ……!?」


 小野寺はぎょっとしたように御川を見て、ばっと距離を取る。クラスの異端児的なポジションの御川が干渉してくるなんて、思ってもみなかったのだろう。その動揺は察するに余りある。


「図星を突かれただけで逆上するなんて、みっともないわね」


 御川は場の緊張を感じさせない優雅な動作で、つややかな黒髪をかきあげる。自己紹介のときもそうだったが、圧倒的な存在感だ。堂々と立っているだけで周りは呑まれてしまう。


「はぁ!? か、関係ねーヤツはひっこんでろよ!」


 小野寺が引け腰で叫ぶと、岡井と富永が「そうだそうだ!」と追従する。


「関係ない? いいえ、関係はあるわ」

「へぇ? お前、怜奈とトモダチにでもなったってか?」


 小野寺は虚勢を張るように口元を吊り上げて、御川と対峙する。茅ヶ崎がちらっと、期待を込めた視線を御川に送った。


「違うわ。私、友達は作らないもの」


 御川は一刀両断、そう答える。小野寺が肩透かしを食らったように目を瞬かせ、茅ヶ崎がガクッとうなだれる。


 うーん、かわいそうな茅ヶ崎。……そーゆーとこだぞ御川!


「あなたたち、単純に不愉快なのよ。同じ教室で低俗なことが行われているのはストレスが溜まるわ」

「こいつ……っ! そんなの知らねーよ! お前の都合じゃねーか!」

「あら、そう感じているのは私だけではないわよ」


 御川は悠々と、あたりを見回す。

 クラスメイトたちは否定も肯定もしない。しかし多くの生徒が、非難の視線を小野寺たちに向けていた。


「な、なんだよお前ら! 文句あんのかよ!?」

「しょーじき、俺も御川と同じことを思ってたぜ。みんな仲良くしよーぜ」


 胡桃沢が能天気にも思える台詞を口にする。しかし、それが決定打になった。


「たしかに、最近はちょっとやりすぎだったよね」

「怜奈、かわいそうだった」


 ざわめきが広がる。はっきりと流れが変わったのがわかった。


「っ……」


 さすがに不利を悟ったのか、威勢を失って身を寄せ合う小野寺、岡井、富永の三人。

 クラスの空気はもう、完全にこちらのものだった。


「……つまんねー、帰る」


 いたたまれなくなったのか、小野寺は舌打ちをして校舎のほうへ歩き出す。


「あ、ちょっと花蓮!?」

「待ってよ~!」


 岡井と富永が、それをあわてて追いかける。応援席には、なんともいえない微妙な静寂が訪れた。


「はぁ……」


 気が抜けたのか、茅ヶ崎が席にへたりこむ。そこへクラスメイトの女子たち――岩見と柏が駆け寄ってきた。


「怜奈ちゃん、大丈夫?」

「ごめんね、今まで見て見ぬフリして。謝って許してもらえることじゃないけど……」


 口々に謝罪の言葉を口にする。

 その表情には悔しさが滲んでいる。きっと、本心から茅ヶ崎のことを心配していたのだろう。


「ううん、気にしてないよ。それより、こうやって声をかけてくれてありがとね」


 茅ヶ崎は、優しく微笑んで岩見と柏の肩を抱く。二人は今にも泣きださんばかりに目を潤ませる。

 ……俺が入る隙間はなさそうだな。


「さっきはカッコよかったよ怜奈ちゃん。あと御川さんも!」

「ね! 私、御川さんのファンになっちゃいそう!」


 柏が妙なことを言って、御川を羨望の眼差しで見つめる。御川は相変わらず人に親しみを持たれるのが苦手なようで、居心地が悪そうにしている。


「ありがと、御川さん」

「……私は、私のために言いたいことを言っただけよ。『自分が正しいと思うことをしているだけ』」


 茅ヶ崎のお礼に対して、御川は茅ヶ崎の言葉を借りてそう返す。


「ちょ、ちょっと! 恥ずかしいから再現しないでよ!」


 恥ずかしそうな茅ヶ崎を見て、岩見や柏が笑う。それにつられて、茅ヶ崎も笑う。さっきまでとは打って変わって、心地よい空気が広がっていた。


「……また御川に助けられちゃったな」


 俺はその様子を遠くから見守りながら、小声で独りごちる。

 御川への感謝と、結局なにもできなかった自分への情けなさが募っていた。


 ……ま、このぶんだと茅ヶ崎は大丈夫そうだし、安心してよさそうだ。


 いろいろ思うところはあるけど、茅ヶ崎の柔らかい笑顔を見ていると、すべてが報われたような気持ちになる。




 体育祭も大詰め、いよいよ最後の競技を迎えた。


『最終種目は皆さんお待ちかね、組別対抗選抜リレーです!』


 アナウンスの声が大きく響き渡り、歓声が巻き起こる。

 要は『リレーの選手』が頑張るアレだ。いつも他人事のように眺めてたっけ。


 ちなみに各チームの得点は拮抗しているものと思われる。何種目か前から点数が伏せられているため、正確な数字はわからないが、このリレーの結果次第で勝負の趨勢が決まるのは間違いないはずだ。


(終わっていくな……)


 高校二年生の体育祭は、今度こそこれが最後だろう。もう戻れない青春の中を俺は生きている。


 感傷に浸っていると、出場選手の中に御川の姿を見つけた。


(そりゃそうだ)


 部活動対抗リレーでの活躍を思い出す。御川なら文句なしに選抜リレーのメンバーに選ばれるだろう。


(あいつ、本当になんでもできるよな)


 友達なんかいらないと豪語するだけある。

 バカで、運動音痴で、コミュ障で、ビビリの俺とは大違いだ。


「すごいよね、御川さん」


 ジクジクしたものを胸に感じていると、俺の隣に人影が立った。


「あたしもあんなふうになれるかなぁ……」


 茅ヶ崎は眩しそうに目を細めて、グラウンドの御川に視線を注いでいる。


「ならないほうがいいと思うぞ」


 あんな唯我独尊なヤツは一人でいい。それに茅ヶ崎には、御川にはない魅力がある。


「岩見たちと喋ってたんじゃないのか? いいのかこんなところにいて」


 邪魔するのも悪いと思い、俺は一人で応援席の後ろに立っていたわけだが。


「いいの。……八代と喋りたかったから」

「お、おう。そうか……」


 疼いていた心臓が今度はドキンと跳ねる。まったく俺の心臓も忙しい。


「……さっきはごめん。見てるだけで、また力になれなかった」


 悔恨が漏れる。

 俺は結局、この一件を通して茅ヶ崎の役には立てなかった。


「なに言ってるの。八代がいろいろ頑張ってくれたおかげで、あたしは花蓮に立ち向かう勇気をもらえたんだよ?」


 俺を見る茅ヶ崎の表情は、あくまで柔らかい。


「そりゃ正直、八代は変な方向に空回ったりすることもあるけどさ。それも含めて楽しかった。……あたしは一人じゃないんだって思えて嬉しかった」

「茅ヶ崎……」

「ありがとね、八代。あたしを助けてくれて」


 茅ヶ崎は笑う。

 正真正銘、一切の翳りがない笑顔で。


 ……そうだ、俺がやったことは無駄なんかじゃない。俺は少しでも茅ヶ崎の支えになれたはずだ。


 誇れ。


 あのとき、一歩を踏み出せた自分を。


「あっ、始まったよ」


 茅ヶ崎が指差した先で、先頭ランナーの御川がスタートダッシュを切る。

 相変わらずの俊足で、二位以下を大きく突き放して第二走者の選手にバトンを渡す。


「はっや……」


 俺と茅ヶ崎は顔を見合わせて苦笑する。


 やっぱり御川って社会性以外のステータスがカンストしてるよな。学業成績に関しては聞いたことがないけど……まぁ、推して知るべしだろう。


「不思議だよね」


 俺と似たようなことを考えていたのか、茅ヶ崎はわけがわからないというふうに首を振る。


「あんなに美人でハイスペックな女の子なのに、八代なんかと仲いいんだもん」

「仲いいわけじゃないけどな」


 『八代なんか』のほうには今さらなので突っ込まない。


「でも御川さん、八代のことすごく気にかけてるでしょ? 他の人とは接し方があきらかに違うし」

「……なにが言いたい」


 リレーは大詰め、アンカーの胡桃沢にバトンが渡ったところだった。まだ一位をキープしているが、かなり差を縮められている。接戦だ。


「べっつにー」


 茅ヶ崎はふてくされたように唇を尖らせる。


(……まさか、御川が俺に気があるとでも言いたいのか?)


 恋愛経験に乏しい俺でもわかる。

 冷静に、客観的に考えてそれはありえない。勘違いしようもない。


 それだったらまだ茅ヶ崎のほうが、異性として距離が近い――。


「ねえ八代」


 なんて考えていた矢先、茅ヶ崎がトン、と俺の肩に自分の肩をぶつけてきた。口から心臓が飛び出しそうになる。


「っ!? な、なんだ?」

「あのさ、下の名前で呼んでもいい?」


 うっすらと頬を朱に染め、茶色がかった髪をくしくしいじりながら尋ねてくる。


「あ、ああ。……いいけど」


 ごくりと唾を飲み込んで、応じる。


 ……茅ヶ崎はあくまで、友達として俺と距離を縮めようってだけだからな。そこを誤解するなよ、俺。


「やった」


 茅ヶ崎はぱっと表情を華やがせて、俺に手を差し出した。


「改めてよろしくね――弓弦」


 そのまっすぐな瞳は、まるで今日の空のように澄み渡っていて。

 俺も自然、笑顔になってその手を握り返す。


「こちらこそよろしくな――怜奈」


 俺たちが握手を交わす中、一位でゴールを果たした胡桃沢の勝利の雄たけびが響き渡る。


 こうして、俺たちの体育祭は幕を閉じた。

第2章終了です。

これから閑話を挟んで第3章に入りますが、準備のためしばらくお休みをいただきます。

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