第二十三話「開幕」
体育祭当日。
俺はいろんな感情が綯い交ぜになった複雑な心持ちで開会式に出席していた。
『宣誓! 私たち選手一同は、日ごろの練習の成果を発揮し――』
体育祭実行委員長の選手宣誓が、五月の雲一つない青空に吸い込まれていく。
(懐かしいな、この感じ……)
校庭の土を踏みしめる足がふわふわする。
運動が苦手な俺にとって、体育祭は気が重い行事だ。それは前回も今回も変わらない。
ただ、久しぶりの学生らしい行事にわくわくしている自分もいた。
(体育祭だけに専念できれば、どれほどよかったことか)
胸に巣食うもやもやが、ふとした瞬間に存在を主張してくる。
茅ヶ崎とは、シャツのボタンを掛け違えたようなぎくしゃくが続いていた。
(とにかく一度、ちゃんと話をしたいんだけど)
印刷室で共同作業をすることもなくなったし、こうなると関係を修復する機会がない。
(このまま疎遠になるなんて俺は嫌だぞ……)
悶々としているうちに開会式が終わり、トラックの外側をぐるりと囲んで設営されている応援席に移動する。
茅ケ崎の席は俺の一つ前の列の、二つ隣だった。八方桂の位置だ。それなりに近いとはいえ、話しかけやすいポジションとは言いがたい。
体操服を着て、明るい髪をアップにまとめている茅ケ崎の姿は新鮮だった。体育の授業でたまに目にすることはあったが、この距離でちゃんと見るのは初めてだ。
(可愛い、な……)
そんな感想が頭の中に漏れて、あわてて首を振る。
今はあまりそういうことを考えないほうがいい。
(多少、不自然なタイミングでも、やっぱりこっちから声をかけるしかないよな)
『絶好のタイミング』を窺っていては、いつまでも行動に移せない。
タイムリープしてからの俺の座右の銘は、『迷ったら行動』だ。結果は後からついてくる。
(今なら、あながち悪いタイミングでもない)
体育祭が始まった直後ということで、周りのクラスメイトたちは浮かれて三々五々になっている。こちらのことなど、気にも留めないだろう。
よし、行こう。今、行こう。
「ち、茅ケ崎――」
「なぁ、八代って最初の種目出るんじゃなかったっけ? 百メートル走」
腰を浮かせたところで、佐々木に肩を叩かれた。
「え……? いや、俺は借り物競走だから、だいぶ後だけど……」
「ああ、そうだっけ。すまんすまん」
佐々木はうっとうしい前髪をファサファサ揺らしながら去っていく。
おのれ佐々木。いつも邪魔しおって……。
気を取り直してもう一度茅ヶ崎に話しかけようとしたところで、
『まもなく、男子100メートル走が始まります――』
アナウンスの声が割り込んできた。めいめいはしゃぎ合っていたクラスメイトたちも、席に戻って応援の姿勢になる。
(くっ、完全にタイミング逃したぁ……!)
俺ってヤツはどうしていつもこうなんだ。
……まぁ、しょうがない。
体育祭は長い。まだいくらでもチャンスはあるだろう。
今は、俺も応援に集中しよう。
本校の体育祭では、赤組、白組、緑組の三つのチームが総合点を競う。
この色分けは学年の垣根を越えて設定されているもので、各学年の1組、3組が『赤組』、2組と5組が『白組』、4組と6組が『緑組』となっている。
我らが2年2組は『白組』で、頭に白い鉢巻を巻いている。他クラスや他学年を応援するときは、この鉢巻を目安にするとわかりやすいというわけだ。
これとは別に、各学年での最優秀クラスが表彰されるシステムになっている。ぶっちゃけ生徒からすれば、色によるチーム争いよりも、こっちのほうが大事だったりする。
「いけーっ! 明石と……メガネぇ!!」
胡桃沢が声を荒げて、グラウンドに叱咤を降りかける。
二年生の100メートル走で、走者は明石と江口だった。二人とも出走前の準備運動をしている。
「が、がんばれ、江口くん! ボクだけはキミの名前を覚えてるよっ!」
西がふんすか鼻を鳴らして叫ぶ。
いや、さすがに西だけってことないだろ。ナチュラルにひどいこと言うんだよな、西って……。
「がんばれ! 江口!」
俺も覚えてるぞ! という思いを込めて、声を張り上げる。体育祭の雰囲気にあてられてか、想像より大声が出た。
「……むむ?」
声援が届いたのか、江口が俺と西に気づいた。こっちを見て眼鏡をクイッと押し上げる。
「拙者の勇士、目に焼きつけるでござる!」
自信満々といった様子の江口。
おお……これは期待できるか……?
普段目立たない俺たちが大きな声を出したことで、クラスメイトたちからはそれなりに注目を浴びていた。
(ちょっと照れ臭いけど、これも青春、だよな)
嬉し恥ずかし、江口に手を振った。
そして、江口の番――。
「ござるーーーーーっ!?」
江口はスタートダッシュで盛大にこけて、見事最下位を飾った。
さすが江口、期待を裏切らない男。
そんなこんなで、体育祭は幕を開けた。