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第二十一話「掛け違えたボタン」

 翌日になると、噂は顕著な広がりを見せていた。


「聞いたぜ八代! ひゅうひゅう~!」


 クラス随一のチャラ男、胡桃沢が登校するなり俺に向かって下手な指笛を鳴らしてくる。


「あのガードが固そうな茅ヶ崎をどうやってオトしたんだ~?」

「いや、そういうんじゃなくて……」

「照れんなって~! ウィ~八代ウィ~!」


 胡桃沢はウィウィ言うだけで、まったく俺の言い分を聞いてくれない。


(ウザすぎる)


 だから前回も苦手だったんだよな、こいつ……。


「おっ、それ俺も聞きたかったんだよなぁ」

「それな、教えてくれよ。二人のナレソメってやつ」


 胡桃沢に乗っかる形で、波瀬や佐々木が面白がるような声を上げる。

 普段は全然話しかけてこないくせに、こういうときだけ首を突っ込んでくるんだよなぁ。


(参ったな……)


 どうやってこの場を収めようかと考えていると、俺の耳がかすかな話し声を捉えた。


「……ぷぷっ、いくらなんでも八代はナイよね~」

「怜奈のヤツ、そこまでして一人になりたくないんだ」

「必死すぎ~」


 教室の隅で、小野寺の取り巻きである富永と岡井が嘲り混じりにそんなやりとりをしていた。

 俺には聞こえないように話しているつもりだろうが……。


「……っ」


 俺はいたたまれなくなって、席を立つ。


 本当は、俺がこの場で噂をビシッと否定できれば一番なのだが、これだけ注目が集まっている中ではやりづらい。


(そんな勇気、俺にはない……)


 衆目を浴びる場面での立ち回りには、とりわけ自信がない。自己紹介のときの二の舞になるのは目に見えている。


「あれっ、八代~?」

「……ちょっとトイレ」


 俺は己の不甲斐なさを噛みしめながら、胡桃沢の呼びかけを振り切って教室の外へ逃げ出す。


 間が悪いことに――。


「……あっ」

「ち、茅ヶ崎」


 廊下を出たところで、登校してきた茅ヶ崎とばったり出くわしてしまった。


「お、おはよう」


 なんとなく目が合わせづらくて、俺はそっぽを向いて朝の挨拶を投げかける。


「お、おはよ」


 茅ヶ崎も、ぎこちない様子で挨拶を返してくる。


「……」

「……」


 それきり沈黙が落ちる。

 いつもなら自然と会話が始まるのに、今日は気まずい空気が流れるだけだった。


 俺の頭がいっぱいいっぱいになっているのはもちろんだけど、これはもしかして……。


「あー……なんか、変なことになってるみたいだな」

「……八代も聞いたんだ」


 やっぱり、茅ヶ崎も例の噂を耳にしたらしい。


「困るよね、こういうの……」


 茅ヶ崎が、戸惑い気味に呟く。

 その耳はほのかに赤く染まっていて、俺は余計にドギマギしてしまう。


「だ、だな……」


 言葉が出てこない。

 俺はいつも、どんな感じで茅ヶ崎と接していたんだっけ?


(なにやってんだ、俺……)


 こんなときこそ、堂々とした態度で茅ヶ崎を安心させてやらないといけないのに。

 俺は曲がりなりにも二十七歳(おとな)だぞ。高校生から幼稚な冷やかしを受けたくらいで心のバランスを崩してどうする。


「ごめんね、八代。変なことに巻き込んじゃって……」

「い、いや。俺のほうこそ考えが浅かった」


 そりゃ、男女二人ペアで行動を共にしていれば早晩こうなるに決まっている。『茅ヶ崎を一人にしない』ことを優先するあまり、そのあたりの配慮が欠けてしまった。

 経験不足が如実に出た形だ。こんなふうに色恋の噂をされるのなんて初めてで、どうしていいのかわからない。


(でも、茅ヶ崎からしたら、たまったもんじゃないだろうな)


 さっきの富永と岡井の会話を思い出す。

 俺みたいな男と付き合っていると勘違いされるのは、茅ヶ崎にとって迷惑でしかないだろう。


 クラスカースト上位の茅ヶ崎と、クラスカースト最底辺の俺では吊り合いが取れない。恥をかくのは茅ヶ崎だし、失うものも茅ヶ崎のほうが圧倒的に多い。


「……しばらく、メシは一緒に食べないほうがいいかもな」

「えっ……」


 俺が提案すると、茅ヶ崎は驚いたように目を丸くした後、力なくうつむいた。


「……そう、だね」

「大丈夫。すぐに誤解は解ける」


 人の噂も七十五日。実際にはもっと短い。おとなしくしていればすぐにほとぼりは冷めるだろう。

 だいたいが、現実味のないデマなのだから。


 だが、俺の慰めにも茅ヶ崎の表情は晴れなかった。


「じゃあ、いくね」


 茅ヶ崎は視線を落としたまま、俺の脇をすっと通り過ぎて、教室に入っていく。

 一瞬だけ見えた横顔は――見間違いかもしれないけど――今にも泣き出しそうだった。


「あ――」


 咄嗟に呼び止めようとして――できなかった。

 俺は彼女を呼び止めるための言葉を持っていない。


 なにか、致命的な間違いをしてしまったような気がした。離れていく茅ヶ崎の背中が、やけに遠く感じられた。


 ――それ以来、俺と茅ヶ崎はぱったり言葉を交わすことがなくなった。

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