第二十話「浮ついた空気」
体育祭まで残り三日に迫っていた。
「八代、先に屋上行ってるから」
「了解」
昼休み。
茅ヶ崎は俺に一声かけると、弁当箱を持って教室を出ていく。
あの日から、俺と茅ヶ崎は一緒に昼食を取ることが習慣になっていた。
(俺も弁当持ってきたほうがいいかもな)
毎度、購買まで食料を調達しに行ってるので、茅ヶ崎を待たせることになってしまっている。
席を立ったとき、視界の端で、クラスの女生徒たち――岩見純子と柏愛実がヒソヒソ話をしているのに気がついた。どこか微笑ましいものを見るような目を俺に向けている。
「……?」
最近、こういうことが多い。
茅ヶ崎と仲良くすることで、俺もイジメの対象になったのかと思ったが、そういう雰囲気でもない。
(気になる……)
とはいえ、直接訊くわけにもいかないしな。
「……くだらないわね」
前の席で、御川が読んでいた本をそっと閉じた。
「なにか知ってるのか?」
「……」
無視。
ちょっと不機嫌なようにも見えるが、いつもこんな感じなので定かではない。
しかしまぁ、以前に比べれば御川の感情がわかるようになってきた気がするな……いや、気のせいかなぁ……。
「聞いたでござるよ八代氏」
放課後、いつものように西&江口と帰路についていたところ、江口が急に訳知り顔で口を切った。
「は? なにを?」
「人は変わるものでござるな……最近、様子がおかしいとは思っていたでござるが、そういうことだったとは」
「ホ、ホントだよね。びっくりしたよ」
西が鼻息荒く追従する。
「か、隠すなんて水臭いじゃないか八代くん」
「恥ずかしい気持ちはわかるでござるが、一言くらいほしかったでござるなぁ」
ここでも、微笑ましい目で見られる。
どうやら俺の話題で盛り上がっているらしいが、なんのことを言われているのかさっぱりだ。
「ま、待ってくれ。二人ともなんの話をしてるんだ?」
「八代氏のリア充昇格の件に決まっているでござろう!」
江口はぐふふと気色の悪い笑みを浮かべ、俺は頭の上にハテナマークを浮かべる。
「り、りあ充? 俺が?」
「しらばっくれるでござるか八代氏」
江口が俺に詰め寄り、男気あふれる顔で言った。
「そんな態度では交際相手の茅ヶ崎氏が不憫でござろう!」
…………は?
一瞬、なにを言われているのかわからなかった。
「すまん、もう一度言ってくれ。俺と茅ヶ崎が……なんだって?」
「だ、だから付き合ってるんでしょ? 今、クラスでもっぱらの噂になってるよ」
どうやら、俺の聞き間違いじゃなかったらしい。
しかも西の話が本当なら、クラス中が誤解してるってことか。
「いや……俺、茅ヶ崎とは別にそういう関係じゃないんだけど……」
正直なところを答えると、今度は西と江口が驚いた顔になった。
「なんと……まことでござるか?」
「そ、そっか。どうりでおかしいと思ったんだ。八代くんにカノジョができるわけないよね!」
それはそれで俺に失礼だぞ、西。
「八代くんと茅ヶ崎さんじゃ、タイプがまったく違うしね」
「拙者は最初からデマだと思っていたでござるよ」
江口はいけしゃあしゃあと嘯き、俺の肩に手を回してきた。
「我々には二次元の嫁がいれば充分でござる!」
「お、おう」
申し訳ないけど、俺はそこまでリアルを捨てきれてないぞ。
「で、でも、茅ヶ崎さんと仲がいいのは事実だよね。最近一緒にお昼食べてるし」
「そうだな。仲のいい……友達だよ」
自分で『友達』と口にして、心臓が跳ねた。
いつの間にか、そう呼べる関係になってたんだな。
「まっ、なんとなく事情は察したでござる。まったく八代氏はお人好しでござるな」
江口が俺から離れ、やれやれと首を竦める。
「八代くん、茅ヶ崎さんのこと気にかけてたもんね」
「あんな急接近を見せられたら、みんなが誤解するのも当然でござるよ」
なんだかんだで二人には、俺の意図が伝わっているようだ。
「ああ見えて、いいヤツなんだ。もしよかったら、二人も茅ヶ崎の友達になってやってくれ」
俺が頼むと、二人はふっと微笑んだ。
「ギャルは怖いでござる」
「ぜ、ぜったい馬鹿にされる」
陰キャ精神が染みついてるなぁ……。
「小野寺さんに変な動きがありそうだったら、八代くんに報告するね」
「それくらいのことなら、我々にもできるでござるからな」
「ありがとう」
可能な範囲で助けてくれるらしい。その気持ちだけでも嬉しい。
「それにしても、八代くんって意外にプレイボーイだよね。御川さんとも仲いいし……」
「仲間だと思っていたのに、あっち側の人間でござったか」
心なしか恨みがましい目で見られる。
どっちにしろ二人の中で俺の評価は下がるらしい。
「と、とにかく、俺と茅ヶ崎が付き合ってるっていう噂は嘘だから、誰かからその話題が出たら否定しておいてくれ」
「無理でござる。我々には他に友達がいないでござる」
「その話題を振られることがないよね」
悲しい自信を漲らせている。
だよなぁ……。
「しかし、困ったことになったな」
独りごちる。
『付き合ってる』なんて、そんなふうに言われたら、俺のほうも否応なしに意識してしまう。
実際、茅ヶ崎は可愛いし、魅力的な女の子だ。
(……っ、考えるな。俺はそういうつもりで茅ヶ崎に近づいたんじゃない)
そりゃもちろんカノジョはほしいけど……俺がカレシだなんて茅ヶ崎としてはたまったものじゃないだろう。
(それに、俺の心にはまだ水島さんがいるしな)
この噂は近いうちに、茅ヶ崎の耳にも入るだろう。
悪いことにならなきゃいいけど……。