第十七話「同じ痛み」
――きっかけらしいきっかけは、なかったように思う。
小学生の頃、明るく活発だった弓弦少年は、中学生になってからも同じノリを続けた。意外かもしれないが、昔の俺はけっこうなお調子者だったので、まもなくクラスのリーダー的な男子生徒に目をつけられてしまった。
イジメが始まるのは早かった。
まずは今の茅ヶ崎と同じように、無視や掃除当番の押し付けから。
最初はグループ内だけでのイジメだったのが、クラス全体に広がっていき、内容も大胆なものにエスカレートしていった。
「死ね」「キモイ」と露骨な誹謗中傷を浴びせられたり……。
上履きを盗まれたり、ノートをズタズタに破られたり……。
男子トイレで、からかい混じりに殴る蹴るの暴行を受けたり……。
友達だと思っていた生徒には「近寄んな」と言われ、親切で拾ってあげた消しゴムも「八代に触られたから汚くてもう使えねー」と突っぱねられ。
担任の先生は、気づいていないはずがないのに傍観者に徹していて、両親には恥ずかしくてイジメられていることを打ち明けられなかった。
良心を痛めているクラスメイトもいたのだろうが、自分が標的にされることをおそれて、見て見ぬフリをしていた。
当然だ、責められることじゃない。
俺だって、逆の立場だったらそうしていたはずだ。
誰も助けてはくれなかった。
誰か一人でも、寄り添ってくれる人がほしかった。
俺は学校に行かなくなった。
家にひきこもって、物語の世界に溺れた。
俺が不登校になってようやく、両親が異常に気づいて学校に連絡を入れた。
俺は事情を説明し、二年生に進級する際のクラス替えではイジメの主犯格たちとは別のクラスに分けてもらえることになった。
進級を期に、俺は登校を再開した。
復帰初日の心理的重圧は筆舌に尽くしがたいものがあったが、俺はなんとか打ち勝った。二日目からは、わりあい楽に通えるようになった。
学校側がなにかしたのかは知らないが、イジメはぱったりとなくなった。校内でイジメっ子たちとすれ違うこともあったが、向こうからアクションを起こしてくるようなことはなかった。
呆気ないほどあっさりと、俺の日常に平穏が戻ってきた。
それから俺は、目立たないように息をひそめて、残りの学校生活を消化した。
* * *
印刷室に沈黙が落ちる。
俺の話を、茅ヶ崎は終始、表情を変えずに聞いていた。
……やばい、自分語りしすぎたか?
暗い過去って、喋り出したら止まらないんだよなぁ……。
「今の茅ヶ崎の状況は、なんとなく当時の俺と重なる部分があるんだ。……だから、ほうっておけなくてな」
そう言って締めくくる。
こうして他人に話してみると、俺は自分で思っていた以上に、イジメの過去を消化していることがわかる。
思い出すのも嫌だったはずのトラウマだったのだが、十年以上も経てば、さすがに風化しているということか。
それとも、俺が今、前を向いて歩き出しているからか――。
「うぅ……」
……なんて考えていると、鼻を啜る音が聞こえた。
ぎょっとして隣を見ると、茅ヶ崎が泣いていた。
「つらかったんだね……八代……」
「おいおい……」
こいつ、意外に涙もろいのか?
「もう大丈夫だからね。あたしが守ってあげるから」
「いや、今イジメられてんのお前だから……」
「い、イジメられてないし!」
キッと目を細めて睨みつけてくる。
今さら強がることになんの意味があるのかはわからないが、それほどまでに認めたくない事実なのだろう。
俺が呆れた顔をしているのに気づいたのか、茅ヶ崎はバツが悪そうにそっぽを向いた。
「……イジメられてない。イジメられてないけど、ちょっとイジられてるかも」
制服の裾で目元を拭い、むすっと呟く。
うーん。ああいうの、イジりっていうかなぁ……。
「なんでその、小野寺たちからイジメ……イジられるようになったんだ? 喧嘩でもしたのか?」
「あんたには関係ないでしょ」
突き放すような台詞だが、口調に以前の刺々しさは感じられなかった。
「そうだな」と頷いて、しばらく黙って作業を続けていると、やがて茅ヶ崎がじれったそうに口を開いた。
「……わかったわよ。話せばいいんでしょ? あんたも話してくれたんだから、あたしも話さないとフェアじゃないもんね」
「フェアって……」
俺が勝手に語り出しただけなんだから、そんなこと気にしないでいいのに。
律儀なやつだな。
「でも、あんたのときと同じで、たいした理由はないわよ? 花蓮が人の悪口を言ってたから、注意しただけ」
「悪口?」
「そ。クラスの誰々がウザイだのキモイだの」
「それ、お前に直接言われたことあるんだけど……」
「直接ならいいじゃん」
よくねーわ。
まぁ、茅ヶ崎がカラッとした性格だから、面と向かって言われても嫌な感じはしないんだけど。
「花蓮とは小学校が一緒だったんだけど、あんな子じゃなかったんだけどなぁ」
はぁ、とため息をついてこめかみを押さえる。
小野寺とは昔のよしみで付き合ってたけど、我慢の限界が来たというわけか。
「最初のうちは、グループから外されたくないから調子を合わせてたんだけど、もう耐えられなくなっちゃって」
「茅ヶ崎は正義感が強いんだな」
おそらく、不器用にも真正面からぶつかったのだろう。やんわり注意を促すなり、そっと距離を置くなり、他にも方法はあったはずなのに。
「……そう? そんなことないと思うけど」
照れ臭そうに頬をかく。
「でも、こういうのは誰かがちゃんと言ってあげないといけないから」
茅ヶ崎の目には力強い光が灯っていた。自分のやったことに後悔はない――そんな意志を感じる。
「おかげでヘソを曲げられちゃったけど……他の子がイジメられるよりはいいし」
もしかしたら、『悪口』とやらがヒートアップして、誰か他の生徒がイジメの標的になろうとしていたのかもしれない。それを茅ヶ崎が真っ向から止めようとしたことで、現状が生まれた。
想像でしかないが、大きくは外れていない気がする。過去の俺には決してできなかったことだ。
「……茅ヶ崎は立派だよ」
「と、突然なに?」
やっぱりこの子のことは、絶対に助けてあげなきゃいけない。
俺はその想いを強くした。