第十四話「決意の一歩」
それから数日が経った。
茅ヶ崎は相変わらず、印刷室での仕事を押しつけられている。
そのことに多くのクラスメイトたちが気づき始めていたが、みんな見て見ぬフリをしていた。
誰もが、自分に火の粉が降りかかることをおそれている。
「よし、では今日はここまで」
神楽坂先生から解散の号令がかかり、俺は西や江口と一緒に帰り支度を始める。
「疲れたでござる。早く帰ってエロゲの続きがやりたいでござる」
「ボ、ボクも、最近忙しくて、録画してるアニメが消化できてないんだ」
校門を出て、駅までの道を歩く。
今の時期、文芸部は活動していないので、近頃はこの三人で帰ることが増えていた。
「や、八代くんは最近どう? 本とか読んでる?」
「ああ。ラノベとか漫画とか、西と江口のオススメに目を通してるよ」
茅ヶ崎の件から目を背けるように、俺は物語に没入していた。
このへん、根っこの部分は昔と変わっていないと思い知らされ、微妙な気持ちになる。
「ふっふっふ。八代氏もオタクとしての練度が上がってきたでござるな!」
「面白いから、やめどきがわからなくてな」
本心からそう口にする。
……いや、マジで面白いんだよな『デートor愛撫』。
デートか愛撫の二択っていう意味のわからん設定が光りまくっている。
「で、でも、勉強しなくて大丈夫なの? そろそろ中間テストだけど」
「体育祭と中間テストを同じ時期にやるのはやめてほしいでござる。どちらかだけでも憂鬱なイベントでござるのに」
西と江口がため息を落とす。
中間テストはもちろん、体育祭も俺たち陰キャにしてみれば歓迎できる催しではない。
西も江口も、そしてもちろん俺も、運動は苦手だ。
「も、もしかして八代くんって、勉強得意? だから余裕ってこと?」
「なんですと八代氏! いつも赤点ぎりぎりの我々を裏切るでござるか!?」
「いや、得意ってわけじゃないけど……」
これでも大人だし、一度勉強した内容だし……正直、舐めてかかっている部分はある。
授業にだって、ついていけてるしな。
試験前日にざっとテスト範囲を勉強し直せば、なんとかなるだろう。
(今は勉学よりも大事なことが、たくさんあるからな)
やがて、駅に着いた。
ホームで電車を待つ。
鞄から飲み物を取り出そうとして、気づいた。
「あれ……筆箱が……」
ない。
「うわ、教室に忘れたっぽい」
「え、ホント?」
「八代氏はおっちょこいちょいでござるな~」
ここのところ、我ながら上の空の状態が続いているからな。
うっかりしてしまったみたいだ。
「ごめん二人とも。ちょっと学校戻るわ、先帰っててくれ」
手刀を切って、踵を返した。
学校に戻る。
もう誰も残っていないだろうと思っていたが、教室の中では一人の女生徒がうろついていた。
茅ヶ崎だ。
不安げな表情で、きょろきょろと床に視線を這わせている。俺の存在には気づいていない。
(探し物か……?)
そこで俺は小野寺たちの会話を思い出した。
キーホルダーを隠すとかなんとか……。
知らず拳を握りしめていた。
俺はこのまま、イジメを見過ごすのか?
俺には彼女の痛みがわかるはずなのに、このまま俺と同じ思いをさせるのか?
(俺がイジメられてたとき……俺は周りになにをしてほしかった?)
もちろん、助けてほしかった
イジメをやめさせてほしかった。
そうでなくても、誰かに味方でいてほしかった。
……そうだ、べつにイジメを根本から解決できなくたっていい。寄り添ってあげるだけでもいい。
前回の高校生活で、俺が水島さんに救われていたように――
(――そう、か)
俺はようやく思い至った。
なぜ、前回はイジメがなかったのか?
それは、水島さんがいたからだ。
水島さんなら、イジメを見過ごすことはない。
クラスの輪から外れていた俺に、飽きず声をかけてくれた水島さんのことだ。イジメの芽を事前に見つけて、潰すくらいのことはやっていただろう。
クラスの空気を回し、みんなに笑顔をもたらす――あの人は、それができる。意識して、それをやっていた。
でも、そんなクラスのムードメーカーが、今回はいない。
(俺が来たせい、か……?)
俺がタイムリープしたせいで、水島さんが御川に置き換わってしまった。
そのせいで過去が書き変わり、茅ヶ崎が傷つく結果になっている。
そう考えると、この件は俺にも責任がある。
(やっぱり水島さんはすごいな)
もはや、この世界に存在するのかもわからない水島さんに、思いを馳せる。
いつか彼女に胸を張って会える人間になりたい、と強く思う。
(そうだ……もう後悔しないって決めただろ)
自分がイジメの標的になることは、やはりこの年になった今でも怖い。
だけどそれ以上に――このままイジメを傍観して後悔するほうが怖い。
俺は決然と面を上げる。
視線の先で、探し物をしていた茅ヶ崎の顔が、くしゃりと歪んだ。
「うぅ……」
涙が頬を伝う。
みんなの前では毅然とした態度を崩さなかった茅ヶ崎が、泣いていた。
……当たり前だ。つらくないわけがない。
一人ぼっちは、寂しいんだ。
「――大丈夫か?」
俺はまた一歩、足を踏み出した。