第十三話「消えない傷」
翌日の放課後。
俺は昨日と同じように、教室で体育祭の冊子作りに勤しんでいた。
(今日も茅ヶ崎は一人で働いてるのか……?)
なんとなく、印刷室がある方角に視線をやってしまう。
実は、朝からずっと茅ヶ崎のことを観察していた。
茅ヶ崎が毅然とした態度を取っているからわかりづらいが、小野寺や他の女子からハブられているのは間違いなさそうだった。……経験上、そういう気配には敏感だったりする。
(程度は軽いけど、やっぱりイジメだよな……)
俺は中学時代、イジメられていた経験がある。
物を隠されたり、殴る蹴るの暴行を受けたり……された仕打ちを数え上げればキリがない。それに比べれば、無視されたり、パシられたりするくらいはまだ序の口ともいえる。
だが、どんな程度のイジメであろうと、つらいものはつらいし、ほうっておけばこれからヒートアップしないとも限らない。
(俺はどうすればいいんだ……?)
なんとかしてあげたいという思いはあるが、介入する勇気が持てなかった。
下手に助け船を出せば藪蛇になるかもしれないし……なにより、自分に飛び火するのが怖かった。
二十七歳にもなって、俺は高校生からイジメられることをおそれている。
「……くん! 八代くん!」
「…………ん? えっ」
呼ばれていることに気づいて、はっと顔をあげる。
「どうしたの八代くん。ぼうっとして……今日はどこか変だよ?」
「心ここにあらずという感じでござるな」
西と江口に指摘され、苦笑いをこぼす。
どうやら、俺はよっぽど参ってしまっているらしい。冊子作りの手も止まってしまっていた。
……気分転換が必要かもな。
「ごめん、ちょっと外の空気を吸ってくる」
心配そうに俺を見る西と江口に「大丈夫」と手を振り、教室を出る。
人気のない場所を求めて、ふらふらと校舎裏までやって来た。5月のうららかな風が、凝った心をほぐしていく。
(……そんなに俺が思い悩む必要はないよな)
きっと、俺が事態を重く捉えすぎているのだろう。
自分の過去と重ね合わせてしまって、必要以上に。
おそらく俺が心配しているようなことにはならないはずだ。来週くらいには当人たちの間で解決しているに違いない。
そもそも、何度思い返してみても、前回うちのクラスでイジメがあった記憶がない。いくら俺が周りに興味がなかったとはいえ、それくらい目立ったことがあればさすがに気づく。
茅ヶ崎の孤立は、ほんの一時的なものなのだろう。
そうやって自分に言い聞かせていると、声が聞こえた。
「はぁ~、ほんっとムカつく」
俺が来たのとは逆方面、非常階段から三人の女子が下りてくる。その中には小野寺の姿もあった。
「怜奈のやつ、スカした顔しやがって」
ウェーブのかかった赤い髪をいじりながら、小野寺が舌打ちをする。
怜奈って……茅ヶ崎のことか。
会話の内容が気になった俺は、三人に気づかれないように、そっと死角に移動する。
「すぐ謝れば許してやるつもりだったのに……一年のときから、あの正義面がウザかったんだよなぁ」
「わかるわかる」
「なにかとイイ子ちゃんぶるよね~」
小野寺の不満に、岡井忍と富永愛菜が追従する。
岡井と富永はいつも小野寺と行動を共にしている、いわゆる取り巻きのような女子だ。
「……このままじゃつまんねーな。一回シメとくか」
小野寺が不穏な言葉を呟く。
……いや、だからJK怖すぎだろ。シメるってなに?
「うわ~、カレンちゃんヤバ~」
「でも大丈夫? 怜奈のやつ、お父さんが警察なんでしょ?」
岡井が懸念を口にするが、小野寺は意に介さなかった。
「あいつは親にチクったりするタマじゃねーだろ」
「まぁ、そうだけどさ」
「それにカレンちゃんのお父さんは弁護士だもんね~。なにかあってもダイジョブダイジョブ~」
「……親は関係ねーよ」
小野寺は苦りきった口調でそう言って、歩き出す。
やばい、こっちに来る……!
「で、花蓮。次はどうしてやろっか?」
「レナちゃんが大事にしてるキーホルダーあるじゃん? あれ隠してやろうよ~」
背中でそんなやりとりを聞きながら、俺は校舎の中へ引き返した。
男子トイレの鏡に映る自分は、淀んだ表情をしていた。気分転換に行ったはずなのに、逆効果になってしまった。
(あの様子だと、イジメはどんどん本格的になりそうだ……)
もし――と考える。
俺がさっきの会話に割って入っていたらどうなっていただろうか。
「イジメなんかだせぇぞ」って一喝して、茅ヶ崎を擁護する姿勢を見せていたら。
ぎりっと歯噛みする。
……俺には無理だ。
せっかく軌道に乗って来た高校生活を、仲良くもなんともない女の子のために賭けられない。
だいたい俺に、なにができるっていうんだ?
俺の干渉を、茅ヶ崎が嫌うことも充分にありえる。
先生に報告したところでなにが変わるとも思えない。状況が悪化する可能性もある。
茅ヶ崎には悪いが、自力で乗り越えてもらうしかない。
俺だって、そうしたんだから……。
さっきまであたたかい陽射しの中にいたのに、俺の心は冷えきっていた。