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異世界転移を望み続けて
いつからか、世界の裏側へ行く方法があると噂が流れ始めた。
噂の信憑性は怪しいものだが、人類全員が疑ってかかるわけではない。
中には1人くらい、本気で信じる者がいてもおかしくはない。
「くそっ! またダメだ……!」
まさにそんな、信じられないような噂に挑んでいる男がここにいた。世界に1人くらいというのは、彼のことを指していたのかもしれない。
「どうして……! どうしてなんだよ!」
暗い月夜に慟哭が響き渡る。彼は何度目かの異世界転移に挑戦し、何度目かの失敗をしたところだ。
異世界転移に必要な手順は簡単極まりない。雪を溶かして水を作り、蛇の脱け殻と犬の毛を入れて火にかけ、煮立たせて出汁をとり、出来上がった液体を湖に3滴入れ、満月が映し出されているタイミングで飛び込むだけだ。
たったそれだけのこと。だと言うのに失敗した。
それは噂が嘘だから。…………ではない。
「ちくしょう! きっと偽物を掴まされたんだ! これだから異世界は!」
彼が異世界転移に失敗した理由は、儀式に用意した物が偽物だったからだ。
「雪は雪女に供物を捧げないと降らせてくれないし、ヤマタノオロチの脱け殻なんて巣穴にしかない。ケルベロスなんて地獄に行くだけでも大変なんだぞ!」
彼が嘆くのは、必要な物の入手難易度。ここはまさに世界の裏側であり、地球上での常識は当てはまらない。
「いつまでもこんな世界にいたんじゃ命がいくつあっても足りない! けど商人だって信用できねぇし、どうすりゃいいんだよ!」
湖から上がりもせず、濡れた髪の毛を苛立ちで掻き毟る。
普通の男が世界の裏側へと来たところで、生きていけるとは限らない。
裏側の裏側へと戻ることを願う彼を、赤い月が嘲笑うように見下ろしていた。