3.決死の逃亡劇
僕は怖くなって手近な木製扉を開けた。
そこはトンネル状になった狭い階段だった。
まずい。このまま逃げても退路がない。
そう思ったのも束の間、両の足は、頭がぶつかるのも、両肩がぶつかるのも構わずに、とにかく突っ走っていた。とにかく逃げたかった。老婆の足じゃ階段は登れないはずだ。などと都合のいい言い訳を自分に呟きながら。
僕は木製扉を開けて寝室に入ると、それを背にしてへたり込んだ。
腰が抜けたと表現した方が妥当かもしれない。
もう足に力が入らなかった。
ああ、やべえわ。これ、死ぬな。
木のぬくもりを背中に感じながら、僕は石畳から立ち上がることができないでいる。
あの老婆は靴棚を一撃で破壊するほどのパワーだった。
そんなやつだから、僕の体重なんか構わずにもろともドアをこじ開けるかもしれない。
そうじゃなくても、鉄パイプで木製扉ごとぶん殴られたら、僕なんかひとたまりもなく鎧袖一触に殺されてしまうだろう。
もしくはスナック菓子の袋を持って現れて、扉越しに、わけのわからない世迷い言を垂れ流すだろうか。
どれもそれなりにあり得そうな仮説で、それならば最後の仮説が当たっていてくれと思ったが、僕の予想は全て裏切られる結果となり、あの禍々しい殺気は、僕の背後をとることはなかった。
僕はゆっくりと心を落ち着けながら、軟禁された可能性について考えてみる。
玄関で遭遇したあのとき、老婆は、僕が脱出するのを阻止したかっただけなのだろうか。
それとも、突然の闖入者を相手に鉄パイプを振り回してしまっただけだろうか。
警察には通報されてしまったのだろうか。それともこの事実を隠蔽するつもりだろうか。
よくわからない。
老婆の狙いも、なぜ自分がここにいるのかも。
そもそもここが日本なのかどうかもわからない。
しかし、ひとつだけハッキリと言えることがある。
洋式の便所から伸びている拘束用の鎖は、僕を、監禁するための道具であろう。
それ以外の用途は考えられない。
だとすると、"軟禁された"という最悪の仮説だけは、当たっているような気がした。
僕はベッドと真向いにある木製の扉に目を向けた。
あそこにはまだ入っていなかったな。
そう生まれたての小鹿のように震える足を引きずって、メッキの剥がれかけたドアノブに手をかける。
そこは、書庫だった。
コの字型に本棚が配置されていて、その真ん中には籐椅子が置いてある。
僕は本棚を覗いた。
東洋や西洋の書物が無作為に並んでいるが、目当てにしているのは書籍ではなくて、玄関の木製扉を開けるためのカギだった。
僕は一通り、この家を探索しているが、一階にも二階にも、カギらしきものは見つからない。ということは、カギ自体はどこかに隠してあるか、老婆が持っているかの二択になる。老婆が持っていたらジ・エンドだが、普通は合いカギを作っているはずだし、それは家の内部に保管してあるはずだと思った。
「どこだ。どこにある?」
結論から言うと、なかった。
僕は嘆息して籐椅子に腰を下ろす。
すると紙がぐしゃっとつぶれる感触がして、そこに新聞紙があることに気が付いた。
僕は、必要最小限に灯っている豆電球の薄明りに照らして三面記事を見た。
べつにニュースが知りたかったからではないが、目に飛び込んできたのだ。
【また、連続強盗殺人が発生!】
【無能な警察陣、未だ手がかりすらつかめず!?】
煽り文句が過激な地方新聞だったが、どうやらここの地方では、連続強盗殺人が発生しているらしい。僕はいたたまれない気持ちになりながらも、新聞紙をたたんでもとに戻した。肝心のカギは、見つからなかった。
そっと石階段を下りてから、食堂へと通じる木製の扉を細く開ける。
頭をそこから出すが、老婆の姿はなかった。
良かった。とカラカラに乾いた口で呟く。