2.老婆の激昂
……靴棚が、鳴いた。
めきゃあああと、咆哮のような声が、一瞬にも満たない時間に発生して、消えた。
僕にとってのその時間は、無限に感じられるほど長かった。
木の板がぶっ壊れる音を聞いたのとほぼ同時に、身体を横に転がした。
どごぉん。と、砂塵が舞う。
靴棚だけではなく、僕が尻をつけたフローリングにも、黒い大穴ができていた。
心臓の大きな拍動が、逃げ足に活力を与えた。
僕は木製扉のドアノブを回して茶の間へと逃げ込んだ。
老婆は、怒っていた。
「ここは、オラの家だ」
そうドアノブをガチャガチャ回し始める。
僕は全力で押さえつけるが、化け物の腕力は、成人男性の身体能力を上回っていた。
「よそ者がデカい顔をしやがって」
鍵穴から荒い鼻息が聞こえる。
「出ていけ!」
手の平に汗がにじむ。
両手で押さえていないと滑ってしまいそうだった。
「こうなったら親類相談だ!」
化け物がドアノブから手を離したのか、抵抗が止んだ。
もしかしたら鉄パイプで木製扉を破壊するつもりかもしれない。
僕は距離をとった。
しかし、扉越しに感じる気配もなくなっていた。
僕は少し安堵して、茶の間に飾ってある額縁に気付いた。
結婚式に撮られた写真だろうか、礼装姿をした上品な男性と、ウエディングドレスを着用した綺麗な花嫁が、ツーショットで一枚に収められている。
あの化け物の若い頃の写真なのか、別人の写真なのかは、判別不能だった。
僕はキッチンへと通じる木製扉とは違う方のドアを開けた。
そこは何もない薄暗い廊下だった。
少し進むと右手に木製扉があって、そこをくぐると、食堂へと通じていた。
長方形のテーブルと、椅子が四脚ある。
四人家族だったのだろうか。そんな想像が頭をよぎる。
食器棚を開けてみると、茶碗や丸皿が散乱していて、破損している物もあった。
まるで震災直後のようだった。
ふーんと、腕を組んで思案に耽っていると、先ほど感じた強烈な殺気を背後に感じた。
それは食堂と廊下を隔てる木製扉から、びんびんに存在感を放っている。
ま、さ、か。
ドアノブが回った。
僕の両足は根が生えたように動かない。
木製の扉がゆっくりと開く。
僕は好奇心から目をくぎ付けにされていた。
化け物が、出現した。
だが、それの出で立ちはちょっと変わっていた。
老婆は鉄パイプではなく、スナック菓子の袋を持っていたのだ。
ガサガサと袋からポテトチップスを取り出して、パリパリと咀嚼し始める。
それから指に付いた塩や油をぴちゃぴちゃとなめとってから、
「オラのことを殺しに来たか!」
老婆はなぜかヒステリックに喚き始めた。
殺しに来ただと?
それはお前だろと僕は思った。
「殺してみろッ!」
レース素材のオールインワンの服を着た化け物は、両手を広げて挑発してきた。