第三章 賢者の里 サラーニーへの旅 - 5
峠越えの道程も、あと一歩!
明日の朝には峠を越えて、賢者の里へ入れるぞ!
……と余裕たっぷりで野営に入ったケンタロウ一行。
しかし……その夜、彼らの身に降り掛かった出来事とは?
「あ…………あ…………あ…………」
体が動かない!
意識は覚醒してるのに、体が動かない!
(金縛りか?)
違う。
――――体が冷え切っているんだ! 寒さで筋肉も硬く凍りついている!
かろうじて動く眼球で左右を窺ってみれば……
「嘘!?」
昨日とは風景が一変してる!
広がってた緑の森が一面、白で塗りたくられてる!
(なんだこの白さは?)
雪? ……いや雹か?
「ケンタロウ様……」
隣のハンモックで寝ていたキィロも、体の自由が効かない様子。
青白い唇で、かろうじて僕の名を呼んだ彼女は、
「くっ!」
必死の思いでハンモックから転げ落ち、震える手でシールを取り出す。
「手を…………ケンタロウ様……」
彼女に求められるまま、僕が右手を垂らすと、
「権能せよ」
キィロが僕の右掌に貼ったのは、火球【ファイアボール】のリマンシール、
「ファイアボール!」
凍りついた喉を振り絞り、左手を空にかざせば、
ゴオッ!
放たれた火球が広葉樹を焼き――季節外れのクリスマスツリーが燃え盛った!
「舐めてた……山の天気を舐めてたたたた……」
腐っても二千メートル級の峠なんだ、当然、天候の急変も起こりうる。
しかしまさか、一夜にして雹で真っ白の世界になってしまうとは……
「危うく凍死するところだったたたた……」
賢者の里へのデスマーチが、本物の葬送行進曲に転調してしまうところだったよ……
「誠に申し訳ありません、ケンタロウ様まままま……」
「キィロが謝る必要はないよよよよ」
元はと言えば無理な旅程を強いた僕の責任だ。僕が元凶だ。確実に僕が悪い。
広葉樹を丸々一本燃やして、ようやく唇の震えが止まると――――
ひし!
互いの体温を確かめるように抱きしめる。
(あたたかい!)
頬をスリスリすれば、伝わってくる命の温度。
生きてるって素晴らしい!
キィロの耳も無事に解凍されて、いつもどおり感情豊かにピョコピョコ動いてる。
尻尾もブンブン振って無事をアピール。
「助かった!」
「ケンタロウ様!」
涙目で抱き合う僕とキィロ。
彼女が決死の思いで貼り付けてくれた魔術回路のお蔭だよ!
凍りかけた僕らが【 解凍 】できたのは!
何も熱源がなかったら、今頃、間違いなく凍死…………あっ?
「そういえば……エマーソンレイクとパーマーは?」
「壱号! 弐号!」
慌てて、象たちが休んでいた場所へ向かうと、
「ああ……」
巨大な雪見大福が二つ、鎮座してる!
「壱号! 弐号!」
広葉樹の枝で、象たちに降り積もった雹を払ってあげたが……
ぱおーん…………
か細い鳴き声で生存を知らせる壱号と弐号。
よかった、死んではいない。
ぱぉー……
いないけれど……哀しいくらいに弱々しい声……
「大丈夫か? 動けるか?」
氷みたいに冷たくなった身体を擦っても、二頭は微動たりともしなかった…………………
「すぐに暖めないと! キィロ、ファイアボールのリマンシールは?」
「あれが最後です……」
この世界の魔法はシステマチック。
プリントされた魔術回路を皮膚に転写するだけで、素養がない者にも魔術を扱える。
扱えるのだが……
そのシールは使い捨て。
ひとたび能力を発現させたら、効力は消えてしまう。
魔術師顔負けのファイアボールを未経験者でも撃てるが、それも全て、お手軽に転写できる魔術回路のお陰。
シールの在庫が魔法の切れ目だ。
「どうする? どうしたらいい?」
このままでは壱号と弐号は寒さ耐えかねて死んでしまう!
象は元々温暖な地域に生息する動物だ。こんな気候には、おいそれと適応できないぞ!
どうしたらいいんだ? 僕に出来ることは何かないか?
「……ケンタロウ様」
狼狽えるだけの僕に対し、神妙な顔で彼女が告げた。
「キィロ?」
「ケンタロウ様……行きましょう。私たちだけで」
「何を言ってんだキィロ!」
僕が最初から外していた選択肢を、彼女はズバリと告げてきた。
「もう一度、寒気に襲われたら――今度こそ凍死です、私たちも」
分かってるよ! そんなこと分かってる!
だけど!
だけど!
「象たちを見捨ててくのか?」
ここまであんな尽くしてくれたのに!
そんなの悲しすぎるよ!
「ケンタロウ様……私たちまで道連れにして……象は喜びますか?」
キィロの淀みない単刀直入に僕は言葉を失った。
「でも……だからって……」
理路整然とした彼女の言葉。否定する根拠は、どこにも見当たらない。
僕の拒絶など駄々っ子の地団駄に等しい。
雪雲の合間から差し込んでくる陽光。
「夜が来る前に峠を越えましょうケンタロウ様。少しでも体力があるうちに」
この機を逃せば、食料も乏しい中で絶望のビバークを採らざるを得ない。
もし日が傾きだしたら、僕らの生存確率もグッと下がってしまう。
だけど!
こいつらを見捨てて行くなんて…………
「キィロ、もう一度リマンシールを見せて!」
往生際が悪い僕の――最後の悪足掻き。
貪るようにシールを確認しても……ファイアボールは見当たらなかった。
残ったリマンシールといえば、「肩こり・腰痛が緩和される」「四十肩・五十肩に効く」「お通じ改善」「マイナスイオンが発生する」「水素が水に入ってる」「コラーゲンでお肌プルプル」……
なんだ?
「なんだこの悲惨なラインナップ????」
絶望的な品揃えじゃん!
「私のせいです!」
泣き崩れるキィロ。後悔してもしきれない! とでも言わんばかりの勢いで。
「賢者さんが喜びそうなものばかり選んでしまって……肝心な時に役に立たないものばかり!」
そりゃ仕方ない、あの仙人みたいなポスターを見せられたら、そういう発想へ至ってしまうのは無理ないって。シルバー世代なら大喜びの品揃えだもん。
「申し訳ありませんケンタロウ様! 全てこのキィロのせいです!」
「ちがう」
僕の優しい添乗員さんは、顧客を満足させようと心を尽くしたんだ。
それを誰が責められるというのか?
「キィロは間違ってない」
仙人みたいな賢者の喜ぶ顔を想像しながらリマンシール選んだ彼女は、本当に優しい子だ。
だから僕は君の献身に応えるよ。
「行こう、キィロ。僕ら二人で、峠を越えよう」
いくら象たちが可哀相であっても、僕は選択しなくてはならない。
「じゃあな壱号……弐号……」
つらい。
本当につらい。
身を斬られる思いだ。
もう鳴き声すら上げられないほど弱った象たちが、不憫でならない。
「…………」
だけど、ここで僕が出来ることはもう何もないんだ……
許してくれ、非力で無力な僕を許してくれ……
願わくば天国で安らかに……
――ポロリンチョ。
「…………ん?」
振り向きざまに、キィロのポシェットから何かが落ちた。




