第三章 賢者の里 サラーニーへの旅 - 2
どうも賢者の里は、峠を越えたところにあるらしく、
その峠も、結構な山脈の間を縫って行かないといけない様子。
でも、そこは我らが添乗員さん、
キィロが上手いこと移動手段を手配してくれるので、僕は大船に乗ったつもりでマーケットを見物していたら……
思いもかけない「売り物」に出会ってしまったのでした。
一昼夜降り続いた雨は、激しい暴風を伴った嵐だった。
旅館に缶詰のまま、僕らは予定外の足止めを食らってしまった。
雨の合間、キィロは僕をチチカステナンゴの郊外へと連れ出して、
「――あれですケンタロウ様」
百聞は一見にしかず、とばかりに作業中の農夫を指差した。
「牛?」
特に何の変哲もない農村の光景じゃないか? 使役牛が鋤で田んぼを耕してる。
「べごはまんず、ありがだいつくしょだず!(※牛は本当に便利な家畜ですよ)」
お百姓さんの奥さんだろうか?
小さな鹿か猪みたいな獣に弁当を載せ、夫の元へやってきたお母さん、牛に手を合わせながら、しみじみと呟く。
「それ、改めて拝むほどのことですか?」
人類が牛が家畜化した当初から、至極当たり前の光景では?
「こごらのべごは、すんぺたで象の半価値もねぇべ(※在来の牛は貧弱で、象の半分も働きません)」
「え?」
「まんず、やじゃがねな~(※実に、役に立たない家畜ですよ)」
とかお母さん、自分が引いてきた小さな獣を評価した。
「これ? これが牛!?」
いや、牛だ!
よく見ると確かに牛だ!
個々の部位は僕らの知る「牛」そのもので……ただ大きさだけが小さい!
サラブレッドに対するポニーとかミニチュアホースみたいな感覚……
(こ、これじゃ、向いてないな……)
これは力仕事には向いていない。それは素人の僕にも一目瞭然だった。
「それに比べて……」
旦那さんと田んぼを耕してる牛は、在来種に比べて一回りも二回りも大きく、筋骨隆々。
例えるなら、軽自動車とブルドーザーくらい違う気がする。
「あれはフラムドパシオン種といって、聖ミラビリス王国の畜産研究所が改良した品種なんです、ケンタロウ様」
「こんな田舎にも賢王の恩典……」
前近代の農業は労働力に大きく依存する。
ならば、農耕用家畜の改良は、生産性に大きく寄与するはず。
「王様のべご、ほだいくさばやんねくてもはだらぐがら、たすかっず~(※フラムドパシオン種は飼料を抑えられるので、大変助かっております)」
「そりゃ、比較対象が象なら全然違うでしょうね……」
「はいつぱり? てすんぱいなるぐらいだ(※それだけでいいのか? と、こちらが心配になるくらいの量で済むのですから)」
どう考えても、象の方がパワーは有る。
パワーはあるけど……時に農作業では持て余してしまうほどだろうし、仮に力をセーブしたところで食べる量は変わらない……
「つまり、王様が開発した【新型】は、コストパフォーマンス抜群で、農家の身の丈に合ったベストツールだったってことですか?」
「んだなっす(※貴族様の仰るとおりです)」
(だとすれば……)
象たちがマーケットで投げ売りされる状況も、納得できようもの。
象に罪はない。
ないけれど、農家の人たちに時代遅れの不便さを強いる権利もないのだ、誰にも。
人には須らく、幸福追求の権利がある。
どの世界であっても、それを阻害するのは間違っている。
でも……
象だって生きているんだよ……
壊れたら、ハイそれまでよと打ち捨てられる消耗品とは違う。
「あのよ貴族様よぅ」
「はい? なんでしょうお母さん?」
「王様さ会ったら、ゆてけろな(※陛下に御目通りなさった際に、伝えて頂けませんか?)」
「どんなことでしょうか?」
「おらだ百姓、べごけだ王様ばまいぬじ拝んでんだ(※私たち農家は、精強な牛を与えてくれた賢王に毎日感謝を捧げています)」
こんな人たちを誰が詰ることが出来ようか。
☆ ☆
「この聖ミラビリス王国では、つい最近まで、農耕用に様々な動物が用いられてたんですよ」
稲作地帯からチチカステナンゴへ戻る道すがら、キィロが解説してくれた。
「他に選択肢がない地方ではレッドス・ネークの幼体まで飼養してたとか」
「あんな凶暴なドラゴンを????」
闘技場で痛感した凶暴性からは、にわかには信じがたい話だよ……
「それぞれの地方で、ゴブリンやオーク、暴れ牛鶏にイエティ、マドハンド、サイクロプスまで、四苦八苦しながら導入してたんですが……どれも一長一短。巨大だったり、気性が荒かったり、病気に弱かったり、不真面目だったり、と難点も多く……」
「だろうな~」
「そんなお百姓さんたちの悩みを一挙に解決したのが――」
「フラムドパシオン種の牛か」
「賢王陛下から下賜された【種】は精強にして従順。そのため、瞬く間に旧来の農耕獣を駆逐してしまったのです」
「なるほど……そういう経緯だったのか……」
「このチチカステナンゴ地方では、象が農耕獣に用いられていたんですね……」
街へ戻ると、マーケットの端っこに、依然として新しい飼い主が見つからない象が佇んでいた。
「ねぇ、キィロ。あの象たちを野生へ返してあげられないのかな?」
「無理だと思います。あそこまで人に馴れてしまった個体は、たとえ山に放しても、人里へ戻ってきてしまいます」
いくら賢い象であっても、人と野生の間には軋轢がつきもの、ってことか。
「仮に、もし一度でも、何かの拍子に村人の生命財産が脅かされてしまったのなら……」
それこそ憎しみを以て狩られてしまう。
公然と殺処分されてしまう。
「そんなの悲しすぎるよ……」
これまで何代も人間と持ちつ持たれつの共生関係を歩んできた動物が、
最期は憎しみの銃弾に倒れてしまうとか!
「誰も悪くないんです。ケンタロウ様」
引き金となったのが賢王の善政、というところも理不尽さを倍加させる。
良かれと思い差し伸べた手が、こんなにも哀しい構図を生んでしまったとか……
「あちらを立てればこちらが立たず……」
――とかくこの世は難しい。物事が複雑に絡み合い、あらゆる人々を丸く収める施策なんて、ありえないんだ。
(だからこそ、優先順位を間違えちゃいけない!)
不憫な象も助けてあげたいが……まずは【人を助ける】ことを優先しないと。
タイムリミット(年貢の徴収期限)――タイムリミットは近い。
ラタトゥイーユさんの運命は待ったなしだ。
――再び降り始めた、冷たい雨。
雨ざらしの象たちに胸を締めつけられながらも、僕は心を鬼にした。




