第一章 レッドス・ネークって何の肉? - 5
逃げられる、今なら逃げられるのに……
視界に入ってきた、「彼女」の姿!
どうする健太郎?
彼女を見捨てて逃げるのか?
だって、そんなの、ドラゴンに生身の人間が立ち向かって勝てるはずもないのに!
「だからって!」
(見捨てて逃げられるかって!)
数限りなく浮かんでくる合理的理由を振り切って――――僕は走った!
何の遮蔽物もない闘技場へ飛び出した!
無謀な試みと分かってる。
割に合わない行動だと。
運命の損得勘定は大赤字もいいところだと。
でも!
ここで逃げたら絶対後悔するって!
そもそも僕の人生、コストに見合った報酬など得られたことはない。
(なにせ生粋の社畜だからな僕は!)
サービス残業だけで何ヶ月も遊んで暮らせるよ! もし貰えるものなら、ね!
だから!
(――コストなんて気にするな!)
どうせ僕の人生、ハズレくじまみれ!
それなら信じろ!
自分が正しいと思うことを信じるしかないじゃないか!
「脈は……ある!」
良かった!
「君! ねぇ君ってば!」
大声で叫べば龍に振り向かれる。
必死に体を揺すって呼びかけてみるも……彼女は意識を戻さず。
「畜生!」
こうなったら力づくか? 社畜には最も苦手な分野だぞ?
「重ぅい!」
女の子だって重いものは重い!
気を失った人間は特に重い!
呑み潰れた先輩たちを何度も介抱したから分かる。会社の飲み会で。社員旅行で。
でも泣き言など言ってられない!
腋の下に手を入れ、力任せに彼女を引きずっていく!
バックヤードへ!
あの関係者用通路へ引き込めば僕らの勝ちだ!
(早く! ……早く早く! はやーく!)
龍に気づかれる前に収容するんだ!
「ヒッ!」
でも、
――そうは問屋が卸しちゃくれなかった!
(目が合った!)
ヤバいヤバいヤバいヤバいヤバいヤバいヤバーーーーい!
あの巨体には、闘技場なんて公園の砂場に等しい!
ものの数歩で簡単に追いつかれる!
「うぉぉぉぉぉぉ!」
もう形振り構っていられない!
彼女を強引に背負い込むと、力の限り全力疾走! 振り絞れ! 死にたくなかったら!
「はぁ! はぁ! はぁ! はぁ! はぁ! はぁ! はぁ! はぁ! はぁ! はぁ!」
バックヤードは狭い。観客用の通路より、かなり狭いのが楽屋裏の常だ。
人ですら狭く感じるなら、ドラゴンなど言わずもがな。
この狭さが僕らの盾となる。
(でも!)
奴には最恐の飛び道具がある!
あのファイアブレスをバックヤード(こちら)へ向けて吹かれたら、ひとたまりもない!
「起きて! 起きてよ君! もう一回あのバリアを! 魔法障壁で僕を守ってよ!」
いくら頬を叩いても、彼女は目覚めぬ白雪姫。
「ああもう、こうなったら!」
無許可で彼女の軍服を弄ると……
「あった!」
予備カードが胸ポケットに。
「確か、こうだよな?」
台紙からフィルム状の「回路図」を剥がし、自分のオデコに貼って――――
「権能せよ! ――リマンシール!」
闘技場での彼女の【作法】を見様見真似で叫んでみた!
……すると、僕らを包み込むように、光放つ魔法陣! 周りを飛び始める発光物体!
「成功だ!」
僕にも使えるんだ? 魔法って僕にも? 初めてなのに出来ちゃった!
「これで助かる!」
さっきのデモンストレーションの再現だ!
猛烈な火球もマジックシールドが弾いてくれるはず!
「グルルル……」
咀嚼するように、腔内で火種を育てたドラゴン……満を持して火球を僕らへ浴びせつけてきた!
ゴォォォォォォォォッ!
「うわぁぁぁぁぁぁ!」
西部劇の草並みにゴロンゴロン、吹っ飛ばされた! バックヤードの奥へ向かって。
「……そうなるのかよ……」
火は防げた。
火傷や炭化の痕は全く見当たらない、僕の身体にも、軍服の彼女にも。
なのに、さっきみたいに華麗に受け流せなかったのは………ブレス。
ブレスの風圧が段違いだったんだ。
拘束具でキツく縛られ、軽いゲップ程度しか吐けなかった状況と、
全身の肺活量を思い切り使える状況では、ドラゴンブレスの風量は別次元だった。
デモンストレーションは、あくまでデモンストレーション。
火力を調節したスタントショウだもの。
「ぐはぁ……」
いつも僕はこうだ。
取り返しがつかなくなった後で「そうだったのか……」と理解する。
だから僕は駄目なんだ。
間が抜けているし詰めが甘い。だから勝ち組として残れない。
木っ端微塵の勢いで通路の壁に叩きつけられ、痺れが身体を支配する。
彼女のポケットからシールを摘み出して台紙から剥がす。その程度のことすら、夢のまた夢だ。
「畜生……」
今の僕は、かろうじて意識を保つだけの木偶の坊だ。
(……情けない……)
「僕にも魔法が使えるぞ!」とか調子に乗ったら、この有り様。
情けなくて涙が出る、我ながら。
対して、アイツは元気ハツラツ!
地下通路の壁を豪快に粉砕しながら、こちらへ向かってくる。
これじゃ喰われるのも時間の問題、
火炎ブレスで黒焦げになるか、生きたままバリバリ喰われるのか、破砕された壁の落石でペシャンコになるか――いずれにしてもバッドエンド!
「もうダメだ!」
『賢王が治める幸福な国で、ノンビリとバカンス』なんて嘘ばっかり!
いきなり龍に襲われて死んじゃいそうなんですけど?
こ、こんなの聞いてないよ王様!
つくづく僕は運がない。
せっかく入社した会社は稀に見るブラック、嘘みたいな搾取環境。
心を病む寸前まで過重労働させられ、ようやくそんな日々から解放されたかと思ったら……
転生した途端、焼死? ジャンヌ・ダルクも真っ青の黒焦げ死体に?
いやだ! そんなのイヤだよ! 誰か、助けて!




