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カッカッカ! カッカッカ!
それは特徴的な鳴き声を上げながら、木の間から染み出すように現れた。
テツは直ぐに気が付かなかった己の間抜けさに歯がみし、コリンは惚けたようになんだこりゃと呟き、ラトランは軽く息を飲み全身に力をみなぎらせ、猟師は小さく悲鳴を上げて腰を抜かして尻餅をついた。
それは細長い体躯に不格好に短い胴体を待った不気味な蛇のような姿をしていた。
蛇と違う点を上げれば四本足で歩いている事と、長い首の先に付いている頭が蛇のような平べったい物ではなくトカゲに良く似た形であり、そしてその全身をゴツゴツとした鱗で覆っている事だ。
そして何よりどんな大蛇よりも巨大な事だ。
その名はレトゥラトス、ラテン語やギリシャ語、英語が入ってくる前の古い帝国語で、地を這う竜という意味だ。
「地竜の糞だとすぐに気が付くべきだった」
悔恨が思わずテツの口をつく。
他の竜種と違い、地竜は人と接触する機会が比較的多い、その為に記録としてはそこそこ残っているのである、その糞がまるで水晶のようだ、等と。
知識として知っていたのに、とテツは猛烈に後悔しながら猛然と頭を働かせる。
レトゥラトスは今まで喰ってきたゴブリンとは違う大きな体をした黒い巨人と、ゴブリンよりかは大きいが柔らかそうな人間を警戒してか、水晶を間に挟んで伺うようにその硬質な瞳を向けてくる。
時折カッカッカ! と威嚇するように鳴き声を上げる度に、テツに然程の猶予は無いと思わせる。
「コリン、ラトラン、俺の合図で三方に分かれて逃げるぞ」
決断に迷いは必要なかった。
「コリンは右手にラトランは猟師を担いで背後に俺は左手に逃げる。全力でフレイの所に戻って残りの者を待たずに撤退するように言え」
「俺、足止めします」
ラトランが当然のように言うがテツは首を横に振る。
「駄目だ、竜相手に一人二人で稼げる時間なんてたかが知れてる。重要なのはフレイに報せて撤退させる事だ、反論は許さない」
ラトランが不満げに息を吐くがテツは無視し、まだ状況について行けてないコリンに声をかける。
「分かったな? コリン」
コリンが弾かれた様に頷き返す。
よし、テツが短く呟くと同時にレトゥラトスが鎌首を上げる。
「今だ! 行け!」
テツはそう叫ぶと全力で森へと走った。
レトゥラトスは鎌首を上げ、獲物に向かって突進しようとしたその瞬間に、三方に分かれて逃げ出した獲物を前に一瞬だけ逡巡した。
どれもゴブリンよりも食いでがあって襲うに十分な獲物であった為に迷ったのだった。
それに黒い方は固そうではあったが魔石の匂いがした、肉も食いたいが魔石も喰いたい。
レトゥラトスは瞬き程の一瞬迷い、獲物を決めた。
カッカッカ! 狩りの楽しさに鳴き声を上げる。
レトゥラトス、森に生息する竜でありヨーロッパ地域などに広く生息している。
他の多くの竜種と違い生息地域が人間と重なる事があり、目撃される事がもっとも多い竜である。
といっても基本的には人が立ち入るのも難しいような森に生息している為、竜種の中では比較的多いという程度である。
性格は極めて凶暴で、魔石の他に好んで肉を食べる為に時折人類に大きな被害を与える竜としても有名である。
目撃数の多さに比例するように討伐数も竜種の中ではダントツに多く。
噂程度の物まで含めるとかなりの数になる。
だがテツが知っている確実な討伐談では、その全てで討伐には軍が必要だった。
テツはレトゥラトスが自分に狙いを定めたのを直感的に悟った。
全力で木々の間を走り抜けながらテツは自分の運の無さに絶望的な諧謔を見いだしそうになる。
幾ら何でも笑えない。
ツイてないにも程ってのがあるだろう。
テツは自分を追いかけてくるレトゥラトスの特徴的な鳴き声と、その細い体躯を木に擦りつけながら走る為に鳴る、木が削れる気味が悪い音に急かされながら自分の運の無さを呪う。
やはりコリンとラトランに足止めを頼むべきだったのだろうか? 指揮官として自分は甘かったのだあろうか?
そも現地調査は部下に任せるべきだったのか?
いや、違う違う、もし部下に任せていたら、他の誰かにどの部下を切り捨てるかなど決断させる所だったのだ。
そうさせなかっただけで俺は幸運だ。
ああ糞、成人前の十五歳が何故こんなにも重たい悩みに頭を悩まさねばならないのか?
これも全部フレイのせいだ。
嫌やはり俺は間違っていない、フレイだ、アイツの安全が最優先だ、だったら竜寄兵の方がずっと早く森を出られるハズだ。
嗚呼糞、嗚呼糞、嗚呼糞。
テツはいい加減考えるのを止めて走る事に集中する事にしたが、自分がかなりマズい状況であるという事に焦りを感じる。
このまま逃げ続ければ、たとえ逃げ切れたとしても森で迷う事になる確信があった。今ならまだあの広場へは戻れそうだが、そうする為には背後から追いかけてきている竜が邪魔だ。
ああ糞!
八方塞がりじゃねぇか!
テツが叫び出したい衝動を感じると同時に、背中に悪寒が走った。
直感に頼ったというより祈ったに近かった。
フレイより下賜された黒い腕甲に包まれた右腕を目の前の木に伸ばす。
僥倖!
指が丁度良い引っかかりを掴み、勢いそのままに木を中心に半回転する。
瞬間、テツの眼前から木が吹き飛んだ。
カッカッカ!
それは竜の爪だった、森の中、いたる所に木がある場所で竜は跳躍し、その必死の爪をテツへと振るったのだった。
テツは馬であればその場で死ぬだろう勢いで木にぶつかりへし折りながら転がっていくレトゥラトスの巨体を見ながら、自分の運の良さに感謝した。
一瞬の忘我。
テツは元来た方向へと再び駆けだした。




