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テツが馬車の中でクエルとピレの楽しげな会話を聞きながら、現地での警護の順番やその人選をどうするかと考えていると右手の木窓がノックされた。
木窓は流石に冷えてきたのかフレイによってずいぶん前に閉められていた。
フレイが躊躇無く木窓を開けると、そこには身を屈み覗き込むレイドリックの顔があった。
馬車に併走しながら難なく身をかがめて併走するその姿は外から見れば、そのオーガの如き巨体以上に異様そのものだろう。
レイドリックには隊列の指揮のために最後尾を竜を纏って付いてきて貰っている。
何かあったのだろうか、とテツはフレイの方へ身を詰める。フレイも同じように窓へと身を詰める。
互いの体温が感じられる程に密着する事になったがテツもフレイも気にしなかった。
レイドリックが口を開いた。
「兄貴、姫さん、先頭の馬車から救難信号の旗が出てたんで確認してきだんですが」
救難信号、テツとフレイは顔も触れんばかりに窓に顔を寄せ合った。
ピレが声にならないあえぎ声のような物を発していたが二人は耳にも入らなかった。
「いえ緊急事態ってワケでもねぇんですが、許可が頂ければ早急に休憩を取らしたいんですが」
なんだそんな事か――テツは安堵の溜息を吐いた。
「分かった、レイドリックの判断で頼む」
「わかりやした」
そう言ってレイドリックは馬車を追い越して走って行った。
テツとフレイは緊張を解いて元の位置へと戻った。ピレが見てはいけない物を見てしまったと真っ赤な顔で口をパクパクと開き、クエルはニコニコと満面の笑みを浮かべていた。
何だ? テツは意味が分からず小首を傾げた。
レイドリックが休憩をと言ってきた時、テツは行軍を開始してまだ三時間も過ぎていないのに、と思った。
思ったが確かに竜を纏った状態での長距離の行軍というのも初めてなわけで、確かにここらで一度兵達の様子を確かめておくのも悪くない。
やはりレイドリックは頼りになるな、とテツは見当違いの事を考えていた。
その勘違いは休憩の為に立ち寄った郵便馬車用の馬車駅で解けた。
どこだココ。
テツはローマ街道を真似て建てられたマイルストーンを見上げながら思った。
マイルストーンには帝都までのマイルストーンの数と管理する王国の王都までの本数が書かれている。
現在テツ達は西側へ、帝都からも王都からも離れる方向へ向かっているので、その数字は増えていく一方なのだがその増え方がおかしかった。
その数六十である。
マイルストーンは大凡二キロメートル毎に設置されているので、テツ達は実に百二十キロ以上の距離を進んだことになる。
テツの予定では初日に泊まるはずだった町を過ぎてしまっている。
この距離は帝国郵便馬車が一日かけて進む距離に近く、テツ達の行軍速度は軍の急使が馬に無理をさせて出す速度に近い物だった。
その速度はまさに今回の出来事でテツ最大の誤算であった。
テツはその速度に思い至り青い顔で随伴の竜寄兵達を見た。慣れない箱馬車に乗り速度の感覚が分からなかったとはいえ兵達に酷い無体を働いたと思ったからだ。
目に入ったのは特段なんの異常も見せない二十名の竜寄兵の姿だった。
青い顔から意味が分からないという顔をしていると背後からレイドリックが声をかけてきた。
「ですんで先頭の馬車からの救難信号だとお伝えしやしたでしょうや」
レイドリックはテツの誤算を分かっていたようで平然とした顔で親指で先頭の馬車を指さす。
まさか急病者でも出たのか。
テツはまたぞろ顔を青くして幌馬車へと駆け寄った。御者をしていた厚着の兵が「団長こんちゃーす」とお気楽な挨拶をしてくる。
テツは何をお気楽な事を言っているのだと、表情には出さず憤慨しながら幌をめくった。
そこに広がっていたのは予想外の兵達の姿だった。
「さ、寒い」
「風が、風が吹き込んできて、寒い寒すぎる」
「腰が、腰がやばい、振動が振動が」
「誰か団長に言って随伴を交代するように言ってこいってヤバいよマジで死ぬよこれ」
とガタガタと震えながら腰の痛みに呻く兵達の姿だった。
何が起こったのかをテツが察したのは、腰を押さえながら荷台に寝転び呻いているヴォラ・サムソン子爵を見つけてからだった。
想像力を少し働かせれば幌馬車の中が過酷な状況だったというのはすぐに分かった。
大きな板バネのついた箱馬車と違い幌馬車の乗り心地は良い物とは言えず、更には常識外の速度で走っていればその振動は相当な物であろう。
それに増して、幌があろうと冬間近の冷たい早朝の冷気が容赦なく吹き込んできただろう。
御者を勤めた兵はともかく、馬車に乗る兵達はちょっと厚着した程度の姿だった。
そりゃ寒いだろ、とテツは自分の思い至らなさに兵達には悪い事をしたとしきりに反省した。
寒さと腰の痛さに呻くヴォラをメイド達が使っている箱馬車へと運ぶように案内させると幌馬車内から不平の声が上がる。
「じじい騎士が逃げたぞ」
「裏切りだ、じじい騎士が裏切った」
「励まし合った仲じゃねぇかじじい騎士」
「畜生でも養生しろよじじい騎士」
ヴォラ子爵はまだ四十代だぞ、とテツは思いながらも何も言わなかった。
テツは突然、王国の姫と四十名もの兵が現れた事に目を白黒させている馬車駅の管理人に、毛布はないかと尋ね、あると答えられると相場より色を足した金額でそれを買い取って幌馬車へ届けさせた。
幌馬車から上がる歓声を聞いて、テツは本当に兵達に悪い事をしたと反省した。




