天才妹と凡才姉のよくある姉妹百合(仮)
天才は、短命である。
そんな、根も葉もない話に相応しく、私の妹は、去年の暮れの、珍しく雪がちらついた日に、ふと亡くなった。
享年17歳。
早生まれの妹は、高校3年生で、大学受験を控え、これから、約束された明るい未来に向かっているはずだった。
身内含め、周囲から慕われ、本人は決して天才だとひけらかすことはせず、歩く親切心を地で行く妹の死因は、誰もが納得するもので、轢かれそうになった少年を庇った、という御涙頂戴のストーリーだった。
…あぁ、先程の言葉を、少し訂正するならば。
妹を、『盲信的』に慕うのは、『私』という身内を除いて、ということになる。
「可哀想に…」
「まだ若いのに…」
「なんで、あの子が………」
「あの子じゃなくて……」
「どうして…」
「どうして、」
「どうして、死んだのは、貴女じゃなかったの?」
こうなることは、分かりきっていたことだけれども、それでも、直接言われるとは思っていなかった。
それを言ったのは、妹を『盲信的』に慕っていた、親戚の一人だった。
涙と共に零れたその言葉は、波紋を立て、濁流のように私に押し寄せる。
…あぁ、やっぱり。
妹は、大嫌いだ。
四十九日の親戚の集まりを終え、一人、喪服を脱ぎ捨てて、外に出る。
両親はまだ親戚の相手をしているせいか、帰宅していない。
「どうせ、また、私の悪口ばっかかな」
良くも悪くも、姉である私は、ただの凡才で。
両親は、直接は比べはしなかったものの、妹贔屓は火を見るよりも明らかで。
親戚一同も、鼻高々に妹を褒め称え、あわよくば妹のお眼鏡に叶おうと、必死に尻尾を振っている犬のようで、傍目から見ていて、とても滑稽だった。
しかし、
「…そういえば、なんで、私と一緒にいたんだっけ…?」
妹は、甘やかしてくれる両親や親戚一同ではなく、冷たくあしらっていたはずの私の近くにいた。
あまり話すことはなかったが、親戚との当たり障りのない世間話をした後は、必ず、別室にいた私の所に来ていたような…
「…別に、もう関係ないか」
死人に、口なし。
訳を聞こうにも、当の本人は、もう手の届かない所に行っている。
…まぁ、私も、もうそちらに行くのだけれども。
「あっちはどうせ天国だろうし、会うことはないだろうけど」
もし、死後の世界という概念の話があればの話だが、優秀な妹と凡人な姉、そして、人を助けて死んだ妹と自殺をした姉。
誰がどう見ても、妹は天国で、姉である私は、地獄行きだろう。
家を出てから、ここまでの道を思い返す。
もう、一生通ることない道、と考えると、少し走馬灯のように、過去を思い出す。
妹が天才と持て囃され始めたのは、5歳の頃。
姉である私の小学校時代の教科書に興味を持ち、私がそれを教えてあげたことをきっかけに…
「……私が、教えた、んだっけ」
それから。
私が教えたものをどんどん吸収していき、すぐに自分のものにしていって。
最初は嬉しくて、両親に、「私が教えたんだよ!すごいでしょ!」って言っていて。
「おねぇちゃん、おねぇちゃん!これはなにー!?」
「えっーとねー、これはかけ算って言って、こっちの数字とこっちの数字をねー…」
「みてー!できた!」
「すごいすごい!やっぱり天才だね!」
「ううん、おねぇちゃんがおしえてくれたからだよ!」
「お姉ちゃん、お姉ちゃん!ねぇねぇ、次はこれをおしえ…」
「うるさい!もう自分で出来るでしょ!?天才なんだから自分でやりなよ!」
「…お姉、ちゃん」
「…あの頃は、楽しかったな」
自慢の妹、だった。
それは、今も変わらない。
でも、それでも、妹の才能が眩しくて、羨ましくて。
何も無い私は、嫉妬するしかなかった。
「…なんで、忘れちゃってたんだろ。私が、天才って一番初めに言っちゃったのに」
思い返さなくてもわかる。
わからないところは、何度も何度も私や両親に聞いていて。
リビングにたまたま置かれていた教材やノートは、付箋やメモ書きがところどころに残されていて。
塾から帰ってきた後も、遅くまで勉強をしていて。
「…努力の天才、だったのにね」
妹は、多分、嬉しかったんだ。
姉である私や両親に褒められて、だから次も頑張ろうってなって…
「…もしかして、私に、褒められたかったから…?」
思い当たった答えに、ただただ呆然とする。
いや、そんな、馬鹿な。
否定しようとするが、どうしてもその可能性が消えてくれないばかりか、むしろ、確信めいた答えになろうとしている。
でも、それでも、もう。
「…戻れないよ」
もう、戻れない。
妹が抱いていた本心に気付いてしまっても。
私が踏み出そうとする、この一歩は止めることは出来ない。
「少し後悔してるけど、もう止まれない、私だって…」
もう、凡才だって言われることに、貴女の姉であることに、疲れたんだから。
「お姉ちゃん」
懐かしい声が、聞こえる気がする。
「お姉ちゃん、ってば」
久しく聞いていなかった、妹の声が聞こえる気が、
「お姉ちゃん、起きてってば!」
「…え?」
それは、幻聴でも幻覚でもなく。
身内贔屓を抜きにしても、可憐で少し大人びた少女が、私の妹が、目の前にいた。
「…な、なんで」
「あ、大丈夫だから。安心してね」
ニコリ、という擬音が似合う笑顔を浮かべ、妹はそう言った。
何が大丈夫なのか、よくわからないが、久しぶりに妹の顔を見て、何故だか涙が零れ落ちた。
「え!?お姉ちゃん!?な、泣かないで?!」
「…なんで、泣いてるか、わかんないから、無理」
妹から顔を逸らして、必死に涙を堪えようとしても、次から次へと溢れてきてしまう。
なぜ、涙が零れ落ちるのか。
もう、答えは、分かりきっている。
「…ごめ、ごめん、ごめん、ね」
「…え?え?な、なんでお姉ちゃんが謝ってるの?」
「ごめん、ごめ、ごめんなさい。ごめんね、おね、お姉ちゃん、ごめんね」
謝っても、もう、戻らない。
それでも、どうしても、目の前の妹に、そう伝えたかった。
「ごめ、ごめんね、こんな、こんなお姉ちゃんで。ごめん、なさい、ごめん」
「な、なんで謝るの?お姉ちゃん、私はお姉ちゃんがお姉ちゃんじゃなきゃやだよ?」
親が子を、子が親を、選べないように。
姉は妹を、妹は姉を、選ぶことは出来ない。
…もしも、もしも私が、妹に嫉妬しない、良き姉であれば。
「…いやだよ、私のお姉ちゃんは、お姉ちゃんしかいないもん」
私の心の内を見透かしたかのように、妹は、急に抱きつき、そう言った。
「だって、お姉ちゃんが、最初に教えてくれて、褒めてくれたんだもん。お姉ちゃんだからだもん、お姉ちゃんじゃなきゃ、やだもん……」
妹の声は段々と震えていき、鼻をすする音が混じっていく。
二人で、こうして泣くなんて、こうして話すなんて、いつぶりだろう。
泣きながら、頭の片隅に、そんな思いが浮かんでいた。
「…ごめん、今更こんなこと言って」
「ううん、お姉ちゃんの本心が聞けて嬉しかったよ」
ようやく涙が収まって、二人して顔を合わせて話す。
こうやって、顔を合わせるのは、本当に何年ぶりだろうか。
昔は、ずっと、ずっと一緒に、隣にいたはずなのに。
「お姉ちゃん、心配しないで」
また俯いてしまった私の手を、そっと妹が握る。
「…ちょっと、っていうか、すごく痛かったけどさ、でも、私、楽しかったもん。お姉ちゃんとあんまり話せなかったけど、でも、それでも、最期にまた話せたし…」
「最期…」
覚悟は、していたはずなのに。
いざ、目の前で事実を突きつけられることに、どうしてこうも私は弱いのだろうか。
「そうだよ。だって、お姉ちゃんは、まだ死んでないもん」
「…え?」
鳩が豆鉄砲を食らったような顔、というのは、今の私のようなことを言うのではないだろうか。
現実逃避で、そんなことを考えて。
「し、死んでない…?冗談、でしょ…?」
徐々に、妹が言ったことに対して、思考を回転させる。
だって、私は、
「…飛び降りたんだよ?ほら、昔よく遊んだ、公園の奥にある、あの崖。ちょうど、雨でぬかるんでるから、事故に見せかけて…飛び降りて、飛び、降りて…」
確かに、私は、一歩を踏み出したのに。
「痛く、ない…?そ、そりゃあそうだよね、だって、もうしんで…」
「お姉ちゃんは死んでないよ!死なせるわけないじゃん!!」
そう妹は叫んで、私に抱きついてきた。
「大丈夫だって、言ったでしょ?あのね、よくわからないんだけど、私は本当は死ぬ時じゃなくてね、手違いだったんだって。でもね、私死んじゃったから」
わからない。
妹が何を言っているのか、わからない。
「だからね、もし、もし、私の大切な誰かが死にそうになっちゃったら、私は無理だけどね」
嫌だ。
聞きたくない、嫌だ。
「私は無理だけど、その私の」
お願いだから、
「大切な人はね、一人だけなら、助けてあげられるって」
…あぁ、神様。
「だからね、お姉ちゃん」
「…私の分まで、生きてね」
そう言った妹は、涙でぐしゃぐしゃになりながらも、私の幸せを無邪気に願う、そんな笑顔だった。
私が、貴女の本心に気付けなかったのと同じで。
貴女も、私の本心に、葛藤に、絶望に、気付いてはくれなかった。
その日は、朝から薄暗く、黒に近い灰色の雲が空を覆い隠していた。
何年か前と同じように、雪がちらつき、灰色の墓石を濡らしていく。
私の名が、いつまでも加えられない、墓石を濡らしていく。
何度も、何度も何度も、この日を通り過ぎていく。
あれから、ずっと。
私は、貴女の願いで、生き続けている。