夢みたい
5分後くらいにダン爺が現れた。
ダン爺は石爺に深々と頭を下げて暴力団から逃げられるようにしてくれたことを「命の恩人だ」と言った。(「ももしお×ねぎま」のストーリー)
「ダン爺、オレ、したいことした。そんだけだ」
なんとも石爺らしい言葉。
そして話が始まった。
「今日は石野さんに聞きたいことがあったんです」
オレはダン爺と石爺が会うセッティングを任されただけ。だから帰ろうとした。
「それじゃ、僕達はこれで失礼します」
席を外すつもりだたのに、引き止められた。
「皆さん、いてください」
そう言われて、部屋の隅に4人で腰を下ろした。狭いから荷物は各自膝の上。更にダン爺が政治家ってこともあるからか全員コンパクトに正座。罰受けてるみたいじゃん。
部屋の真ん中の万年床に石爺、その傍らにはダン爺。
いいの? 安楽死の話なんて聞かれて。さすがにダン爺の話の中身までは、ももしお×ねぎま、ミナトに伝えてないんだけど。
「おう、ここにいろ、いろ。お菓子も食え」
石爺は笑って、万年床の横にあった、えびせんや麩菓子を勧めてくれた。チョイス渋っ。つーか、この部屋にあったってだけで、オレ、食えねー。封開いてっじゃん。Gが遊びに入れる状態じゃん。
「石野さん、私は石野さんの気持ちが知りたいんです。
もし、もしも石野さんが、治らない病気になって、痛くて苦しく、それが死ぬまで続くって分かってたら、死にたいですか?」
いきなり本題キター。
「あたりまえだろー」
「そうですか。
じゃあ、動けなくなって、寝たきりになったら? 競馬も酒もタバコもできなかったら?」
「テレビは早くて。難しいからな。
ただ寝て空、見る」
「毎日? ずっと?」
あ、オレ、正座ムリ。体育座りに変更。
ももしおは、四つん這い状態で手をのばして、すすすーっと封を開けてあるか麩菓子の袋を引き寄せている。食うの?! 食えるの?! 麩菓子と一緒にGが入ってるかもしんねーのに?
「ずっと。ずーっと。そんでさ、楽しいこと、いっぱい考える」
「どんなことですか?」
「ん―――。オレ、おっかぁが好きやった。優しかった。
周りの子はな、オレがしゃべっても、どっか行った。でも、おっかぁは、ちゃんと聞いてくれた。いっぱいできんことあってさぁ、オレ。
おっかぁ、ゆっくりでええって、待ってくれた」
「優しい、いいお母さんだったんですね」
隣のももしおも、体育座りに変わった。それ、前からだったらパンツ全開じゃねーの? ってか、話聞けよ。麩菓子なら、後で買って食えよ。
「おっかぁは優しかった。……なのに、オレがこんなで、おっとぉ、どっか行った。
昔はなぁ、女は仕事なかった。そんでも働いて。
オレも働いた。でも、すぐ、おっかぁが謝りに、謝りに、行った……」
石爺は、声を詰まらせて泣き出してしまった。
「石野さん、お母さんのこと大好きだったんですね。きっと、お母さんも石野さんのこと大好きだったんですよ」
汚れて黒いしわしわの手で涙を拭う石爺。それでも涙は後から後から湧いてきて、石爺が穿いていたグレーの作業ズボンにぽつぽつと水玉模様を作っていった。
「働いて、旨いもんも食わず、いいべべも着ず、働い……て。謝って、謝って、最後までオレんこと心配して、死んだなぁ」
ダン爺は臭いを放つ小汚い石爺を抱いた。
「辛いことを思い出させてすみません」
いつかミナトが言っていた。石爺のこと『とても順風満帆な人生を歩んできたとは思えない』って。
きっと、社会から疎外された石爺は、母親が人間関係の大部分だったんだろう。
「いいこと考えようとしたのになぁ。いいこと思い出すと一緒に、悲しいこと思い出すなぁ」
「すみません。私が聞いたから」
「嫌なことは胸ぇ、痛い。鼻と喉も痛くなる。なんでかなぁ。
いいことより、嫌なことの方が多い。なんでかなぁ。
雨の日は、嫌なこと思い出す。雨んとき外で寝るとケツが濡れて。そーゆー日は、消えたくなる。……消えたい」
ずずーっと石爺は鼻をすすった。
「……消えたいですか? 動けなくなったら消えたくなりますか?」
「動けてもなぁ。そーゆー日がある。食って、寝て、競馬して、酒飲んで忘れる」
目の前にいる2人の対照的な老人。
恐らく小さなころから華々しい栄光の人生を闊歩してきたダン爺と、恐らく世間の片隅でひっそり生きてきた石爺。
その2人が抱き合うのは、奇妙な光景だった。
「住むところやお金があってもですか?」
「お金? そんなもん、どーでもええ」
「じゃあ、もし、楽に死ねる薬があったら、いつか使いたいと思いますか?」
!
これだ。
ダン爺が聞きたかったのはこれなんだ。
オレはダン爺と2人で話した時の会話を反芻する。
『長生きはいいことなんじゃないですか?』
『この国にはね、もうそんな美徳は残ってないよ』
あの時、オレは「老い」を味わっていないと言われた。
安楽死や社会保障費削減の話を煙に巻かれたと思ったんだ。煙に巻かれてなんかいなかった。
「もうじき死ぬって分かったら、使いたいなぁ」
「『死ぬって分かったら』ですか」
「そんな薬、夢みてぇだ」
安楽死はおとぎ話的な夢なのか。今の社会では。
老いることは死に近づくことだとダン爺は言った。もうすぐそこまで「死」が来ているときに「死」を選べるようにする。
ダン爺は「夢」を実現させたいと思ってるんじゃないのか?!
社会保障費のために、たかが金のために、年老いて弱った人間に自殺を促すって?
違う。
オレは「老い」を味わっていない。心の老いを。
ダン爺は社会保障費以前に「心」を考えてるんだ。じゃなかったら、石爺にわざわざ意見を聞きにに来ない。一高校生のオレに頼んでまで、ダン爺は石爺に会わなければならなかった。
忖度のない人間の言葉を聞きたかったんだ。
金なんて本当にどうでもいいと思っている人間の言葉を。
「夢みたいですね……」
ばっ
隣のももしおがいきなり立ち上がった。
失礼だと思い、オレは止めようとももしおのスカートの裾を掴んだ。
が、次の瞬間、ももしおは、抱き合っているダン爺と石爺の斜め上をぴょんと跳び越えて窓のところに行った。失礼にもほどがある。
が、ただ事でなさそうな様子にオレはリュックを放り出して(部屋の隅を小走りで)ももしおに続く。
だんっ
ももしおは乱暴に窓を開けた。
そこには、ドローンがふわふわと飛んでいた。
夜なのに、石爺はカーテンを閉めていなかった。
窓から10センチほどのところにいたドローンは、揺れながらと離れていく。
咄嗟に手を伸ばしたオレの隣では、咄嗟にももしおが、
ぶんっ
ラケットバッグを投げ、
どんっ
ガチャッ!
ドローンに命中させていた。
ドローンとリュックは急降下。
「ドローン、飛んでました!」
「落としちゃった♪」
血相を変えて報告するオレの横には、てへっ、ぺろって感じのももしお。
部屋のドア付近にいたねぎまとミナトが急いで部屋を出て行った。
ドローンが飛んでたってことは、写真か?
頭の中に、体育祭の後夜祭で次々に校舎に写真が映し出されたことが過った。
ももしおとオレも安宿の階段を駆け下り、道路へ出た。
道路には、ももしおのラケットバッグを拾ったミナトだけ。
「ねぎまは?!」
「追いかけた。すぐ戻ってくると思う」
なんだって!
「どっち」
「あっち」
ミナトが指差したのは、公園の方。酔っ払いの男がわんさかいるとこなんて、危ねーって。
が、オレが3歩ほど走ったとき、道路の向こうの方からねぎまが戻って来た。思わず駆け寄るオレ。
「ムチャすんなって」
ねぎまは、はあはあ肩で息をしている。
「つい」
ホント、身を亡ぼす好奇心だよな。
「夜だし、おっさんいっぱいいるし、相手がどう出るか分かんねーし。頼むからやめて」
「でもね、ほら」
じゃーんという感じで、ねぎまがどらえもんの様に見せてくれたのは、画面がビシビシに割れたiPhoneだった。
歩いてももしおとミナトが立っていたところに戻ると、ねぎまの戦利品を見たももしおは、ぴょんぴょんと飛び上がって喜んだ。
「マイマイ、すっごーい!」
褒めるな。調子に乗せるな。これ以上心配したくねーよ、オレ。
石爺とダン爺は話が終わったらしく、一緒に道路まで出て来ていた。ねぎま、ミナト、オレのラケットバッグを2人が持ってくれていた。申し訳ありません。




