歪(ひずみ)
真相は闇の中ってわけか。
「不謹慎かもしれませんが、安楽死と難病治療では、医療費はどれくらい違うんですか?」
おい、ねぎま。いくら好奇心旺盛だからって、その質問ってどーなの? 「かも」じゃなくて不謹慎だ。
「100分の1かな。ある程度は治療した段階だろうから、様々だろうけど。こと、癌治療の新薬はべらぼーに高いしね。政府は医薬品の値段を抑えるのに躍起になってるよ。高額療養費制度があるから、高くなった分だけ国が負担することになるから」
もと製薬会社重役のA氏が答えた。
「あの、どうしてその話は暗礁に乗り上げたんですか? 欧米では安楽死が認められつつあるのに」
オレは祖母と母の会話を思い出して聞いてみた。
「政権基盤が盤石じゃないと提出できない法案なんだよ。日本人は『死』ってものをタブー視する。
もう政権は交代してしまったけど、3年前も、奇抜なことができるほどの支持率はなかった。
だからこそ、世論を誘導できないかと模索してたんだ」
「あの時、テレビ局長を紹介してほしいとおっしゃったのは、そういうわけだったんですね」
東城寺蓮が納得した。
オレは、タケちゃんが父親からもらったという、影響力のある有名人のファイルを思い出してた。
憧れている人間の発言は、自分の考えを大きく左右する。
オレだってそう。錦織君の持ってるラケット買ったし、私服は某インフルエンサーのファッションを参考にしてる。あ、なんか軽薄。
「僕だったらしたいですよ。安楽死」
そう言ったのは、相模ンだった。相模ンは部屋の入口近くの末席で、ジンジャーエール入りのグラスを持っていた。
「「「相模ンが?」」」
「事故で突然死ぬって確率は低い。死因の3人に1人は癌。最近は治る薬も出てきましたけれど、傷みを抑えるモルヒネも効かなくなって、長い時間苦しむだけ苦しんで、ゴールは死って分かってるのなら、安楽死がいいです。
まだ若輩者なんで、人生に執着もなにもないから言えるのかもですけど」
安楽死か。あの時、それが許されたなら、曽祖母は迷わずその道を選んだんだろーな。
長い治療を受ける前に、髪がふわふわのまま、化粧をしてお気に入りの服を着て、曽祖父に会いに行ったと思う。
パン
東城寺蓮が手を叩いた。
「申し訳ない! 健全な若者の前で不健全な話をして。この話は、後でじじいだけで酒でも飲みながら話すことにするよ。はい、もう1度、乾杯しよう」
みんなが各々のグラスを手にした。
「「「「かんぱーい」」」」
タコパは活気を取り戻した。が、たこ焼きはもうなくなっていた。
「シオリン、食べすぎ」
ねぎまを家まで送った。
それほど危険な夜道じゃないけどさ、一緒にいたかったから。
ねぎまの家は閑静な住宅街。
右よし。左よし、前方後方OK。
ちゅ
「おやすみ」
「おやすみなさい」
「待って」
ちゅ
「きゃ、びっくりした」
ちゅ
「じゃな」
あー、旅行したい。触りたい。
夜空には北斗七星。
あ、思い出した。「天川七瀬」だ。ツイッターの人の名前。
今ごろ、東城寺蓮とA氏とB氏は飲み直しているんだろうか?
東城寺蓮は出歩けないから、飲むとすればあの部屋。タケちゃん、ちょっと気の毒。
一人暮らしなら羨ましいけどさ、あの狭い部屋に父親と2人って、キツイ。
「安楽死」か。
とんでもない話出てきたよな。
世論を誘導するって。影響力のある人間の発言は大きいもんな。
癒着に心血を注ぐとか、なに気にすげー言葉。真っ黒。
エロい話よりずっと18禁じゃん。東城寺蓮の言った通り「不健全」。
長寿を支えているのは薬か。
どんどん新薬が開発されて寿命が延びる。
画期的な治療薬はべらぼーに高いらしい。なんだか制度があって、高くなった分は税金で支払われるのか。じゃ、製薬会社はどれだけの値段を設定しても薬が売れるってわけか。競合他社との兼ね合いはあるだろうけど。
自分が払う分は一緒でいい薬があるなら、そっちを使うよな。
もし、その制度がなくなったら?
いや、制度じゃなくて、その制度を適用できない薬や特定の薬は補助のパーセンテージとか限度額を設定したらどうなる?
そうしたら、金銭的に余裕のある人間だけが利用する。
画期的な新薬を使えない人間は、苦しむことを選択せざるを得ない。その中の何人かは早く死ぬことを切望する?
いや、順番が違う。
まず「安楽死」を世間に許容させる。これが最も大きなハードル。
法律を変えるには、倫理とか宗教とかいろいろありそうだから。
新薬を使いにくくするのは、その後だ。
そうすれば、政府は薬の料金の高さを問題にする。世論は政策ではなく、製薬会社を敵視する可能性がある。
ぞくっ
一瞬、秋風に身震い。
まさか。
いくら社会保障費が膨大だって言っても、そこまでは考えてないだろ。
ちょっと今日、18禁の真っ黒な話聞いたからって、オレ、影響受けすぎ。
次の日。部活後の放課後デート。
ころん
夕闇に紛れて、ねぎまの膝枕。至近距離に下乳。
すーっと息を吸い込む。いい匂い。
「好き。すっげー好き」
下から見上げていたねぎまの顔が薄暗がりでも分かるくらい真っ赤になった。
きゅん
ぎゅーーー
寝転んだまま、ねぎまの腰を抱きしめる。
「うふっ、大好き」
ちゅっ
ぽってりとした唇が舞い下りてた。
シアワセ。
「楽しかったよな、タコパ」
「んー。私ね、あの後いろいろ考えちゃった」
「安楽死?」
「うん。それと製薬会社の功罪」
「功罪?」
「いい薬がどんどん開発されて、人は長生きになって。
アフリカの女の人ってね、5人くらい子供を産むんだって。昔はそのうち2人くらいしか大きくならくて、食べ物が足りたの。でも、今はみんな大きくなっちゃうって。そしたらね、土地も食べ物も足りなくなったって話聞いたことあるの」
「アフリカを貧困にしたのは、薬ってことか」
農業や産業の発達よりも新薬がなだれ込む方が先だった。
「別にね、病気の子供を助けるなとか、産むなって考えてるわけじゃないけど、何かか起きると、どこかに歪ができるのかなーって」
「そうなのかもな。これからは技術が発達して農地を増やしたり、ネット情報で先進国のこと知って、明るい家族計画をするんじゃねーの?」
「もう。宗哲クンったら」
なーにが。オレなんて、ももしおの半分も下ネタ出さねーよ。女子の前では。
でも、ちょいちょいそっち系の話して、オレだって肉っぽいとこあるんだよって出しとかないとさ。生腹、プライベートで拝みたいじゃん。
「ん?」
ねぎまはオレの鼻をつついて遊ぶ。
「先進国が長寿になって、国家予算が大変なことになったってのも、製薬会社の功罪だよね」
1つ新薬ができると死が遠のく。人生は長くなる。
「だなー」
「夜はちょっと寒くなってきたね」
「膝、あったかい」
「私も」
「重くね?」
「ぜんぜん」
「鍛えてそうだよな。腹筋ちょっと割れてたし」
「だってぇ、私、シオリンと違って脂肪がつきやすいんだもん」
うんうん。知ってる。部分的に脂肪がついてる。胸とか。
「そこがいーんじゃん」
「もう。宗哲クンったら」
いつの間にか星空。そういえば、オレは天の川を見たことがない。
「オレはさ、安楽死と社会保障費について考えてた」
「どんな?」
街灯がなくて空気が綺麗なところに行ったことがないんだよな、オレ。
「まず、治る見込みのないない患者で希望者のみに限定して安楽死を許可すると、社会保障費が減るじゃん。
そんで、その次にべらぼーに高い薬とか治療方法に限定して、国からの補助をなくすとか補助金の限度額を設定する。そうすると社会保障費がもっと減る。
助かる薬を使えなかった人の中には安楽死を選ぶ人もいるだろうから、更に減る。
まさか、そんなことまで考えてなかったよなって。これって『金がないなら死ね』って言ってるようなもんじゃん」
大自然と澄み渡った空気の中で育ってたら、こんなこと考えなかっただろうな。
「考えてたかも。治る見込みのない病気はどんどん減ってくるだろうし、それに使われる薬はめっちゃ高いだろうから。本来、サービスって、お金がなかったら受けられないもんじゃん?」
「そーだけど」
オレらって、みなとみらいのデートコースで何語り合ってんだろ。なんかちげー。
「いつかは安楽死が許される世の中になるのかも」
もしも大自然の中、澄み渡った空の下に生きてたら、どんなこと考えてたんだろ。
大地の恵みに感謝してさ、病気になったら医者に勧められるままの治療を受けて、苦痛も死も素直に受け入れたのかな。自分に投与される医療費が税金だなんて気にすらせずに。
「欧米じゃあるもんな。
でもさ、医者って人を救いたくてなるもんじゃん? なのに死なせるって、結構、医者ってキツイかも。最善の努力をしましたってのよりキツイがする。死を選ばせることしかできなかったじゃんって」
「それは、今の風潮じゃない? 最後まで病気と闘うことが素晴らしいってなってるから。患者の心を救ったって考えに世間がシフトすれば? 人って基本素直じゃない」
「世論の誘導かよ」
「うふっ」
ちゅ
がばっ
ねぎまがキスしてきたとき、頭をがっちりとホールド。
このキス、やべー。




