ラブコメの波動が発生しない
私はその後も遠くからヒロインさんを観察した。
するとどうだろう、恐ろしいことに彼女は並み居る攻略対象のイケメン共と見事なニアミスを繰り返し、その全てをスルーして行ったのだった。
最初の不良君とエルフ先生を皮切りに、まず委員長と同じ本を取ろうとして手が触れ合って遭遇しなかった。かわりにヒロインさんは、委員長のいる本棚とは別の本棚に陳列されていた怪しい魔導書に夢中になっていた。
次に狐耳部長のマジックアイテムを拾って感謝される事も無かった。ただ、何か道に落ちていたアイテムに躓いた羊が怒ってそれをゴミ箱に叩き入れていて、その時ガラスの割れるような音がしたので私は何も見なかったことにした。
更に悪質な露店商にぼったくられそうになって退役兵先生に助けられる事も無かった。というか助けの必要もなく悪質な露店商の用心棒を犬が一発KOで返り討ちにした。この犬強いぞ……。
極めつけに通りすがりの中等部生徒会長にスカートめくりされる事も無かったのだった。かわりにヒロインさんが事あるごとに羊と犬をモフり倒していたが。
プロローグ1では隠しキャラの2人は出て来ないので、この後出会う予定なのは魔物襲撃イベントで助けに入る生徒会の3人しかいない。
まさか、まさかこんな事になるなんて……! 逆に凄いよ! ここまで尽くニアミスするとは思ってなかった! これからシナリオどうすんだ!?
『よし、これでもう買い残しは無いな。』
犬の防具を受け取った防具屋を背に満足気な幼馴染君。買い残しは無いがイベントの回収不能はかなり問題だと思います。はい。
『ない……いや、あるよ! あそこの新しいカフェがパフェ美味しいらしいって噂だよ! パーフェ! パーフェ!』
『やかましい! お前は無駄遣いする事しか頭に無いのか! だいたいあの小洒落たカフェにこんな大荷物で入れるか! ちょっと迷惑な顔されるわ!』
目当てのカフェは確かに可愛らしい作りの小さなお店だった。デートとかに良さそうな感じである。と言うかあれ、デートイベントで立ち寄る店じゃん! 後で視察に行かなくては……!
私は脳内スケジュールにお店の情報をメモした。あのカフェはヒロインさん(公式)が数多のイケメンと胸キュンイベントを繰り広げた約束の地である。聖地巡礼はファンの嗜みだ。行く以外に選択肢は無かった。
私が思わぬ聖地の出現に一人静かに興奮していると、『おやっつの時間だよー!』と騒ぐヒロインさんの傍らでおもむろに羊が角笛を取り出した。羊が高らかにそれを吹き鳴らすと空から新たなアニマルが!
『ちょっとお嬢、なんで呼ぶの! 今日は俺、ネイアとデートだって言ったじゃん!』
バサバサと乱暴な羽根使いでキレ気味に飛んできたでかいフクロウが羊に抗議する。羊は当然のように『クルッカ、仕事なのです。この荷物を家まで運ぶのです。めえ。』と荷物を抱えた幼馴染君と犬を指差した。
『はああああっ!? そんなくっだらない理由で俺はデート邪魔されたの!? はああああっ!? ふ、ふざけんなよっ!!』
『つべこべ言わずにとっとと行くのです。ネイアを待たせる気なのですか。さあ早く。』
冷徹に指示する羊。フクロウはガチガチと嘴を鳴らして悪態を付きながらも手早く荷物を分捕って一纏めにし、再び飛び立った。よろけながらも垂直に飛び上がる姿に物理法則を無視してる感はあったが、私にはわからない空を飛ぶコツとかがあるのかもしれない。実際飛んでいるのだし、私は深く考えるのをやめた。
『おっも……! クソッ、休日手当はきっちり貰うからな! 覚えてろよ!』
ひらりと茶色の羽を残して風のように現れ去って行ったフクロウを見送り、ぽかんとする幼馴染君に羊は得意気に胸を張った。
『これで荷物は無くなったのです。お茶にするのですよ。めえっ。』
そして流石にかわいそうだと羊は幼馴染君から説教を食らった。
私は遠眼鏡から顔を離して一度伸びをした。この遠眼鏡もイヤリングも魔法具だ。とても便利だが、今日一日で結構魔力を消費していた。準備していた魔力回復ポーションの瓶を開ける。安物は不味くて飲めたものでは無いが、これは見た目にも味にも気を使った高級品だ。スタイリッシュな飾り瓶に綺麗に透き通る翠の液体。味は爽やかな青りんご味だった。
ぐいっと一気にポーションをキめて、空になった瓶をバックにしまう。この肩掛けバックも見た目のコンパクト感からは分からないが荷重軽減と容量拡張の魔法が掛ったブランド魔法バックだった。これはお父様からのプレゼントである。
清涼な魔法薬の効果で魔力疲労がスッキリ爽快に吹き飛んだ。この感覚は例えるなら、徹夜明けに青空を見ながら栄養ドリンクを一気飲みした感覚に似ている……。何故だろう、例え話が妙に社畜感溢れている様な気がする。いや、きっと気のせいだ。まだ体力に余裕があって若干ランナーズハイ気味な徹夜1日目を彷彿とさせるポーションの後味が悪いのだ。
私は頭を振って謎の思考を振り払った。変な事を考えている場合では無い。ほぼ全てスルーされてしまったが、遭遇イベントも残り少ない事だしそろそろ日常パートもお終い。
きっとここから戦闘パートが始まる事は想像に難くない。もうすぐ始まるはずだ、襲い来る魔物の侵攻とそれを退けるイケメン達の攻防が……! スルーされなければいいなぁ……!
私は鳴り響くサイレンをバックミュージックに遠眼鏡を覗き込む。イヤリングの魔力接続を再起動してヒロインさんの尾行を続行する。
…………ん? サイレン?
思わず空を仰ぐ。のどかな青空に似合わぬ市民保護サイレンがけたたましく空気を震わせている。ザリザリ、ガコンっと広域放送装置が起動する音と共に空から緊急事態を知らせる真っ赤な公布妖精が召喚されてきた。
【防衛局西地区支部より市民の皆様にお知らせです。“西風の丘”方面の結界が損傷、魔物が侵入しました。市民の皆様におかれましては、公布妖精の指示に従い中央地区への避難をお願い致します。】
柔らかな女性の声が人々へ避難を呼びかける。シャクナゲの様なドレスを纏った手のひらサイズの妖精たちが雨のように降ってきて、道行く人々を誘導する。ちらりと私の直ぐ側を通った公布妖精と目が合うと「本戦科の人は討伐隊に編成されるヨ! 指令メールを確認してネ!」と言って別の人を誘導しに行った。本戦科とは学園生徒の内、魔物と戦える加護持ちを集めた特殊戦科“総合戦科”と“魔法戦科”の事を指す。そして私は魔法戦科の生徒だった。
そ、そんなっ! 私は魔物の討伐なんてしてる場合じゃ無いのにっ! ヒロインさんの観察はこれからの穏やかなライバル令嬢ライフを続けるには重要な任務なのだ。上手く彼女に取り入るなり安全な距離を置くなりしないと安心して昼寝もできない。後は単純に野次馬根性だった。元々お気に入りのゲームだったので、ヒロインさんによるリアルゲーム実況を観戦したいと思うのは自然な欲求だと思うのだ。その為に高い魔法具まで揃えたのに……!
そうだ、ヒロインさんっ! 彼女達は今どうなってる!?
『避難するぞ避難。こらキャナ、どこへ行く。』
『魔物だって、お兄ちゃん! 見に行こうよ! ルゥちゃんもメルルちゃんもいるから大丈夫! 西風の丘は初級ダンジョンだから魔物も弱いよ!』
『そうか。よしルゥ、このアホを捕獲するんだ。大人しく避難するぞ。』
『え〜〜!!』
ヒロインさんはヒョイッと犬に荷物のように担がれて運ばれていった。『姉御〜、暴れるなよ〜』と困った様に犬が鳴く。
『そんなあっ! せっかくバトルイベントが勃発してるのにっ! 嫌だ〜! イベント参加し〜た〜い〜!!』
公布妖精の先導で避難する人々の流れに乗って移動を始めるヒロインさん一行を慌てて追いかける。私もヒロインさんのゲーム実況見〜た〜い〜!!
私は緊急討伐クエストをボイコットする事にした。大丈夫、バレなきゃ何の問題もないから!
不良令嬢エルザマリア、サボタージュ常連疑惑。
【piece】
職業:公布妖精
防衛都市デュナミスの公務員『防衛公布隊』に所属する花妖精たち。古くから人間族と共生し街の防衛を担ってきた、英雄『花守のタニア』の氏族である。妖精族の中でも特に体が小さく脆弱な花妖精たちは女王を中心に巨大な群れをつくり身を護る性質がある。多くの者が幻影や守りの魔法に高い適性を示す。非常に精霊に近い氏族であるせいか個の境界が曖昧なため、女王の気分やその場の雰囲気で数が増減する。勤務中の装いは警報で『赤』、慶事は『白』、弔事は『黒』、式典は『紫』等、公布の内容によって変えているようだ。