門出の祝祭
「…えっと………誰ですか?」
祐佳は戸惑いながら厨房から顔だけを出す壮年の男に聞いた。
「おっと、自己紹介遅れたね」
男は思い出したように言った。
厨房からカウンターのほうへ出てくる。
男は花柄のフリフリエプロンを着ていた。
ガタイの良い体にそのエプロンは最高に………似合っていない。
男はテーブル席にドカンと座ると、ふーと息をついた。
「俺の名前はアレヒ。この喫茶の主人さ。そこの席にでも座ってくれ。」
ドンっと胸を叩き、アレヒは自己紹介をした。
祐佳はアレヒが指差した席に座る。
「は、はじめまして。祐佳です。あの、ゼータ師とはどんな関係ですか?」
先程の会話で二人が面識があることがわかった。二人はどんな関係なのか気になる。
「あー、俺とゼータさんねぇ。昔、お世話に…世話に…‥なったっけ?」
「おい。」
自分で発した言葉を腕を組んで考えこむアレヒにゼータはツッコんだ。
「まぁ、ゼータさんにはでっかい借りがあるんだよ。今はその莫大な借金を返しているところなのさ。」
アレヒは考えるのをやめ、眩ゆい笑顔を見せた。
祐佳はその笑顔にどこか虚ろなものが混じっているのを感じてしまった。
「そういうわけで、今日はここに泊まるよ。タダで。」
ゼータがコーヒーを飲みながら言う。妙に、タダで、を強調して。
アレヒの笑顔が神々しい。
シャングリラの物価は高い。宿に泊まろうとするととんでもない値段になる。
なのでタダのこの場所にきたのだろう。
けれども祐佳はそこで疑問を抱く。
「でもゼータ師、マギアで帰っちゃダメなんですか?」
そう、ゼータのマギアで帰れば一瞬なのだ。泊まる必要なんてない。
「いや。王都には特別なまじないがかかっててね。マギアで往き来できないのさ。壁の外なら出来るけどね。それだといちいち関所を通っていかないとだろう?」
「なるほど。」
確かに、王族と貴族が住んでいるこの街にマギアで出入り出来てしまったら、警備も何もないだろう。
納得し、頷く。
だが、そもそも何故、ここで一晩過ごすのか。
それは明日、合格発表があるからだ。
明日の朝、合格者の名前が王立学院に貼り出される。
祐佳はそれを思い出すと、途端に腹が痛くなった。
このまま時が止まってしまえばいいと本当に思う。
「そういえば。」
椅子に座って煮干しを噛り付いていたロッカルが唐突に言葉を発する。
祐佳は自分の体が硬くなるのを感じた。
「祐佳、試験どうだったのか?」
言われた、言われてしまった。
ゼータが今までこのことを聞いてこなかったのは、気を使ってくれてたのだろう。
なんといえば良いのだろうか。
受かってないかもしれないなんて言ったら、ゼータにどんな顔をされるのだろうか。
考えるのも恐ろしい。
テーブルを睨みながら何を言うのか考える。
一瞬の時間が永遠に感じられた。
聞きはしなかったが気になるようで、ゼータが横目でこちらを見ている。
アレヒが身を乗り出す。
ロッカルは相変わらず煮干しを齧りながら返事を待っている。
祐佳の頭が爆発した。
ガッバッ、と席を立つ。
ロッカルが驚いたようでビクッとし、煮干しを落とした。
「アレヒさん!!僕寝ますっ‼︎‼︎」
祐佳はアレヒに怒鳴りつけるように言った。
アレヒは目をまん丸くしていたが、祐佳の剣幕に押され、祐佳の部屋まで案内した。
「おやおや。」
ゼータはため息とともに番人を虜にする微笑を零す。それは子供の成長を見守る母のような笑みだ。
「………んー、結局、祐佳はどうだったんだ?できたのか?できなかったのか?」
元凶であるロッカルがまた煮干しを齧りながら首をかしげる。
「……お前はもう少し空気を読め。」
ゼータが己の契約妖精を呆れながら見つめる。
彼はさらに首を傾げた。
喫茶店に麗人のため息が再びひろがった。
○*○
「おい、そろそろ着くぞ。」
ロッカルが大通りを歩く。
ひょろりと背の高い彼は人混みの中でも十分目立っている。
祐佳はその後ろを人混みの中はぐれまいと必死に追う。
二人が向かっている先は伝統校王立学院だ。
無論、結果を見るためである。
『ロッカル、祐佳に付き添いで学院まで行ってやれ。
………結果は一緒に見るもんじゃないよ。』
今朝、ゼータはロッカルに祐佳の付き添いに行くように言った。
空気が読めない彼に一緒に合格発表を見ないように念押しして。
ロッカルは渋っていたがゼータが言いくるめて彼を承知させた。
ゼータとロッカルのそのやり取りを見ると、なぜか申し訳ないという気持ちでいっぱいになった。
「着いたぞ。」
ロッカルの足が止まる。
王立学院にとうとう到着した。
「俺はここにいるよ。…行ってきな。」
契約妖精は契約者の言葉を守るようだ。
彼の目は一緒に見たいと、言っていたが。
「うん。……行ってくるよ。」
祐佳は精一杯の笑みを浮かべ、人で溢れかえっている合格者の名前が貼ってある掲示板へ向かう。
人がたくさんいて掲示板に近づけないので、遠くから眼を凝らして自分の名前を探した。
自分の名前が見つからない。
全身から血の気が引いた。
周りで飛び交う歓声や泣き声が酷く遠くにあるように感じられた。
もう一度初めから見直す。
何人かが見終わったようで掲示板から離れた。
すると、そこには『ユカ.アガタ』に酷く似た字が書かれている。
眼をかっ開き、人を掻き分け、掲示板へ近づく。
何人かの罵声を浴びたが、そんなものは今の祐佳にはなんの意味のない音だった。
掲示板の目の前につき文字を凝視する。
何度も読み直す。
間違いない。
そこには『ユカ.アガタ』と書かれていた。
「……………ッシャア‼︎‼︎」
拳を硬く握りガッツポーズが飛び出た。
○*○
「はっはっはっ‼︎、宴だ、宴だ‼︎‼︎」
アレヒはグラスに酒を目一杯注ぐと、グィッと呑み干した。
「よくやった、よくやった‼︎‼︎」
ゼータもそれに負けじとするかのように、なみなみと注がれた酒をゴクゴクと呑んでいる。
祐佳が満面の笑みで合格を伝えたら、二人は手を叩き合って喜んだ。
そして次の瞬間には酒樽が開けられ、何杯もの酒が二人の胃袋に収まった。
『宴じゃ〜宴じゃ〜』
アレヒの酒樽を開けた時の嬉しそうな顔が印象に残った。
お世辞にも繁盛してるとは言えないこの店で酒を飲む機会なんてなかったのだろう。
酒を飲む彼は水を得た魚そのものだった。
ゼータに関しては、黒猫亭で酒を飲んでる彼女はあまり見かけなかった。
あるとしたら、夜、クレラの愚痴を聞きながらチビチビ飲んでるところだけだ。
なので、彼女がガブガブ飲んでるところを見るのは祐佳にとって新鮮なことだ。
「二人ともすごい飲んでるね。」
「酒とはしばらくご無沙汰だったんだろ。特にアレヒは。」
酒がまだ飲めない祐佳と、酒が飲めない猫妖精は別のテーブルでチビチビとレモンソーダを飲んでいた。
「まだ昼だっていうのに、よくあんな呑めるな。ありゃ二日酔い確定だ。」
ロッカルが顔をしかめる。
「おい、ロル!なんか言ったか⁉︎」
顔を真っ赤にしたアレヒがこちらにくる。
ロッカルの顔はこりゃ面倒だ、と語った。
「いゃあ、祐佳。おめでとうな〜。俺は嬉しいぞぉ〜。さぁさぁ、酒はまだ飲めないのか?レモンソーダ、どんどんお飲み。」
アレヒはドンドン祐佳のグラスにレモンソーダを注ぐ。
正直もうお腹いっぱいだったが、祝ってくれたのが嬉しくて、ゴクゴクと飲んだ。
「おお、良い飲みっぷり。」
アレヒが歓声を上げる。
「おい、アレヒ。もっと酒樽を開けろ。もうなくなったぞ。」
ほんのりと頬を染めているゼータが言う。
彼女はアレヒに比べてあまり酒が回ってないようだ。
「おう、そうか。じゃ虎の子の酒樽を開けるか!アッハハハハ‼︎」
アレヒは相当酒が回っているようで、高笑いをして、酒樽を開けた。
二人の笑い声が店に響く。
「ありゃ、あとで泣くな。」
「うん。」
祐佳とロッカルは主人をなんとも言えない目で眺めた。
○*○
夕方ごろになり、ゼータたちはヨタに帰ることにした。
「じゃあな、祐佳。学校始まったらこいよ。」
まだ酔いが回っているアレヒが朗らかに言う。
「はい、これからよろしくお願いします。」
祐佳は笑みをこぼしながら彼の手を握った。
「じゃあな、ゼータ、ロル。また酒盛りしようぜ。」
「ああ、是非お願いするよ。」
「………アレヒ。」
アレヒはゼータとロッカルにも笑いかけた。
ゼータは酒盛りに乗り気だか、ロッカルは彼を哀れみの目で見ていた。
「そんじゃあな!また来いよ‼︎」
アレヒの言葉を背中に受け、祐佳たちは店を後にした。
大通りに出て『ポルスの門行き』の馬車に乗る。
無事に『ポルスの門』に着くと、『ヨタ行き』の馬車に乗り換えた。
ゼータのマギアは急ぎの用がない限り使ってはいけないらしい。
馬車の中から王都の街並みを眺めた。
近いうちにここで生活することになると思うと心が躍った。
王都を出発してしばらく経った。日はすっかり落ちている。
馬車は大草原を走っている。
ロッカルは猫の姿でゼータの膝上で眠っている。
馬車は静寂な空間に包まれていた。
「なぁ。」
突然、静寂を破り、ゼータが声をかけた。
他の乗客も眠っていて、起きているのはゼータと祐佳だけだった。
彼女の声がよく聞こえる。
「これから王立学院に通うわけだがどうだい?」
祐佳は彼女の質問の意図がわからなかったが、言葉を探した。
「えっと………楽しみです。最初は乗り気じゃなかったですけど、調べていくうちにあの学院が好きになっちゃったみたいな…。」
しどろもどろになりながら必死に言葉を紡ぐ。
そうかい。と彼女は短く笑った。
月明かりに照らされ、まるでルナー(月の精霊)のように艶やかで美しかった。
「合格おめでとう。」
そして祝いの言葉を言うと静かに目を閉じた。
祐佳の目の前がぼやけた。
彼女の一言で今までの時間が全て報われたようだった。
「ありがとうッございますッ‼︎」
嗚咽を飲み込み、感謝を込めて伝える。
目から溢れ落ちる涙はとても暖かかった。