巣立ちの予感II
王立学院を受けることが決まった日から ゼータの勉強熱が入った。
そう、あくまでゼータの勉強熱である。
祐佳はというと受かる気がしないので、やる気は起きないのだ。
でも、お世話になっている師匠が自分のために教えてくれているのだから勉強に真面目に取り組んでいる。
けれども、そもそもなぜオドを持つ15歳以上の男女はマギア学校に行かなければならないのか。
それは、昔まだ学校に行けない人々が多かった頃。
オドを持つ人々はその力の使い方を知らないまま、何らかの形でオドを自身から発散させてしまう。
大気中にある魔力は多すぎると、大変不安定になってしまうという特徴がある。
つまり、知らない間に発散しているオドと元々あるマナによって魔力が多すぎて不安定な状況が作られてしまう。
その結果、あちこちで魔力災害が起きてしまったのだ。
国はその問題を重く受け止め、マギア学校が次々と建設された。オドをコントロールさせるためである。
それと同時に、オドを持つ人々は学校への入学が義務づけられたのだ。もちろん、入学前はマギアの使用は禁止されている。オドの発散を防ぐためだ。
王立学院はそんな法律ができるよりも早くからある伝統的な学院だ。
この学院が出した、魔導士、大魔術師、大魔法師は歴史上数多存在する。
施設も他の学校と比べて整っており、生徒は全員寮で生活することになる。
最初は乗り気でなかった祐佳だか、本でこの学院を調べていくうちにこの学院がすっかり気に入ってしまった。
勿論試験に対する不安はあるものの、しっかりと学習できるこの環境、何事にも代え難い。
いつのまにか、彼は師匠と同じく、勉強に熱が入っていた。
そのことを知ってか、クレラは祐佳に手伝いを頼まなくなった。(代わりにとある猫妖精が尊い犠牲になった。)
○*○
月日が経つのは早いものであっという間に試験前日になった。
ゼータの目は連日、可愛い弟子と遅くまで勉強をしているおかげで血走っているが、祐佳の目は師匠が寝た後も書庫にこもって参考書を読んでいる関係で真っ赤になっていた。
二人とも(特に祐佳)顔色が悪くなっていた。少なくともあのクレラが心配するぐらいには。
明日は試験である。
祐佳はそれを思うと居ても立っても居られず、参考書をずっと読んでいた。(食事の時にも読んでいたらクレラに怒られた。)
よく考えたら日本での高校受験と同じである。
日本の15歳の中学生が受験勉強をしているのと同じく祐佳も勉強しているのだ。
そう思うと妙な連帯感を感じて、勉強に更に身が入った。
けれども、夜になると感じるのは恐怖感だ。
一日中書庫にこもってノートを必死に暗記していてもそれは襲って来た。
すると不思議なことに集中ができなくなってしまった。
あれを間違えたらどうしよう。
それを間違えたらどうしよう。
もし落ちてしまったら。
いらない考えだとわかっているが、それでも不安は拭い捨てることは出来ない。
そんな様子を見て、ゼータは声をかけた。
「祐佳、あなたはそろそろ寝な。これ以上起きていても毒だよ。
明日は試験なんだ。しっかり寝なさい。」
祐佳はもっとここに居たかったが心配をかけているのがわかって素直に寝ることにした。
「おやすみなさい、ゼータ師。」
「あぁ、おやすみ、祐佳。」
祐佳は書庫を後にした。
自室に居ても寝られないと思っていたが、体の疲れは溜まっていたようで、ベッドに入るとすぐに深い眠りについた。
○*○
運命の日である。
連日の猛勉強の結果は此処にある。
そう試験当日だ。
早く寝たのにもかかわらず、目が覚めたのは日が昇りきった時だった。
祐佳は焦って、寝巻きを急いで着替えて階段を駆け上がった。
酒場には、クレラの用意してくれた朝食があった。
椅子に座ると同時にかぶりつく。
「おう、起きたか。」
ゼータが厨房から顔を出した。クレラもそこにいて仕込みをしていた。
祐佳は急いで口にあるものを飲み込んだ。
「ゼータ師、時間、大丈夫ですか?」
気になっていることを聞いた。
「ーーー馬車で行っても間に合わないかもな。」
「そんなッ⁉︎」
ゼータが深妙な顔で答える。
祐佳は目の前が真っ暗になった。
試験会場は首都のシャングリラにある。ここからは遠い場所だ。
祐佳足元が崩れていくような感覚を覚えた。
だか、ゼータは顔を青くしている祐佳を見てふっヒヒと気味の悪い笑い声を漏らした。
「大丈夫だよ。時間までまだある。あんたはゆっくりしてな。」
ゼータの余裕ある表情に祐佳は疑問を抱いた。
ゆっくりしていろ、と言われてもできるのはノートの見直しぐらいだ。
何度も読み返して確認をする。
けれども、間に合わないのではないか、と気が気でない。
このままここにいても絶対に間に合わない、今すぐにここを絶つべきだ。なのに、なぜゼータはあんなに余裕なのか。
祐佳は苛立ちにも似た感情を抱いた。
「まだ満ちぬその時は愛しきアーダ共に。だよ。」
そんな祐佳の感情を読んでか、ゼータが声をかけた。
それは時を待つ際に使うことわざのようなものである。
アーダというのは精霊、妖精を指す。
この言葉からこの世界の人々は精霊や妖精との関わりが深いことがわかる。
ゼータに諌められて、苛立ちのような感情はスゥと消えたが、代わりに不安が押し寄せた。
ノートを読んでいるはずがまるで頭に入らない。
時計を見るとあと試験まであと3時間だ。当然、間に合わない。
(嗚呼………)
祐佳は絶望の表情で天を仰いだ。
その時。
「…帰ったぞー。」
ドアベルの音と共に、ここ数日間で確実に覇気がなくなった声がした。
祐佳の勉強によって、酒場の手伝いを一人でやらされていた猫妖精、ロッカルだ。
「ゼータァー、頼まれたやつきちんと買ったぞ〜。」
彼は気怠げにそう言うとくるりと一回転した。すると、青年の姿から黒猫の姿に戻っていた。
「お疲れ様。」
祐佳は謝罪の意も込めて彼をねぎらった。
「さて、愛しきアーダが来たところで、祐佳そろそろ行くか。」
ゼータがロッカルを抱き上げながら言う。
「…え? もう間に合わないんじゃ?」
祐佳は疑問を口にする。
ゼータは得意げにニヤリと笑った。
「私を誰か忘れてないかい?」
あっ、とここで気づく。
「マギアを使うんですね!」
なるほど、マギアを使えばシャングリラまで一瞬だ。
転送系のマギアだろうか。そうだとすると、床に魔方陣を描いてその上に乗り、魔術を使う必要がある。転送系の魔法は存在しない。
「魔方陣描くの手伝います。」
祐佳はゼータに言った。
魔方陣を描くのはホネが折れる作業だからだ。
「いや、その必要はないよ。」
けれどもゼータはその申し出を断った。
「え?」
ゼータ一人で描くつもりなのか。
師匠だけに魔方陣を描かせるなんでできない。
祐佳は戸惑う。
「手、だしな。」
ゼータが手を差し伸べて来た。
もう片方の手でロッカルを抱えている。ヒゲのあたりが眩ゆいルスを放っている。彼を媒介にして魔法を使うようだ。
「はい。」
何をやるのかわからなかったがゼータの手を取った。
「しっかりつかまるんだよ。」
「へ?」
その瞬間、目の前が真っ暗になった。
暗闇の中ではぐれまいとゼータの手をしっかりと握った。
身が捩れるような感覚。
激しい吐き気がした。
「一歩前へ進むよ。123と言ったら脚を踏み出しな。」
ゼータが耳打ちしてきた。
吐き気と戦いながらかろうじて頷く。
「1、2、3ッ!」
一歩前へ踏み出した。
途端、周りが明るくなった。