エウロパ2009
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財布とケータイだけを鞄に放り込んだことを確認すると、挨拶もそこそこに事務所を飛び出すのであった。
出欠を示す名札をひっくり返そうとするも、慌てた震える指で自分の左右の人のを、右へ左へと弾き飛ばしてしまうのであった。
いいから行って、と言わんばかりの後輩の視線を感じ、もつれる足で階段を駆け下りていく。途中で下から上ってきた若い女の子とぶつかりそうになり、思い切り引かれながら睨まれながらも、既に汗が浮いてきた小太りの体を前へ前へと運んでいくのであった。
陣痛の間隔が短くなってきたから、とりあえず帰って来て、と妻からの電話があったのだった。
時刻11:40。あと二十分粘れば午後半休として処理できたのだが、その二十分の遅れで何か取り返しのつかないことになったら一生なじられ続けることになる、と二分くらい悩んだ末、結局全休とすることに苦渋の選択をしたばかりなのであった。
じゃあ午前中、課長にねちねちなじられた分は何だったんだろう、と仕事とプライベートの狭間で揺れ動く、久我 学途、三十歳の春なのであった。
もちろん、嬉しくないはずが無いのであった。初めての自分の子供。結婚も奇跡だと思っていた自分が、子供まで授かって……と内心はうおおお、と叫び出したい気分なのである。
しかし一方では出産に立ち会うことにしてからは、自分にそれが滞りなく行えるのか、不安と緊張でないまぜの気分を、この頃は一日に何度も感じていたのであった。
病院-家-職場はそれぞれが5分徒歩で行き着ける好立地であったものの、慌てるあまり、靴箱の扉を開け、かがんで靴を履き替え立ち上がった際に、扉の角に頭が突き刺さるような角度でぶつけてしまうのであった。うめき声を引きつった顔面の筋肉に吸収させ、それでも家路を急ぐのであった。
▽妻・佳苗の手記
●2009年4月1日
〇8:30 朝(ニラ卵、スープ、サラダ、ごはん)
朝9:00くらいから、不定期だけど張りが感じられた。
間隔は14minだったり、7minだったりとまちまちだ。
そうじ洗濯などの家事を全て終わらしたくて、洗たくそう、ふきそうじをやった。食事もちゃんと取らなきゃと思い、必死に用意。まだ強く張る程度の痛み
〇12:00 昼(厚あげ豆腐、しいたけ、ミニトマト、ごはん)
昼前にガクに連絡。まだ10~12min間隔のこの頃、おしるしに気付いた。ドロッとした赤茶のおりものみたい。だんだん痛みが強くなってきたので病院にtell。
ガクの帰りをまって、歩いて病院へ(7~8min間かく)
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あら意外に早かったじゃん、と、割と普通な感じで出迎えられ、あれっ、と拍子抜けしてしまう駄目な久我なのであった。
とりあえず、向こうで着るのと洗面用具と……みたいにてきぱきと用意を整えている妻の佳苗の後ろでウロウロと所在なく立ち回るが、はいジャマ! と脇腹に手刀を打ち込まれながらのけぞりつつ、荷物を受け取って家を出るのであった。
無事、徒歩にて病院に着くものの、ここでも勝手が分からず妻の後ろをオロオロと付き従うばかりなのであった。
勝手にあわあわとしながらロビーで待つこと30分。医師に呼ばれ、六床ある大部屋へと移動する。
きょろきょろと今まで自分に縁のなかった所に戸惑うも、手前左のベッドにあぐらをかいている、前開きのマタニティワンピースを着た妻の姿を認め、少しほっとするのであった。
入院だってさ、と腹回りにベルトのような物を巻いた妻が、しきりにその大きくなった腹をさすりながら言う。その顔は時折来る痛みにしかめられることはあるものの、得も言われぬ笑みが常に浮かんでいるのであった。この頃特に見かける、母性が強烈ににじみ出ているその表情に、久我は一種の神々しさすら感じてしまうのであった。
ここに記入して、家からお金持って来て、あと何か飲み物とかゼリーとか、と指示を受けつつ、一旦家へ戻る。
実家にも連絡しとくか、と帰りすがら「佳苗入院、今日?」と、一文字増えるごとに料金上がるのか? くらいの簡素なメールを打つと、途中のコンビニで色々買いこむのであった。
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〇14:00
内診の結果、子宮口5cmなので、入院へ。
NST1h以上つける。痛みは、まだがまん出来る。
15:00くらい
・保証金 50万円
・誓約書 提出
〇18:00 夕(肉野菜、ザーサイもやし、セロリとエビ)
18:00すぎから、痛みに顔がゆがみはじめる。
正直、声がもれるくらい痛い――!!
ガク母が病院にくるらしい。
19:30くらいにお母さん到着。様子を見に来たらしいけど、辛い時の顔を見られるのは、ちょっと。
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夕飯をかき込み、病院の六人部屋に戻ったものの、周りの妊婦もひとそれぞれの苦悶の仕方をしており、既に一泊されている方もいたりで、おおう、と、その大部屋に張りつめる緊迫感と、この痛みを解さない男全員に向けられた殺意のようなものを感じ取り、久我はひたすらに己の気配を消しながら、妻のベッド脇で縮こまるのであった。
乗るように肛門に当てておくと痛みが紛れると書いてあり、わざわざ買ったテニスボールを試してもらうものの、大して効果は無さそうとのことで、早々にそれはバッグの底にしまい込まれるのであった。
自分の母親も来て、あんたの時も大変だったんだからーと、言わでものことをあっけらかんとのたまわれたりで、久我は大分神経を内側から削られている感覚を味わい続けるのであった。
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〇20:00まえ
座っても、上向きになっても、痛みのがしが出来なくなってきた。特に横になると、痛みで声が出るし、涙も出た。間隔は、2min、内診の結果7~8cm、看護婦さんに「そろそろ、分娩室に行こっか?」と言われる。歩けたけど、車いすでgo!! ん!? でも……陣痛室じゃないの? 実は、私が今までいたベット×6が陣痛室だったらしい。心の準備が……その間にも、どんどん波がおしよせて来た。
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妻の様子がだんだんと切羽詰まって来るのを感じ取る久我であった。
検査を受け、ついに分娩室に行くと告げられ、お前が緊張してどうする、くらいの顔の強張りを見せるのであった。立ち会いのため、車椅子を押されていく妻の後ろをぎくしゃくと歩く。
いよいよ……と、足元がおぼつかなくなりつつも何とか歩を進めていくのであった。
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〇20:00すぎ
分娩室は、明るくて、ピンク色できれいで、助産師さんが3~4人出たり入ったり慌ただしかった。ちょうど重なったとかで……
担当の助産師さんは、東さんというベテランで優しいおばさん、分娩衣に着がえ、点滴の注射を打っている時に大きな波が来た。
「まだまって!!」と言われ呼吸でのがすが、めちゃくちゃ痛い。
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分娩台で必死に陣痛に耐える妻を、いまだ見守るしかないのであったが、破水とのことで妻の側まで呼ばれる。破水した、と聞くも、何がどうなってどうすればいいのか分からない久我であった。
手を当てて思い切り押してください、と助産師さんに言われるがまま、おむつのような紙の下着を穿いた妻の股間を、掌底のように押し上げるのであった。もっと強く、と指示が出て、手首が痺れるほど強く押し続ける。
自分も少しは役立っている、と少し立ち会って良かったと思うが、ふと見上げた妻の顔は、苦痛からか思い切りしかめられ、大袈裟なほど目はぎゅっとつぶられ、口は突き出され歯は食いしばられ、今まで見たことも無い表情を呈していたのであった。
笑ってはいけない、と、悲しかった事を必死で思い出そうと記憶をさらう久我だったが、おととし亡くなった祖母は、病床にあっても死んだふりなど家族を欺き続けた上で、皆の困惑を嘲笑うかのように、あっさりと眠るようにして逝ってしまったので、こういう時にはさっぱり役には立たないのであった。
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〇20:22
破水。生温かいというよりも、熱いものが、もれ出て来た感じ。
まず横を向いていきむことになり、ガクが肛門に手をあててくれた。
いきむのは、はじめてだし、よく分からなかったが、手の圧握が楽だった。
正直、だんなさんにここまで手伝わせるとは、思わなかった。ガク「頭の脈が分かるよー」と言っていたが、意味が分からなかった。後になって「え? もう出てるの?」と気付く。
陣痛の波が少し分かってきて、うまくそれにのっていきめると辛くないが、のれないと、死む。汗はかくわ、のどはかわくわで、つらい~! 分娩室に入って1hくらいで、上向きでいきんでOKが出る。上向きの方が、少しいきみやすい。きっとものすごい顔で、ものすごいこぶしに力をこめて、いきんでいたんだろーなあ。東さんとガクが交代で肛門の辺りをおさえてくれた。波にのれれば、つらくない。
だんだん頭が出て来たのが分かる。いきむと、時々赤ちゃんの心拍数が下がってしまうので、心配。深呼吸しなきゃ!! そして何回か強くいきんだ後、明らかにあそこがさけるくらいの痛み!! 頭が引っ込まなくなった。発露だろうとは分かったけど、あまりの痛さに「痛い~」って叫んでしまった。先生方は余裕で、お産の準備。切らないで、とお願いしていたのは、どこへやら。心の中で「はやく切れ~!!」とさけんでた。
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妻の叫びが大きくなったと共に、やんわりと頭の方へ移動するよう促されるのであった。手は痺れ、肩に無駄に力をかけたためか、背中ががちがちに固まっているのであった。
出るよ~もう少しだからね~という、余裕のある助産師の言葉が終わるか終わらないかのうちに、ひときわ大きな、ああ、という声が分娩室に響き渡るのであった。
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〇21:50
3536g、52.5cmの男の子誕生。
2回いきんでもう1回と頭を戻したら、「前を見て!」と言われた。その瞬間、痛熱いのがなくなって、中から滝のようにあたたかい羊水が出て、肩そして足という感覚を残して「つるり ぬめり」と赤ちゃんが出てきた。この後、痛みはなくスッキリ。涙は出なかったけど、嬉しかった。チビには、ヘソの尾がタスキがけのようにかかっていたらしい。本当に無事でよかった。すぐ顔が見たかったが、チビがウンチをしていたこともあり見れず。カンガルーケアもすぐ出来ると思っていたら、チビが少し大きいので低血糖? かのチェックでまだこないし、切れた&切った傷をぬうのが本当に痛かった。涙。
傷をぬい終わって(40分くらい?)、やっとチビとご対面。胸に乗っけられたチビは、本当にぬくぬくしていて、少し生臭くって、こわれそうなほどミニチュアサイズだった。
これがお腹の中にいたんだ……と、まだ実感わかず。手足の大きさ&指の長さにびっくり。とくに手の爪がのびていて痛い。胸の上で、おっぱいを探していたけど、こわくて動かせなかった。
その後、ガクもカンガルーケアをさせてもらっていた。私は分娩台の上で、あったかくて、幸せで、本当の幸福ってこういう時なんだなあ……と感じていた。その後おき上がるも、貧血で歩けず、ふがいないね……。ガクは1時過ぎに家に帰され、私はベッドへ。
2時、4時にも起こされ、パット交換。
本当にいろいろあった一日だった。
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日付が変わっていたのであった。暗闇が辺りを塗り込めていっている。
久我は長かったのか短かったか分からない不思議な時間を思い返すのであった。
自分が初めて見た初めての子は、しわしわだったが、確かに自分の胸の上で温かくうごめいていた。こちらを向いた、と、目と目が合った、と、錯覚かも知れないがそう感じたのであった。
しっかりしなくちゃなあ、と、またも曖昧に自分に言い聞かせる久我なのであった。
空の高くの暗闇に、宅配ピザ屋の赤青の照明が吸い込まれていく。その上にひときわ大きな恒星と、その脇にぼんやり見える小さな星の瞬きを、その瞬間、久我は確かに視認したのであった。
(僕はあの子という小さな衛星を、どんと構えて見守りつづける星のひとつ)
またしても柄にも無く、詩的なことを思う久我であった。
よぉぉし、明日からまた、課長にねちねち言われる作業に戻るぞぉ~、そして定時ダッシュで病院に向かう、と、成長する意識は極めて低いモチベーションで、軽やかに歩き始める久我なのであった。
その頭上に、確かに光るひとつの光点。
(終)