エルフの国の耳かき屋さん
お久しぶりです、中村宗次郎です。
ジャンボジェットサイズの馬鹿でかい鳥が大空を旋回します。
鳴き声がとてもやかましいですが、最近は少しだけ慣れました。
お隣のベナリさんがいうには、雄がこうしてグルグル回り出すと卵を産む直前らしいです。
もうすぐお祭りも始まるので街中が浮足立っています。
このお祭りが始まる前の落ち着かない感じ。
これは嫌いではありません。
日本にいた頃を地域のお祭りになんて参加していませんでしたが、最近はこの感じが好きになりつつあります。
「じゃ、じゃあ……やるよ」
耳かきを構えたルナラナが緊張した声で言います。
俺は今店内の施術用の椅子に座っています。
ルナラナが俺に耳かきをしてあげたいと言い出したのは昨晩のことでした。
急に何だろうと思ったのですが、特に断る理由もないので話を受けました。
まぁ、奥に入れすぎなければそこまで危険なことはないので大丈夫でしょう。
それにしても施術用の椅子に座るというのはなかなかどうして新鮮な気分です。
ん……天井に染みがありますね。
取れないでしょうか?
ベナリさんから勧められた洗剤があるので、あれが役に立ちそうです。
お客さん目線で店内を見るというのは勉強になりますね。
それだけでも耳かきされるかいがあるというものです。
「ちょっと中村、聞いてる?」
おっと…いけません。
ルナラナが拗ねた声で訊いてきます。
意識を彼女に戻しましょう。
「じゃあ、やるよ」
仕切りなおすようにもう一度言います。
ルナラナが持っているのは当店で使っているものの中で一番シンプルな耳かき棒です。
俺とルナラナが一緒になって作った一番最初の耳かき棒ですね。
やはり思い入れがあるのでしょ……いや、それはありますね。
あるに決まっています。
駄目ですね。
どうにも自分を誤魔化そうとする癖が抜けません。
「どうしたの?」
ルナラナが不安そうに訊いてきます。
ひょっとしたら痛がっていると思われたのでしょうか?
ぜんぜんそんなことはないので大丈夫です。
「そう……良かった」
彼女はほっとした表情を見せます。
まぁ、ルナラナが今やっているのは耳の外側である耳介の部分なので、少しくらい強くしても全く問題ありません。
それにしても、俺が言うのも何ですが他人に耳かきをされるというのは気持ちがいいですね。
ルナラナの耳かき棒の扱い方は意外と丁寧で、俺の耳介の溝の部分を優しく撫でながら溜まった垢を掬っていきます。
「どう、気持ちいい?」
うん、気持ちがいいですね。
耳たぶを軽く引っ張られながら匙で撫でられると、痒い所にも手が届くような感じがして心地よいです。
「そう、良かった」
ルナラナが笑います。
そうしていよいよ耳かき棒を耳孔に入れていきます。
匙の先が這うように俺の耳の中へと進んでいきます。
これ以上はちょっと怖いんですが……あ、ちゃんと止めてくれましたね。
ちょうど耳の奥の窪んだところを、カリカリ、コリコリと搔いてくれます。
いい感じです。
ルナラナはがさつな所があるので心配だったのですが、どうやら杞憂だったようでひと安心です。
昨晩、彼女が突然耳かきがしたいと言い出したときは少し驚きましたがしてもらって良かったです。
俺は家にいてもしてあげるなんて言いませんしね……ああ、そうそう、俺とルナラナは今、同棲しています。
ひと月ほど前からでしょうか。
押しかけ女房がやってきたみたいな状態になっています。
俺は結局、彼女に何も言えていません。
今の状況も流されているところが大きいです。
「お姫様の赤ちゃん、可愛かったね」
俺がそんなことを考えた矢先、ルナラナが言いました。
そうです。
お姫様の赤ちゃんが生まれたのはつい先日のお話しです。
生まれたのはとても可愛い男の子です。
目元がお姫様によく似ています。
しかし何だって、このタイミングで言うでしょうか。
何しろ今、俺の耳の中には凶器も同然の耳かき棒が入っています。
背中に冷たい汗が流れます。
「大丈夫だよ。ボクのことが一番好きだったら、お姫様のことが好きでも構わないから」
何でもないことのように言って、ルナラナは耳かきを続けます。
気持ちいいのですが、ちょっと怖いです。
もちろん、今はお姫様よりもルナラナの方が好きです。
でも、俺は彼女が一番好きだとまだ言っていません。
なのに、妙に確信を持って言ってきます。
女の感なのでしょうか?
何にしても早く言わないといけないでしょう。
「ほら、次は逆をするね」
そう言うと、ルナラナは施術椅子の逆側に回って俺のもう片方の耳を掃除していきます。
こちらも非常に上手にやってくれます。
耳の入口近くに一番垢が溜まりやすいスポットがあるのですが、そこを念入りにクリクリと掻きまわしてくれます。
そうしてまたうじうじと悩んでいる間にルナラナの耳かきが終わりました。
「はい、終わり」
彼女は笑顔でした。
俺のことは言わなくても分かってるよ、という顔です。
駄目です。
この笑顔を見ると甘えてしまいます。
結局、俺は今日も何も言えません。
このまま行くと尻に敷かれてしまう自分の姿が簡単に想像出来てしまいます。
俺は立ち上がります。
うん、すっきりしました。
先ほどよりもロック鳥の鳴き声がよく聞こえます。
異世界にやってきて3年が経ちました。
右も左も分からない自分でしたが「耳かき屋」も繁盛してなんとかやっていけています。
冒険とか、謀略とか、そういうのに巻き込まれなくて良かったです。
レプラコーンの女の子に感謝ですね。
そんな感じで今日もエルフの国での一日が始まります。
これで中村とエルフの国のお話はおしまいです。
最後にキャラクター解説とあとがきがありますので、よろしければ次話もお読みください。