エルフの国の迷探偵
最近、お父さんが変です。
わたしのお父さんは変なひとです。
お父さんは、変な名前で、変な髪の色で、変な国から大きな地震に巻き込まれてエルフの国にやって来ました。
そんな変なお父さんなんですが、最近特に変なのです。
「じぃ~っ」
私は目の前で朝ごはんを食べるお父さんを見ます。
今日の朝ごはんは甘辛く煮た緑豆です。
それをスプーンで掬いながら、わたしはお父さんとお母さんを見ます。
「今日の豆はちょっと味を濃くし過ぎたかしら」
「………ああ」
「そうよね~、この時期は水分が少ないから辛くなっちゃうのよね」
「………ああ」
「やっぱり? 分かったわ、明日は白豆で作るようにするわね」
「………ああ」
ほら、変です。
普段は「……ああ」だけど、今日は「………ああ」です。
いっつも喋らないお父さんですが、ちょっと前から更に喋らないのです。
「あなたどうしたの?」
「……いや、別に」
「そう?」
お母さんも様子が変なことには気がついているのか、首を傾げています。
これは一大事です。
なんたって、ただでさえ変なお父さんがもっと変になっているのです。
一大事です。
家族の危機なのです。
◇
「それって、きっと浮気だよ~」
お昼ご飯のお弁当を挟みながら猫人族のネメネリちゃんは言いました。
「う、浮気!?」
「そうだよ。きっと浮気だよ~」
長い尻尾を揺らすネメネリちゃんは何だかとっても楽しそうです。
それを見て鉱人族のバナリエちゃん眉を顰めました。
「駄目だよ、ネメネリちゃん。フェナミナちゃんのお父さんにそんなこと言ったら」
「え~っ、絶対浮気だよ~」
「ごめんね。ネメネリちゃんって最近、変な本読んでるから」
ネメネリちゃんは最近、小説を読むようになりました。
その中には大人が読むような小説もあり、わたしも一冊貸してもらいました。
だからわたしも浮気という言葉の意味は知っています。
浮気というのは結婚相手や恋人がいるのに、他の人と仲良くなることです。
奥さんや旦那さんがいるのに、他の人とキスしたり抱き合ったりするのはとってもいけない事なのです。
そう、とってもいけない事なのです。
「フェナミナのお父さんやるな~。禁断の愛だよ~」
「もう、ネメネリちゃんってば! ごめんね、フェナミナちゃん」
賑やかすネメネリちゃんに窘めるバナリエちゃん。
でもわたしはそれどころではありません。
お母さんはお父さんが大好きです。
お父さんもお母さんが大好きなはずです。
だからお父さんが他の女の人と仲良くするなんてあるはずがありません。
あるはずがないのです。
だけど、最近のお父さんはちょっと変なのは確かです。
「う~ん、お父さんが浮気?」
「そうそう、そうに違いないよ~」
「もう、バナリエちゃん、いい加減にする!」
「あうっ! 痛~い」
再びバナリエちゃんがネメネリちゃんをコツンとします。
お父さんが浮気。
何度、考えてもピンと来ません。
◇
その日の晩ご飯、わたしはお父さんの様子をじっと伺っていました。
うちはお店をやっているので、晩御飯の時間は他所よりも少し遅いのです。
「じぃ~~」
今日の晩御飯は白豆と青菜を辛く炒めたものです。
朝の教訓が活かされているのか味付けはバッチリです。
「うふふ~、今度は上手に作れたでしょ?」
「………ああ」
「でしょ~。今日は忙しかったし、たくさん食べてね」
「………ああ」
「ほら、フェナミナもいっぱい食べなさいよ」
「あ……うん」
赤く染まった白い豆を口に入れるとピリっとして、その後に美味しいのが喉の奥に消えていきます。
うん、美味しいです。
でも今はお父さんが気になります。
「じぃ~~~」
わたしはお父さんをじっと見つめます。
お父さんはお母さんの作った豆の炒め物を静かに食べていました。
隣ではお母さんが楽し気に喋っており、それをいつも通り「……ああ」と言いながら聞いています。
「じぃ~~~~」
「……何だ?」
「ううん、何でもないよ」
「……そうか」
「どうしたの? フェナミナ、さっきからお父さんの顔をじっと見ているみたいだけど?」
「ううん、何でもない」
「そう?」
お母さんは首を傾げるとお父さんと喋り始めます。
お父さんは相変わらず「………ああ」としか言いませんが、お母さんはいつものようにとっても楽しそうです。
わたしはもう一度お父さんを見ます。
黒い変な髪の毛の不愛想な顔のお父さんがモゴモゴと豆を食べています。
うん、やっぱり変なひとです。
こんな変な人を好きになるのはお母さんくらいのもんでしょう。
◇
「え~っ!? 絶対、浮気だと思ったのに~!!」
お昼ご飯のお弁当を挟みながら猫人族のネメネリちゃんは言いました。
長い尻尾を小刻みに動かして、何だかとっても不満そうです。
だからわたしも言い返します。
「違うよ。お父さんって変な人だもん。そんな人と浮気する女の人なんていないよ」
「その理由もどうかと思うけど……」
わたしの言葉を聞く鉱人族のバナリエちゃん眉を顰めました。
あれ?
何か間違ったこと言ったかな?
逆に私が首を傾げてしまいます。
「むぅ~、つ~ま~ん~な~い~」
「ネメネリちゃん、フォーク振り回さないで、危ないよ」
「むぎゅ~っ」
しかし言うことを聞く様子がないネメネリちゃんは尻尾をバタバタと動かします。
耳も一緒にピクピク動いてとっても不満そうです。
「そんなこと言っても、お父さんは浮気なんてしないよ」
「ぶぅ~、つ~ま~ん~な~い~」
「ネメネリちゃん、尻尾振り回さないで、お弁当に当たるから」
「ぷぎゃっ!」
暴れるネメネリちゃんにバナリエちゃんがコツンとします。
しかしそれも仕方ありません。
もしもお父さんが本当に浮気していたとしたら一家の危機なのです。
「まぁ、浮気の話は放っておくとして、結局フェナミナちゃんのお父さんの様子がおかしいのは何で何でなんだろうね?」
「う~ん、何でだろう?」
「それはやっぱり浮気が原因だよ。エルフの若奥様との浮気が――うぎゃっ!」
うん、良い音です。
次はコツンじゃなくてゴツンでした。
ネメネリちゃんの悲鳴もパワーアップしています。
そんな鉄拳制裁を済ませたバナリエちゃんは苦笑いしながら言いました。
「まぁ、分からないでもないけどね」
「ん……何が?」
「浮気の話だよ。フェナミナちゃんのお父さんって格好いいもん」
「ふぇ?」
お父さんがカッコいい?
何を言ってるんだろう?
突然の言葉にわたしの頭が混乱します。
お父さんは変な髪の色をしている変な人です。
あんまりカッコイイとは思いません。
「お父さん……カッコイイかな?」
「格好いいと思うよ」
「でも、変な髪の色してるよ」
「黒い髪って珍しくていいよね」
「不愛想で全然笑わないよ」
「影のある男の人って格好いいよね」
「え? でも、でも……」
お父さんがカッコいい!??
そんなこと考えたこともなかったです。
驚き戸惑うわたしですが、さらにネメネリちゃんがとんでもないことを言い出しました。
「ふふふっ、気づいたようだね」
「ネメネリちゃん!?」
「フェナミナのお父さんは、ああ見えて肉食系なんだよ。猫人族である、私には分かる。お父さんは寡黙に見せかけてあの黒い瞳の奥で獲物を狙い続けているんだよ。きっとこの瞬間にもエルフの若奥様が餌食に――ぶぎゃぅ!!」
あ……ついにゴツンがガツンになりました。
バナリエちゃんは大人しく見えて、この辺りは容赦がありません。
「ぐずっ……痛い」
「調子に乗るからだよ」
「うぅ……だって、浮気なんだもん。エルフの若奥様が毒牙にかかるんだもん。タンスの一番下から黒い箱が出て来て浮気の証拠が出てくるんだもん」
「ネメネリちゃん」
「あうっ! ごめんなさい」
「うん、よろしい」
満足そうにバナリエちゃんが頷きます。
それにしてもネメネリちゃんの想像はいやに具体的です。
きっと愛読している小説にそんなことが書いているんでしょう。
◇
「っていうことがあったんだよ」
「あらあら、フェナミナのお友達はおませさんね」
帰って来たわたしはお母さんに今日会った出来事を話しました。
お店は今、お父さんが見てくれているのでお母さんとわたしは2階でお洗濯です。
お昼の間に太陽の光を受けてカラカラに乾いたシャツやタオルを取り入れて次々に畳んでいきます。
「ねぇ、お母さん」
「なに?」
「お父さんってカッコいいの?」
「あらあら、この子ったら」
わたしの質問にお母さんは笑います。
そして当たり前のように言いました。
「お父さんは格好いいわよ」
「ふ……ふ~ん」
即答されました。
まぁ、お母さんだから仕方がありません。
「フェナミナも大きくなったらお父さんみたいな人と結婚するのよ」
「え~、やだ~。お父さん変なんだもん」
「あらあら、フェナミナにはお父さんの素敵さはまだまだ分からないわね」
「う~ん、きっと一生分からないと思うよ」
わたしが応えるとお母さんは楽しそうに笑います。
それからわたしに洗濯物を片付けるように言って、1階のお店に降りていきました。
「う~ん、お父さんってそんなにカッコイイかな?」
皆の話はどうにもしっくり来ません。
わたしはお母さんに言われた通りに畳んだ洗濯物をタンスに直していきます。
一番上はお父さんの引き出しです。
畳んだシャツを直します。
二番目はお母さんの引き出しです。
畳んだスカートを直します。
三番目はわたしの引き出しです。
畳んだ下着を直します。
そのときでした。
四段目の引き出しが目に入ります。
そこは一番下の引き出しです。
思い出したのはついさっき聞いたネメネリちゃんの言葉です。
「タンスの一番下から黒い箱……」
この引き出しは普段使っていない引き出しです。
何が入っていたのかは覚えていません。
何となしに開けてみます。
「黒い箱……あった?」
何と黒い箱が出てきました。
以前からあったのかな?
昔から入っていたような気もするし、突然現れたような気もします。
「これを開けたら……」
これを開けたら浮気の証拠が出てくるのです。
もちろんそれはネメネリちゃんが読んでいた小説の話なので、そんなもの出てくるはずがありません。
お母さんはお父さんが大好きで、お父さんもお母さんが大好きなはずなのです。
「これ?」
箱を開きます。
すると中には古い服や財布、指輪、それによく分からない不思議なものが入っていました。
「お父さんの服なのかな?」
大きいサイズの服なのでお母さんのではなさそうです。
薄くてツルツルしている不思議な生地で出来た服です。
デザインも変わっていて、変なお父さんが如何にも着そうな変な服です。
「指輪?」
銀色の指輪です。
わたしの指にはブカブカだし、お母さんがつけても大きい気がします。
お父さんが指輪をしているのなんて見たことがないけど、多分これもお父さんのものなのかな?
「う~ん、これ……何なんだろう?」
取り出したのは掌くらいの黒い板です。
片面はツルツルで、見えにくいのですがわたしの顔が映って見えます。
側面には小さなボタンのようなものがあるので押してみたのですが、どこかが開いたり割れたりはしません。
何だかよく分かりません。
その他にも鍵の束や財布も出てきます。
財布には見たこともないお札が何枚か入っています。
とても細かい柄が印刷されている絵のお札なのですが、まるで水に濡れたみたいにクシャクシャになっています。
「銅貨も見たことない字だ。お父さんの国の字なのかな?」
小銭をジャラジャラと出しながら呟きます。
そしてひとしきり財布の中身を確かめていたとき、もう一枚紙切れが入っていることにわたしは気がつきました。
「何だろう?」
端がボロボロになった古びた紙切れが財布の中から顔を覗かせます。
それを引き抜くと、この紙もまた水浸しにでもなっていたのか、染みで茶色いまだら模様が出来ています。
「?」
わたしがゆっくりと裏面を覗いたとき――
「え?」
びっくりして声が漏れました。
それは写真です。
とっても珍しい写真です。
だって色がついているからです。
私の知っている写真は白黒の写真だけで、色がついている写真なんて初めてみました。
財布から出てきた写真は濡れてボロボロで色あせてはいますが、確かに色つきの写真でした。
でもそんなことは問題ではありません。
問題はそこに映っている人が問題なのです。
「誰……これ?」
そこに映っているのはお父さんです。
色のついた写真だから余計に分かります。
こんな変な髪の色をしているのはお父さんだけです。
ところが、そのお父さんの隣にもう一人、変な髪の色をした女の人が映っていました。
おまけにその真ん中にはさらに変な髪の色をした子どもが立っています。
「どどどどど、どうしよう……」
写真を持つ手がブルブルと震えます。
だってこれじゃあ、まるで家族の写真みたいじゃないですか。
でも変です。
だってお父さんの家族はわたしとお母さんだけだからです。
それはつまり……
「お、お父さんが浮気してる……」
わたしの頭の中でガーンと音が鳴り響きました。
◇
ど、どうしよう……
お父さんが浮気をしています。
これは家族の一大事です。
あまりの出来事にお母さんが作ってくれた晩御飯の味も分かりません。
そんなわたしの様子を不審に思ったのか、珍しくお父さんからわたしに話しかけてきます。
「……どうした?」
「え!? な……何が!??」
「……様子が変だ」
「ふぇ!?……変?」
よりによってお父さんに変と言われてしまいました。
だけれど、それも仕方がありません。
何たって家族の危機なのです。
だというのに、お母さんは呑気なものです。
いつも通りのんびりとした表情でわたしの顔を覗き込みます。
「そうね、変ね」
「……具合が悪いのか?」
「そ、そんなことないよ……」
「そう?」
「……そうか」
お母さんが首を傾げています。
お父さんも不思議そうに眉を顰めています。
ま、まさか、わたしがお父さんの浮気に気づいたのがバレてしまったんでしょうか?
ド、ドキドキです。
どうしよう?
このままでは一家離散なのです。
わたしはネメネリちゃんから借りた小説の中身を思い出します。
たしか浮気された奥さんは捨てられてしまい、娘も借金の形に連れて行かれるのです。
どどど、どうしよう、わたしが借金の形に売られてしまいます!?
「え!? ちょっとフェナミナどうしたの? 急に泣き出して」
「……お、おい」
我慢し切れずに、わたしは泣き出してしまいました。
◇
わたしのお父さんは変なひとです。
わたしのお父さんは、変な名前で、変な髪の色で、変な国から大きな地震に巻き込まれてエルフの国にやって来ました。
普段は無口で暗いのですが、でもそれは言わないだけで本当はお母さんとわたしのことが大好きなのです。
そして昨日初めて知ったのですが、何とわたしにはお姉ちゃんがいるらしいのです。
お姉ちゃんはとっても遠い国にいるので会うことは出来ませんが、とっても大事なわたしたちの家族なのだとお母さんが教えてくれました。
「む~? フェナミナ、どうしたの~?」
「んふふ~、ネメネリちゃん」
「な、なに……」
今日のお昼も猫人族のネメネリちゃんと、鉱人族のバナリエちゃんと一緒です。
お昼のお弁当を広げたわたしは上機嫌でした。
「やっぱり、お父さんは浮気なんてしないもん」
「お、おう……」
わたしは自信満々です。
それに気圧されたのか尻尾の先を地面に向けてネメネリちゃんがたじろぎます。
それを見てバナリエちゃんが訊きました。
「今日は言い返さないんだ?」
「むぅ……なんか今日のフェナミナは自信満々なんだよ~」
「そう……でも、浮気じゃなくて良かった」
「?」
バナリエちゃんがニッコリと笑います。
今日のお弁当は黒豆とキノコの酢の物。
それを味わい勝利の味を噛みしめながらわたしも一緒に笑います。
「う~ん、美味しい~」
お父さんの料理は今日もとっても美味しいです。
いつかお姉ちゃんと一緒にお父さんのご飯が食べれる日が来るかな?
もう一人のお母さんにも一度会ってみたいです。
そんなことを考えながら、今日もわたしはお弁当を食べます。