エルフの国の若旦那
◆◆◆◆
「え? 味噌を液体にするんですか?」
エルフの青年が目を丸くして驚いています。
彼の名前はネモネリといい、しばらく前から取引をしている醸造蔵の跡取り息子です。
味噌というのは豆を発酵させたペースト状の調味料で主人の生まれた国では一般的なものらしいのですが、私は今回主人が探して見つけてくるまでそんなものがあるとは知りませんでした。
最初は少し臭いがキツイなと思ったのですが、料理に少量だけ入れるとそこまで気にはならず、むしろ素材の奥深さを引き出してくれる不思議な調味料です。
時間をかけて探し出した醸造蔵の親方と意気投合した主人は兼ねてから新しい味噌の相談に乗っていました。
今日はそんな味噌の試作品が出来たということで、若旦那が閉店後に持ってきたのです。
そんな中でその話は飛び出しました。
「……無理か?」
射抜くような瞳で主人は目の前にいる若いエルフの男性を見つめます。
主人はお世辞にも愛想の良い方ではありません。
きっとネモネリさんからすると怒っているように見えるのでしょう。
もちろん主人は別に怒っているわけではありません。
本当に主人が怒っているときは眉間の皺がもっとこうギュッとなって、今よりも視線が鋭くなるのです。
しかし主人よりも若いネモネリさんはその不愛想な顔に押し負けてしどろもどろになっています。
「いえ……その、非情に難しいといいますか、その……味噌を液体にするというのは聞いたことがありませんので……」
冷や汗をかきながらネモネリさんは答えます。
古くから続く醸造蔵の若旦那とはいえ、まだまだ経験の浅い彼にはまだ主人の相手は荷が重いようです。
もっともその辺りも考慮して、こちらに行くよう親方に命じられたのでしょう。
少し可哀想ですがこれも修行です。
とはいえ彼の疑問はもっともです。
私はテーブルに置かれたお茶を継ぎ足しがてら主人に尋ねました。
「ねぇ、アナタ、どうして液体にする必要があるのかしら? そんなことしなくても別に水で溶かせばいいんじゃないの?」
私の言葉を聞き、ネモネリさんは「全くその通りだ」という顔をします。
しかし逆に主人は胡乱に眉を顰めてから、何かに気づいたかのように言い直しました。
「そうか……言い方が悪かったな」
そう言うと主人は厨房の奥へ消えたかと思うと壺を持って戻ってきました。
それはネモネリさんの蔵で作った味噌の入った壺です。
その壺の中身を指さして主人は言いました。
「味噌を……保管すると、その上に水が溜まる」
「はい?」
「はぁ?」
言われて壺を覗き込むと、味噌の表面の部分に水が浮いてきています。
もちろん毎日、味噌で料理をしている私は知っていますし、作っているネモネリさんはもっと知っているでしょう。
そんな私たちに向かい、主人はさらに続けました。
「この……上澄みの部分を量産して欲しい」
「はい?」
「はぁ?」
私たちは意味が解らずやっぱり口をポカンと開けます。
これが八年前の出来事です。
◆◆◆
最近はフェナミナもだいぶ大きくなり目を離しても大丈夫になっていました。
当初は嫌厭されていた味噌を使った料理もすっかり受け入れられて経営にも余裕が出来始めています。
特に父が亡くなってから出来てしまった借金の返済の目途が立ったのが嬉しいです。
借金は怖いです。
夜が眠れません。
主人が言うには借金には良い借金と悪い借金があるそうですが、私にはその違いがわかりません。
ネモネリさんがそれを持ってきたのは、そんな肩の荷が軽くなり始めた時期でした。
「こっちが辛い味噌で、こっちが甘い味噌です」
「……ああ」
主人は小さな壺に入った味噌を見比べると、それを匙で掬って味を確かめます。
「……旨いな」
「本当ね。辛いけど何だか癖になりそう」
私も主人に倣ってひと舐めします。
そんな私たちを見て、ネモネリさんは満足そうに口元を緩めます。
「甘いのはもともとありましたが、辛い味噌というのは目新しかったですね。発酵に時間をかけなくてもいいから既存の味噌と並行して作れるのがいいですね」
自分の作った味噌に余程自信があるのかネモネリさんは胸を張ります。
それを見て主人は壺を手にして立ち上がりました。
「……待ってろ」
しばらくして主人は白いお椀を三つ運んできました。
赤いスープの上に白いトーフが浮かんでおり見た目はとても辛そうです。
「アナタ、これは?」
「……麻婆豆腐だ」
「マーボートーフ?」
「いや……麻婆豆……あ、いや、別にいい」
「はい?」
主人が何だか諦めた顔をしたのが少し気になりましたが、それよりも私は新しい料理に夢中です。
ネモネリさんも器の中身が気になって仕方ないのか、匙を持った手がうずうずしています。
でもそれも仕方がありません。
湯気の立つ器からは独特な香ばしい薫りがして食欲を刺激します。
「……食べてくれ」
「はい」
「喜んで」
私たちは喜び勇んで匙をとります。
結果としてマーボートーフはとても美味しいものでした。
見た目通りに辛いのですが、甘い味噌を混ぜ込んでいるせいか辛さに奥行きが出ているのです。
予期せぬ試食会が終わった後、満足したネモネリさんはふと思い出したように言いました。
「そういえば、以前の“タマリ”の件ですがタカノリさんの言った通りになりましたよ」
「……そうか」
ネモネリさんの言葉が予想通りだったのか、主人は大して驚いた風もなく事もなげに頷きます。
タマリというのは、以前主人がネモネリさんに伝えた味噌の上澄みのことです。
「でも、まさかこんなにあっさり売れるとは思いませんでした。タカノリさんに最高級の塩と同じ価格で売れって言われたときは『こんなの売れるわけない』って思いましたけど」
それには私も同意です。
しかも主人はこともあろうに王冠付きの最高級料理店に売りに行けと言ったのです。
王冠付きというのは王家が認めた店にだけ許される称号で、その名の通り御用達を許可された店の看板には王冠の紋章を掲げることが許されます。
現在、王冠が許されている料理屋は都の中でも三つだけ。
タマリを買い取ってくれたのは、その中でも一番古く格式の高いお店でした
「良い物は売れる……問題はどこに売るかだ」
「その通りですね」
ネモネリさんは満足気です。
最近は主人の不愛想な顔にも慣れて来たのか以前のように気圧されることはなくなってきました。
親方からはまだまだだと言われていますが頼りがいが出てきたように思えます。
「これならタマリを量産するという話も親父は納得すると思います」
「……そうか」
「でも、親父も言っていたんですが、まったく同じものっていうのはやはり難しそうですね」
「……ああ、それは別にいい」
「いいんですか?」
「……ああ、同じだとタマリが売れなくなる。タマリは……少量しかとれないから価値がある」
「なるほど、その通りですね」
ネモネリさんはニヤリと笑います。
何だかちょっと悪い笑顔です。
えっと……これも頼もしくなったと言えばいいのでしょうか?
◆◆
この時期は新しく考案したオカラドーナッツと豆乳プリンが売れだした時期でした。
フェナミナに手がかからなくなったといっても、昼休みをなくしてずっと店を開け続けることは不安でしたが、店を閉める時間を早くすることで思ったほどの負担はありません。
まだ小さいフェナミナは夜遅いとすぐに寝てしまうので、家族三人が落ち着いて晩御飯を食べれるようになったのは、むしろ良かったのかもしれません。
この日ネモネリさんがやって来たのは店を閉める直前でした。
「ちょっと待ってくださいね」
「いえいえ、構いませんよ」
ちょうど最後のお客さんに料理を出し終えたばかりなので店を閉めるまではもう少しかかります。
私は売れ行き好調なオカラドーナッツと紅茶を奥からとってくると、ネモネリさんの前に出しました。
「へぇ、これが輝く花弁の新製品ですね」
「はい、当店自慢のオカラドーナッツです。人気あるんですよ」
「最近は女性客も増えて繁盛しているそうですね」
「アハハ、おかげさまで。でもネモネリさんのところも繁盛しているらしいですね」
聞いたところによると、ネモネリさんの醸造蔵は最近新しく蔵を新造したそうです。
タマリが高級店で使われたおかげで、今まではあまり広まっていなかった味噌も色々な所で注文が増えているのです。
味噌を作っているのはエルフの国ではネモネリさんの醸造蔵だけ。
発酵製品は高い技術が必要なので、当分はネモネリさんの蔵が独占することになるでしょう。
「いやいや、こちらこそおかげさまで儲けさせてもらっていますよ。タカノリさんの助言はことごとく的中しますから」
「アハハ、うちも似たようなものですね」
「ええ、まったくです。実は今度、別の王冠持ちの店からもタマリの発注が入ったんですよ」
「あら? じゃあ、都にある王冠持ちのお店全部と取引することになるんですね」
「ええ、タマリ様様ですね。もっともっとタマリを売って大儲けする予定です」
ウハウハ顔で笑います。
でも、タマリはあまり取れないと聞いていましたけど、そんなに沢山取れるのでしょうか?
それって、つまり……
「ひょっとして以前言っていた量産に目処が立ったんですか?」
私は思った質問を口にします。
タマリが量産出来たのだとしたら、これほど嬉しいことはありません。
口にこそ出しませんが、主人はこのタマリに強い思い入れがあり量産されるのを待ちわびています。
現時点ではタマリの価格はとても高く、お店で使用するのはもちろん、普段使いすることもためらわれるのです。
そもそも王冠付きのお店に直売しているので入手も困難です。
親方に直接頼めば少しくらいは譲ってくれるのかもしれませんが、主人はそれやろうとしません。
私は期待を込めてネモネリさんを見るのですが、彼は居心地の悪そうな顔をして顔を背けます。
「あ…いえ、その……量産の方はまだ技術的に問題が……」
「そうなんですね」
残念です。
ですが、新商品を作ることがとても大変なのは私も多少なりとも分かります。
ドーナッツひとつ作るにしても、配合を何度も試し、揚げ方を工夫し、ようやく出来上がったのです。
主人が言うには、豆を発酵させるというのはとても時間がかかるのでひとつのパターンを試すだけでも何か月もかかってしまうそうです。
「ネモネリさんだったら、きっと大丈夫ですよ」
「あ、ありがとうございます。ほら、その、今の取引が成功したら開発費用も追加できるのではずですので……」
「あ、別に焦らなくても大丈夫ですよ。主人も急いでいませんし」
「そう言っていただけると……タカノリさんにはお世話になってるのに恩返し出来ていないので、心苦しい限りです」
ネモネリさんは申し訳なさそうに目を伏せます。
だけど、その気持ちは私もよく分かります。
結婚する前の私がまさにそうでした。
ある日ふらりと目の前に現れた行き倒れの男性。
今でも主人は明るい方ではありませんが、当時はもっと暗かったのです。
何だかとても辛そうで、でも料理をしているときだけ辛いことを忘れているようで、私はそんな主人につけこんで仕事を手伝ってもらっていました。
だから最初はとても後ろめたかったのを覚えています。
でも、それはすぐに困惑に変わります。
だって主人は大した見返りも求めずに力を貸してくれるのです。
借金持ちで、耳の短い、頭も悪い、世間知らずの小娘にです。
正義の味方が実際に現れるとこんなに不気味なものなのかと、当時は思ったものです。
でも今では主人が正義の味方でないことは分かっています。
だから私は自信を持って言います。
「主人は気にしていませんよ」
「そうですか……」
「そうです、そうです。私が言うんだから間違いありません。それよりもお茶……冷めますよ?」
「あ、はい……ありがとうございます」
皿からドーナッツをとるとパクリと食べると、ネモネリさんは力ない笑顔で応えます。
ネモネリさんが打ちひしがれてうちにやって来たのは、それから3か月後のことでした。
◆
「えっと、大丈夫……じゃないですね?」
「はい……そうですね」
私の声にネモネリさんは憔悴した顔で答えました。
既に店は閉めており店の中にお客さんの姿はありません。
なので少しくらい店の一画が暗くなったとしても問題ありません。
原因はタマリです。
この2年ほどで高級店から絶賛されネモネリさんの蔵を潤してくれていたタマリなのですが、どうやら商売の手を広げ過ぎたようです。
もともと生産量が少ないものだったのですが、やはり3店舗に供給するには量が足りなかったようで、在庫があっという間に底をついてしまったのです。
もちろんネモネリさんも考えなしだった訳ではありません。
「計算上は大丈夫だったんです……でも」
輸送中の馬車が横転してタマリの入った壺が駄目になってしまったのです。
もちろんそれで全てのタマリがなくなったわけではありません。
問題は三つ目に契約したお店との書類にありました。
そこには『最初の3カ月分の注文が滞った場合、違約金を払う』という条項があったのです。
その金額は決して安いものではありませんでした。
「額が少し高いですね……まぁ、うちも店をしているのだから気持ちは分かりますが」
王冠持ちの名店となると、料理人の数も、接客係の数も、沢山いることでしょう。
メニューを決めて、作って、売る、というのは存外に手間のかかる作業です。
美味しい料理を作ることももちろんですが、その料理を作るために接客係は内容を把握して売るための説明が出来なければなりません。
どんな味なのか?
どのお酒が合うのか?
他の料理との組み合わせは?
それだけのことを考えて新しいメニューというものは出来上がります。
それに昔のうちがそうだったように新しいメニューを作るには古いメニューをなくすこともあるので、すぐに別のメニューが準備出来るとは限りません。
だからこそ材料がなくなりましたという事態は困るのです。
「親方は何て言っているんですか?」
「違約金を払う。在庫は最初に取引してくれた店にだけ回すって言ってます」
「まぁ、それが順当でしょうね」
「そうですね……」
ネモネリさん自身、ここに来るまでに何度も考えた結論だったのでしょう。
肩を落としながらもネモネリさんは首肯します。
そんなとき店の片づけを終えた主人が小さなグラスを持って現れました。
「……飲め」
「タカノリさん……」
うちのお店では普段は酒精を出さないのですが、今日は特別です。
テーブルの上に置かれたのはドワーフの国原産の蒸留酒で、主人が飲む中でも一番良い物でした。
麦から作られた琥珀色の液体はなみなみとグラスに注がれており、ほんのりの樫で出来た樽の匂いが香ります。
かなり強いお酒なのですが、ネモネリさんは割っていないそれを一気に飲み干しました。
主人はそれを見守ると厨房の奥へと消えていきます。
あら、アナタ? 行っちゃうの?
もう、アナタ、ここは何か言葉をかけてあげないと。
私にとっては頼もしい背中だけど、他の人にもそうだとは限らないのよ。
私は仕方がないと思いながらネモネリさんにもう一杯注いであげます。
「あ、ありがとうございます。でも本当に情けない限りです」
「情けないですか?」
「はい、色々頑張っているつもりが失敗ばかりで……父にも迷惑をかけてしまって、タカノリさんにも知恵を貸してもらっているのに……」
酒精が悪い方に入ったのか、ネモネリさんの声がどんどん小さくなっていきます。
「仕方がありませんよ」
「そんなこと……」
「うちの主人も若い頃は失敗ばかりだったらしいですから」
「タカノリさんが?」
「はい。今でこそ偉そうですけど、昔は店を潰しかけたこともあるんですから」
「そうなんですか!?」
「ええ」
それは以前聞いた、私と出会う前の主人の話でした。
学校を出てすぐに料理店に勤めた主人はそれはもう失敗して、その度に怒られていたそうです。
一番年下だった主人は無口な性格も災いしたのでしょう。
先輩から怒られ、オーナーから怒られ、お客さんから怒られ、そうして仕事を覚えていったのです。
何年も修行してお金を貯めて、満を持して開いたお店も開店当初は大変だったそうです。
「だから最初のお店を開いてからも大変だったそうですよ」
料理が上手でもそれだけで経営出来るほど甘くはなく、その都度勉強しては新しいことを試し、慣れない人付き合いもしなければいけなかったそうです。
もちろん主人がこの国に来る前の話なのでその店に私はいないのですが、その辺りはぼやかします。
だってそうじゃないと説得力がなくなってしまいます。
「そうなんですか、タカノリさんが……」
「はい、だからネモネリさんも大丈夫ですよ。今回の失敗だってすぐに取り返します」
「あ、ありがとう……ございます」
頭を下げてネモネリさんはぐいっとグラスを傾けます。
あのお酒はかなり度数が高いのですが……大丈夫でしょうか?
もともと白いネモネリさんの顔は真っ赤になっています。
「でもぉ、うらやましいぃですねぇ」
「えっと、何がですか?」
「タカノリさんのぉ、ことですよぉ。お店が潰れそうになったときも奥さんが支えてくれたんでしょ~」
「アハハ……そうですね」
実際はその時いませんでしたとは言いにくい空気です。
それにしてもネモネリさん随分と酔っています。
意外と絡む人なんですね。
そろそろ止めた方がいいでしょうか?
「こんなにキレイな奥さんが支えてくれてぇ。私はぁ、独り身ですよぉ~。蔵もつぶれちゃいますよぉ~」
その後も色々と絶賛してくれるネモネリさんですが、自分が褒められている気がしないのであまり嬉しくありません。
ネモネリさんはさらに3杯お酒を飲み干すと、管を巻きながらひとしきり不満を吐き出してテーブルの上に突っ伏します。
「アナタ、見てないで助けてくださいよ」
「……ああ、悪い」
今更ながら出てきた主人に私は文句を言います。
もっとも私がネモネリさんの相手をしている間にフェナミナを寝かしつけてくれていたので、主人も何もしていなかったというわけではありません。
「もう、いいですけどね」
私はそっぽを向きます。
不満を聞かされたり、他人が褒められるのを聞かされたりするのは楽しいものでもないのです。
イライラと嫉妬が溜まっていきます。
主人は申し訳なさそうに眉を寄せるとネモネリさんの身体を抱えます。
奥の部屋で寝かせるつもりなのでしょう。
そして去り際にポツリと言います。
「お前にも……ちゃんと感謝してるから」
あらあら、珍しい。
どういう風の吹きまわしでしょうか?
でも悪い気分ではありません。
私の胸の中に凝り固まっていた嫉妬心がすぅっと溶け去っていくのを感じます。
だから私は少しだけ調子に乗って主人に言います。
「それだけじゃ駄目です。ちゃんと愛してるって言ってください」
「なっ!?」
私の言葉に主人は目を大きく見開きます。
そして必死に何か言おうと悩んだ後、顔を真っ赤にしたまま黙ってネモネリさんを部屋の奥へと連れて行きました。
ちょっとだけ仕返しです。
でも出来れば言って欲しかったです。
私は満足半分不満半分で主人の背中を見送りました。
◇
「お母さん、おなかすいた~」
お店を閉めるなり2階から降りてきたフェナミナが言いました。
「はいはい、もう少ししたらネモネリさんが来るから少し待ちなさい」
「今日はおじちゃん来るの?」
「そうよ。だから待てるわね」
「は~い」
フェナミナは不承不承に納得すると椅子に座って足をブラブラさせています。
まったく仕方のない子です。
ネモネリさんがやって来たのはそこから程なくしてからのことでした。
「お待たせしてすいません」
ネモネリさんはやって来るなり、私たちに一本の小瓶を見せました。
ガラスで出来たもので中にはこげ茶色の液体が入っています。
「これは?」
「量産タマリの試作品です」
「これが!?」
私は手渡された小瓶を眺めます。
「黒っぽいんですね」
「味噌の上澄みと違って、豆を発酵させた汁ですから。でも味は良いんですよ」
言われて、私と主人は小皿にとったこげ茶色の液体をひと舐めしてみます。
塩気とほんのりした甘み、豊かな香りが鼻孔をくすぐります。
「美味しい!」
「……旨いな」
思い出の中にある味によく似ているのでしょう。
味見した主人も驚きの表情を浮かべています。
だから私は主人に言います。
「今度、ルナラナちゃんが買い物に来たときに伝えておきますね」
「……ああ、頼む」
最近主人に出来た年下の友人を思い出しながら主人は口元を綻ばせます。
「これはすぐに手に入るんですか?」
「いえ……まだまだ試作品なのでここからまた改良して、商品として売るのはまだ1~2年くらいかかるでしょうね」
「1~2年ですか」
「発酵だけで何か月もかかりますから」
「そうですね……アナタ、さっそく使ってみますか?」
「……ああ」
「お母さん、おなかすいたぁ~」
「はいはい、ちょっと待っててね」
新しい調味料にお客さん。
今日の食卓は賑やかになりそうです。