エルフの国の雑誌記者
その日の輝く花弁はいつもと違った空気が流れていました。
「セリアちゃん、今日はいつもより綺麗だね~」
「アハハ、そんなこと言ってもサービスしませんよ」
「ご主人も普段よりも気合入ってるんじゃないの?」
「だったら、いいでんですけどね」
常連さんの軽口に答えながら、私は料理を運びます。
お客さんの前では誤魔化しましたが、確かに今日の私はいつもよりも身だしなみに気を使っています。
エプロンは新しいものをおろしました。
髪の毛はいつもの倍の時間を使って整えています。
何しろこの日は取材があるからです。
雑誌の取材、それも有名な雑誌です。
何だか気持ちも浮足立ってしまいます。
「すいませ~ん、注文お願いします」
「はい、すぐに!」
「こっちお会計ね」
「はいはい、少しお待ちくださいね」
「セリアちゃ~ん、料理来ないんだけど」
「あら、ごめんなさい。えっとアナタ、白豆スープと黒豆スープ……あら? 黒豆炒めだったっけ??」
「黒豆スープだ……少し落ち着け」
「アハハ、ごめんなさい」
主人に一括されて、私は落ち着きを取り戻します。
確かに主人が言うように、既にお昼を回っておりお客さんは少しずつ落ち着いてきています。
でもどうしても緊張しています。
だって生まれて初めての雑誌の取材なのです。
きっかけは常連である豚人族のテリトラさんでした。
◇
「お店の取材ですか?」
「ふむ、もともとは妻への取材だったのだがのう」
テリトラさんはうちの一番人気のメニューであるマーボートーフを匙で掬います。
主人の考案した赤くて辛い餡がかけられたトーフは見た目通りに熱いので、その辛さも相まって口の中でハフハフと息が漏れていきます。
「ハフハフ……ふぅ。ほれ、知っとるかの? 週刊エルフィナという雑誌なんだがのう?」
「週刊エルフィナ! 凄く有名な雑誌じゃないですか!?」
その名前を聞いたときはとても驚きました。
それは、芸能、政治、経済などを『新聞とは違う切り口で報道する』ことでとても有名な雑誌です。
そんな有名な雑誌がうちにくるなんて、どういうことなのでしょう?
「ほれ、ワシ最近有名じゃろ?」
「次期大臣って言われてますよね? 貴族以外で大臣に任命されるのって凄く珍しいですし」
「実際は、今の大臣が任期を終えて退任して、次の大臣が波風立てずに勤め終えたら、ひょっとしたら椅子が回って来るかも……くらいじゃがの」
テリトラさんは窓の外を眺めます。
裏通りのうちからは見えませんが、それはお城の方向です。
いつもの優しい顔でなく、鷹のような鋭い目つきをしています。
ひょっとしたら話題に出た上司の事でも考えているのかもしれません。
もっともそんな顔つきは一瞬で、すぐに柔和な顔に戻ったテリトラさんは言います。
「まぁ、そんな感じで悪目立ちしたせいか、妻を取材したいという話が来たんじゃよ『美し過ぎる財務次官の妻』とか、そんな企画だったかのう」
「ああ、そういうの最近多いですよね」
確かにテリトラさんの奥さんなら“美し過ぎる”というタイトルに負けていません。
下手をしたらタイトル自体が本人に負けてしまうかもしれません。
それくらいテリトラさんの奥さんは美人なのです。
そこまで考えて、どうしてその企画がうちの取材に繋がるのかに見当がつきました。
「ああ、それでうちなんですね?」
「うむ、そういうことじゃの」
テリトラさんは「ブフォッ」と鼻を鳴らして答えます。
テリトラさんも奥さんも学生時代からうちに通ってくれている振る馴染みです。
今ではすっかり高給取りになったテリトラさんですが当時はお金がなく、奥さんとよくご飯を食べに来てくれていたのを私もよく覚えています。
特に父の代では何度もツケでご飯を食べていたらしく、それを見かねた奥さんがテリトラさんのためにお弁当を作ったりと、二人がつき合うきっかけになったのがうちの店なのです。
「まぁ、当日は妻もワシも来ないから。ちょっとインタビューをして、小さく写真が使われる程度じゃと思うがのう。セリアちゃんが嫌だったら断るけど、どうしようかのう?」
「そうですねぇ……」
私は逡巡します。
雑誌の取材。
どんなものかは覚えていませんが、父の代には何度かあったような気がします。
しかし今の店になってからは取材なんて一度も受けたことがありません。
しかも今回は週刊誌で一番売れている一番人気の大衆誌なのです。
正直に言うと受けたいです。
取材して欲しいです。
私は考えてからチラリと厨房の奥にいる主人に視線を向けました。
主人は無口で人と話すことがそれほど好きではありません。
こういう話もきっと嫌いだと思います。
「どうするかのう?」
「そうですねぇ……」
私はテリトラさんと主人の顔を見比べます。
この話をわざわざテリトラさんが持ってきてくれたということはうちの宣伝に使ってくれという意味合いもあるのでしょう。
悩みます。
ものすごく悩みます。
そうして悩んだ私は言いました。
「そうですねぇ……もったいないですけど今回は――」
お断りします。
そう言おうとした矢先でした。
「受ければ……いいだろう」
「アナタ?」
いつの間にやって来たのか主人が答えました。
「取材を受けてもいいの?」
「……ああ」
主人は空になったテリトラさんのお皿を下げると代わりにデザートの豆乳プリンを置いていきます。
そして厨房に戻る前に「取材の対応はお前がしろ」と言って下がっていきました。
それを見てテリトラさんは満足そうに「ブヒィ」と鼻を鳴らします
「うむ、タカノリの許可はとれたようじゃのう」
「はい、そうですね」
「しかし相変わらず不器用なヤツじゃのう」
「アハハ、そうですね。でもああ見えても、優しいところもあるんですよ」
「まぁ、それはセリアちゃんやフェナミナちゃんを見ていれば分かるのだがのう」
テリトラさんは大きな体に似合わない小さなスプーンで豆乳プリンを掬うと満足そうに息を漏らします。
こうして輝く花弁の移転後初めての取材が決まったのです。
◇
取材の当日やって来たのは鮮やかな青い鱗が印象的なヌゥアルマロさんという蜥蜴人の男性です。
「今日はよろしくお願いします」
厳めしい見た目とは裏腹にヌァアルマロさんは丁寧に頭を下げておじぎします。
私は生まれて初めて手渡しされた名刺にドキドキしながら、慌てておじきを返します。
ちょっと写真を撮って話を聞くだけと思っていたのに凄く丁寧な対応です。
やっぱり大きな会社は違います。
主人は意外とこういう対応になれているのか、気負った風もなく頭をさげてそのまま厨房の奥へと引っ込んでいきます。
そのときに一瞬だけ目配せしたので「あとは私に任せる」ということでしょう。
緊張します。
そして取材が始まりました。
取材の内容はテリトラさんたちが学生時代のときのことです。
今では『財務次官』と『美し過ぎる妻』ですが、当時の二人は優しいお兄さんとお姉さんといった感じでした。
当時の私はまだ小さく店で食器の片づけなどの簡単な手伝いをしていましたが、そんなときお駄賃と言って二人からお菓子などをもらったものです。
そんな思い出を私は語ります。
ヌァアルマロさんはそんな話に、大仰に頷き、相槌を打って聞いてくれます。
蜥蜴人の方はエルフから見て総じて表情が分かりにくいのですが、ヌァアルマロさんの仕草は実に感情豊かです。
きっとこれがプロの技なのでしょう。
最初は緊張していた私も気持ち良く話すことが出来ています。
そして話題は自然と今の店の話になりました。
「じゃあ、今のこの店は移転したんですね」
「ええ、以前は大通りの方にあったんですが、父が亡くなってから色々ありまして……」
「どの辺ですか?」
「ええっと……ほら、こっちから見たら交差点の手前で服屋さんの隣の――」
「ああ、この前まで食堂が入ってた?」
「はい、そこです」
「今は空きテナントになってますよね。流行ってるように見えたんですけど」
「オーナーさんがけっこう年だったみたいです。ひょっとしたらうちと同じようなパターンなのかもしれないです。あそこはテナント料も高いですから」
そう考えると、何だかあの店にも共感が湧いてきます。
実際のところは分かりませんが、むやみに嫌ったりせず一度くらい食べに行っても良かったのかもしれません。
でも、やっぱり、何だか、とにかく、そう悔しかったのです。
ちなみに主人は一度行ったことがあるそうです。
そのときは夫婦仲が少しだけ険悪になったのを覚えています。
私は厨房で皿を洗う主人に「裏切り者って言ってごめんなさい」と心の中で謝罪します。
そんな中でヌゥアルマロさんが言いました。
「そういえば、このお店のことは以前から知っていたんですよ」
「そうなんですか!?」
「ええ、最近話題のスイーツのお店ですから。私は以前の店の事は知りませんが、ここのオカラドーナッツはうちの若い子たちがよく買ってくるんですよ」
小さな目を更に細めて笑うと蜥蜴人特有のギザギザの歯が顔を覗かせます。
どうにもこのヌゥアルマロさん、見かけによらず甘党のようです。
「もともとはトーフを作ったときに出てくる搾りかすなんですけどね」
「トーフ?」
聞き覚えのない言葉なのかヌァアルマロさんは首を傾げます。
どうやらトーフを知らないようです。
オカラドーナッツも豆乳プリンも人気がありますが、うちの看板料理は飽くまでトーフなのです。
これは是が非でも食べてもらわないといけません。
「せっかくですから食べていきますか?」
「いいんですか?」
「ええ、うちはお昼休憩ありませんから」
「じゃあ、せっかくなので一番人気の料理を」
「それだとマーボートーフですね。この前テリトラさんも食べてました。だた……」
「ただ?」
「辛いんですけど、大丈夫でしょうか?」
甘党だからといって辛いものが苦手とは限らないのですが、念のために私は尋ねます。
するとヌァアルマロさんは少し考えてから言いました。
「辛いんですか……まぁ、大丈夫だと思います。じゃあ、そのマーボートーフを」
「はい、わかりました。アナタ~、マーボーひとつ~」
どうやら辛いのも大丈夫なようです。
マーボートーフを作る間、私はトーフについて喋ります。
父がなくなり代替わりしてから商売の仕方を見直したこと、既存のメニューを大幅に削り名物となる料理を考えたこと、新しいお客さんを呼ぶために女性向のお菓子の販売を始めたこと、一通り喋った後にマーボートーフはやって来ました。
「……お待ちどう」
主人は静かに皿を置くと、そのまま静かに厨房へと帰っていきます。
作りたてのマーボートーフは赤い色と湯気も相まって実に辛くて美味しそう。
2種類の味噌で作った赤い餡は、辛い味噌に加えた甘味噌がより辛さを引き立てるのです。
「どうぞ」
「ええ……はい」
ヌァアルマロさんは見るからに辛そうなマーボートーフを見て若干顔が引きつっています。
やっぱり辛い料理は駄目だったのでしょうか?
少し不安になりましたが、ヌァアルマロさんが止まっていたのは一瞬のことですぐにスプーンでマーボートーフを救うと口元に運び出しました。
「ぬぅ!……これは! 辛いけど美味しいですね」
最初こそ戸惑っていましたが、一口目を食べ終えたあとは匙が止まることなく動き続けます。
青い鱗が赤くなるんじゃないかと思うほどの勢いでヌァアルマロさんはマーボートーフを平らげます。
「ふぅ~、美味しかったです。この白いのがトーフなのですね。赤いスープにもよく合いますね」
「トーフも餡も豆で出来ていますから合うんですよ。新しい料理を考えるとき目新しいものを……って考えたんですけど、あまり馴染みのないものだと受け入れられませんから」
「確かにこの国の人間は大抵、豆を食べますからね」
「そうなんです」
それが数ある料理の中からトーフを選んだ理由です。
主人の読み通り、見覚えのない不思議な触感のトーフは瞬く間に常連さんの間にも受け入れられました。
こうして父の作ったレシピにも主人は美味くトーフを組み合わせていきました。
トーフ、オカラドーナッツ、豆乳プリン、これが私と主人が作った新輝く花弁の看板メニューなのです。
「財務次官が若いときに通っていた頃とは違いますが、いいお店ですね」
「ええ、私と主人の自慢の店です」
胸を張って私は言います。
そんなとき背後から来た影がそっとテーブルに手を伸ばします。
「アナタ?」
「……サービスだ」
それだけ言うと、また厨房の奥へと戻ってしまいます。
あれ?
何でしょう、この料理?
それは私の知らないメニューでした。
白い小さな椀の中に四角いトーフが入れられ、その上から黄金色の蜜がかけられています。
「これはハチミツですか?」
「えっと……多分そうだと思います」
ハチミツだからお菓子……つまりデザートメニューということです。
困惑する私を尻目にヌァアルマロさんは一緒に出された小さな匙で蜜をかけられたトーフをひと掬い。
それが舌の上に乗せられ、口腔に含まれ、喉を通り過ぎていき――
「うおっ! これは!?」
ヌァアルマロさんは小さな目をカッと見開きました。
「濃厚な豆の旨みをハチミツの甘みが優しく包み込んでいる。それにこれは……塩ですね。僅かながら塩がまぶされている。この塩味が甘みをさらに引き立て、味をより複雑なものにしている」
「は、はぁ……」
何だか凄い剣幕です。
ヌァアルマロさんの調子がどんどんと鰻登りになっています。
やっぱり甘いものが好きみたいです。
「奥さん、この料理の名前は?」
「えっと……このメニューは普段は出していないので」
「なるほど確かにこのシンプルな味付けは初めてトーフを楽しむという意味では丁度良い。それでわざわざ私のために出してくれたのですね」
「は、はい……」
えっと……多分主人の狙いはそうなんだと思います。
いつも厨房に引っ込んでいる主人ですが大切な話はけっこう聞いているのです。
甘いものが好きで、初めてトーフを食べるという所をちゃんと聞いていたのでしょう。
デザートをサービスするだけならいつも通り豆乳プリンを出したはずです。
「やはり素晴らしいお店ですね」
「アハハ、ありがとうございます」
私は改めてお礼を言います。
代替わりして10年以上経ちますが、いまだに先代と比べられることも珍しくありません。
そんな中でもこうして新しい試みを褒めてくれる方も沢山います。
そうして蜜のかけられたトーフを見ると、私は心の中で「でも、何かするときはちゃんと説明してね」と主人に文句を言います。
あとで同じ料理を作ってもらいましょう。
これは業務上とても大切なことなのです。
けっして美味しそうで食べてみたいからとか、そういうことじゃありません。
私は手放しで絶賛してくれるヌァアルマロさんと喋りながら、相変わらず厨房の奥に引っ込んでいる主人を苦笑しながら睨みつけました。




