エルフの国の新作スイーツ
「お母さん、掃除終わったよ」
朝一番に娘のフェナミナが元気に声を出します。
言われて見てみれば、店内の床とテーブルが綺麗に掃除されていました。
「うん、今日もピカピカね」
「えへへ~」
娘の頭を優しく撫でると、指の間を金砂のように髪がサラサラと流れていきます。
今日は少し時間があるので編んであげましょう。
「フェナミナ、じっとしていてね」
「ふぇ?……あ、うん♪」
何をされるのか分かったのかフェナミナは嬉しそうに笑います。
私は奥の棚から髪留のゴムをとってくると、右側の髪で小さな三つ編みを作って止めてあげます。
今日の髪留は若草色のガラス玉がついていて、フェナミナの濃い金色の髪にもよく合います。
「ほら、出来たわよ」
「ありがとう、お母さん」
ニコリと笑った顔はまさに天使です。
昔から『髪を磨けばば耳難隠す』と言われるだけあります。
おしゃれに気をつければ、少しくらい耳が短くても女性は十分魅力的に見えるものです。
「……弁当だ」
「あら、ありがとうアナタ。フェナミナ、お弁当よ」
「は~い。お父さん、お母さん行ってくるね」
「いってらっしゃい」
「……ああ」
私がお弁当を渡すとフェナミナは元気よくお店の入口から出ていきました。
そんな私を見て主人が言います。
「……いつも、大変だな」
「はい?」
「髪の……手入れだ」
「ああ、フェナミナの。そんなことはありませんわ。髪型を変えるのは楽しいもの」
「……そうか?」
「ええ。それに今からこういうことを気にするように教育すれば、大きくなったときに困りません」
「……困ったのか?」
「アハハ、それは……ねえ?」
「??……まぁ、いいが。フェナミナや……が可愛くて困ることはない」
それだけ言うと、くるりと後ろを向いて仕込みをするために厨房に戻ります。
でも、アナタ。
小さな声で「フェナミナやお前が可愛くて困ることはない」と言ったのも聞こえていますよ。
私は耳短くても聴力はいいのです。
何だか楽しい気持ちになって来ました。
「……どうした? 早く仕込みを終わらすぞ」
「はぁ~い♪」
仕込みが終わってひと段落したわたしは店の前に出ます。
店の前はフェナミナが掃いてくれたお陰で綺麗になっているのですが、高いところはまだ背が届かないので掃除出来ていないのです。
私たちの店は裏通りの少し目立たないところにあります。
もっとも裏通りと言っても寂れているわけではありません。
大きな建物が並ぶ大通りから一本入った所には、私たち意外にもいくつも小さなお店は並んでいます。
2階建ての建物。
1階がお店で2階が居住部分。
親子三人で済むには十分な広さです。
レンガ造りの壁には大きめの窓が3つ。
フェナミナはまだ手が届かないので、それを一枚一枚丁寧に拭いていきます。
窓から見える店内では主人が厨房の奥で一休みしています。
この十年間ほとんど休みも取らずに働いて主人は少し年をとった気がします。
私よりも三つだけ年上なはずなのですが、エルフは他の種族よりも少しだけ長生きなので、その差もあるのかもしれません。
窓に映った自分と主人の姿を比べながら私は掃除を続けます。
次は入口の掃除です。
樫の木で出来たドアには真鍮で出来た逆三角形の看板が埋め込まれています。
看板には『フェリナリー』の文字と、その下には主人がデザインしたマークが入っています。
看板は店を移転したときに新しく作り直しました。
本当は看板だけでもそのまま持ってきたかったのですが、以前の看板は大きすぎて今の店の入口には合わなかったのです。
フェリナリーとは古いエルフの言葉で『輝く花弁』という意味で、父がつけた店の名です。
その下にあるマークは文字で、主人の国の文字です。
主人がエルフの国に来る以前に経営していたお店の名前です。
フェリナリ―と同じ『花』という意味らしいので、店を移転するときにつけてもよいかと主人に尋ねられたのです。
もちろん私は二つ返事で了承しました。
このお店は、死んだ父と、主人と、私のお店なのですから。
「うふふ~、綺麗になりました」
10年前はピカピカだった真鍮の看板は年月を経て鈍い輝きを放っています。
自分の仕事に満足のいった私は悦に入ります。
そうして準備中の札を取り、営業が始まります。
その日のお昼はすぐに席が埋まってしまいました。
ほとんどが常連さんです。
「セリアちゃん、黒豆定食」
「こっちは白豆ね」
「はい、は~い」
「マーボートーフちょうだい」
「俺も」
「はいはい。アナタ、白1、黒1、マーボ2よ」
「……ああ」
白豆定食や、黒豆定食の注文がどんどん入り、店の中は大忙しです。
お昼を回るまで休む間もなく動き続けます。
ほとんどが男性のお客さんです。
でも、時間が経つにつれ、お客さんの層が少しずつ入れ替わってきます。
お昼時が終わり空席が目立ち始めると、少しずつ女性のお客さんが入り始めます。
すでに昼食の時間は終わっています。
うちは豆料理を中心にした食堂です。
でも、出しているのはそれだけではありません。
私は入って来た女性のお客さんに注文を取りに行きます。
「お待たせしました。ご注文はどうされますか?」
「豆乳プリンと紅茶」
「オカラドーナッツセットをください」
「はい、かしこまりました」
私は一礼するとお茶を準備します。
主人は厨房で大量の洗い物を片付けている最中です。
この店の従業員は私たち二人だけなので、どうしてもお昼時は洗い物に手が回らないのです。
お客さんが少なくなっても主人は厨房で大忙し、でもドーナッツとプリンは作り置きなので大丈夫なのです。
「アナタ、プリンとドーナッツ出しておきますね」
「……ああ」
主人は私に目配せだけすると洗い物を続けます。
私はコンロにヤカンをかけると、沸騰する間にカップとお皿を準備します。
お茶の葉は残念ながらそこまでよいものではありません。
忙しいのでカップやポットも温めている余裕がありませんが、そこは専門店でないのでご愛敬。
そのかわりドーナッツと豆乳プリンは主人の自信作です。
手早く準備したプリンとドーナッツを乗せたお盆に紅茶の入ったカップを乗せます。
「お待たせしました。豆乳プリンとオカラドーナッツのセットです」
お目当てのドーナッツとプリンが目の前に現れてご婦人方は色めき立ちます。
これは父の代ではない光景でした。
以前の食堂は繁盛してはいましたが、女性のお客さんはあまり目立ちませんでした。
ところが主人がトーフを作る過程で生じたオカラと豆乳でお菓子を作り出すと少しずつ広まり、今では女性のお客さんが訪れるようになったのです。
お昼過ぎの時間はどうしてもお客さんが途切れがちだったのですが、このプリンとドーナッツのおかげで沢山のお客さんがやってくるようになりました。
そのせいで休み暇もなくなってしまいましたが、それは心地の良い忙しさです。
「……おい」
「はい」
「……今の内に休憩しておけ」
「分かりました。じゃあ、少しだけ裏で休みますね」
「……ああ」
私は厨房の奥に引っ込むと先ほど淹れた紅茶の余りをいただきます。
休憩といっても、よほど暇なとき以外はすぐに店に出れる場所に腰を下ろす程度です。
主人は料理の腕はいいのですが無口な性質なので、接客はなるべく私がやってあげたいのです。
私はドーナッツを食べているご婦人方のお茶が終わるまでゆっくりと身体を休めます。
そうしてタイミングを見計らってご婦人方のテーブルへと向かいます。
「食器をおさげしますね」
「はい……あ、えっと、持ち帰り用のトーフってまだありますか?」
「はい、大丈夫ですよ。おいくつですか?」
「じゃあ2つ」
「はい、かしこまりました」
食器を下げて私は商品を準備します。
そうです。
うちではトーフの販売もやっているのです。
プリンとドーナッツで女性客を呼び込み、トーフも買ってもらう。
まさに一挙両得です。
主人がトーフを考案してから、うちの店の商売の仕方は変わりました。
料理を作るのではなく、料理を売る。
こちらが作りたいものを出すのではなく、相手が望んでいるものを出す。
父がやっていたことが間違っていたとは思いませんし懐かしく感じることもありますが、私は今の方が性に合っているようです。
とはいっても、ほとんど主人が教えてくれるのですが。
「……おい、ちゃんと休憩したのか」
「アハハ、大丈夫ですよ。アナタも少し休んで下さいね」
「……ああ」
さぁ、もうすぐフェナミナも帰ってきます。
お店の中を片付けてしまいましょう。
◇
外がすっかり暗くなった頃、私は準備中の札を出すために外に出ました。
忙しかったお仕事も今日はこれで終わりです。
樫のドアに埋め込まれた逆三角形の真鍮製の看板。
その下にあるフックに準備中の札をかけます。
後ろから声をかけられたのは、ちょうどそのときでした。
「しまった~、もう終わりですね~」
振り向くとそこには赤い髪の色をした女の子が一人立っています。
この子は最近テリトラさんの紹介で来るようになったお客さんの一人です。
普段は彼氏と二人で来るのですが、一人で来たということは……
「トーフの購入だけだったら大丈夫ですよ」
「本当ですか!? ありがとうございます」
彼女はペコリと頭を下げます。
見た目だけ見ると子供のようですが、彼女はれっきとした大人です。
小人族というエルフの国ではとても珍しい種族だと彼女の恋人から聞いたときは少しだけ驚きました。
少しだけ……というのは理由があって、それは当の恋人さん本人に理由があります。
「いくついりますか?」
「三つお願いします」
「分かりました。少し座ってお待ちくださいね」
私は彼女を店内に通すと、入口のすぐ横にある椅子に案内します。
私は厨房に入りトーフを三つ取り出して袋に入れます。
「はい、どうぞ。ずいぶん気に入ってくれたんですね」
「うん、美味しいですよね、トーフ。ボクの彼氏なんて泣くほど好きですから」
「アハハ、そうでしたね」
顔を合わせて笑います。
何しろ恋人さんが初めてうちの料理を食べたとき、涙を流して食べていたからです。
うちの主人と同じ黒い髪と黒い目をした青年でした。
私が表にいるときはほとんど厨房から出てこない主人が珍しく客席に出て行ったのも印象的でした。
その後、二、三言話してから、私は彼女を入口まで見送ります。
そのときです。
「……おい」
主人が私に声をかけます。
見れば、手元に何か包みを持っています。
私はそれを見て理解すると、小走りで主人から受け取り、それを彼女に手渡しました。
「主人からです」
「え? いいんですか」
「ええ、新しいオカラドーナッツの試作品なんで、今度彼氏さんと来た時に感想を聞かせてください」
「もちろんです。ボクも彼氏もこの店が好きですから……やっぱり、懐かしい感じがするそうです」
「そう。だったら良かったわ」
「はい」
彼女はニコリと笑います。
そのとき入口の看板に視線を向けて言いました。
「そういえば、この看板のマークって、旦那さんの国の文字なんですよね」
「ええ、主人が以前、経営していたお店の名前らしいです。『花』という意味らしいですね」
「サクラっていう花ですね。ボクの彼氏も言ってました」
「サクラ?」
「はい。ピンク色に咲く木で、その時期になると山全体がピンク色になるそうです」
「山全体がピンク色になる!?」
なるほど、それは確かに『輝く花弁』です。
私は改めて得心がいきました。
「アハハ、そんな凄い花だったんですね」
「はい。向こうの国ではとても大切な花で、女の子の名前にもつけたりする、って言ってました」
「へぇ……」
そういえばフェナミナの名前を決めるときも花の名前をつけたいと言っていました。
そのときは不思議な感じがしたのですが、主人の国では一般的なことだったんですね。
「じゃあ、また今度、彼氏と一緒に来ますんで」
「はい、お待ちしています」
私はペコリと頭を下げて彼女を見送ります。
これで今日の仕事はお終い。
昇り始めた月を背に私は店の入り口に準備中の札をかけます。
「さぁ、私たちも晩御飯にしましょうか」
扉が閉まり、閉店。
こうして私たちの一日は終わります。