エルフの国の定食屋さん
お祭りが終わったのは先週の話。
あれだけ多かった観光客もすっかり減って街はいつもの顔を取り戻しました。
商業地区-第1区画-12番-7号、大通りから少し離れた私の店はもう少し前から元に戻っています。
早朝から鳴き声を上げていたロック鳥も孵化してからは静かなものです。
日が昇ってから少し時間が経っていますので、きっと雛の餌を探すために山の向こうまで飛び立っているのでしょう。
そんなことを考えているとカウンター越しに娘の声が聞こえました。
「お母さん、掃除終わったよ」
店内を見渡せば6つ並んだテーブルがピカピカに磨かれていました。
1つのテーブルに4脚ずつ置かれた椅子の脚まで綺麗に拭かれています。
「ありがとう、フェナミナ」
「えへへ~」
私が娘の頭を撫でると髪の隙間から飛び出た耳がピクピクと嬉しそうに動きます。
小麦の穂のような濃い金色の髪は綺麗なのですが、私に似て少し短い耳なので学校で男の子たちから苛められていないかどうか心配です
「お母さんどうしたの?」
「ううん、何でもないわ」
「そう?……じゃあ学校に行ってくるね」
「はい、いってらっしゃい」
「お父さんも行ってくるね」
「……ああ」
フェナミナは厨房にいる主人にも挨拶をします。
無口な主人は頷きで挨拶を返すと、フェナミナはいつものように鞄にお弁当を入れて店の入り口から出ていきます。
今年で初等学校の2回生になった娘は毎朝掃除の手伝いをしてくれる本当に良い子です。
飲食店の自営業のために日曜も休むことが出来ないのですが、文句も言うこともありません。
それに少し甘えてしまっているのではと心配になってしまいます。
ああ……いけませんね。
不安が表情に出てしまっています。
もうすぐ開店の時間なのですから、景気の悪い顔をしているとお客さんが逃げてしまいます。
私はフェナミナが綺麗に掃除をしてくれた店内をぐるりと見回すと、主人を手伝うために厨房に戻ります。
仕込みは既に最後の仕上げに入っていました。
作っているのはうちの名物でもある豆料理です。
粉砕した豆から抽出した汁を固めた物で、あとは切り分ければ仕込みは完了です。
「あとは私がやりますね」
「……ああ、頼む」
入れ替わりで、私は均等に切り分けるために包丁を振るいます。
見た目は簡単なのですが、これが意外と難しく出来るまで何度も失敗しました。
この料理もそうですが、主人は沢山の豆料理を知っていて色んなメニューを考案してくれます。
最初は見慣れなかったこの白い食べ物も、今ではすっかりうちの人気メニューになりました。
「さぁ、これで最後ね。アナタ、終わりましたよ」
「……ああ、そこに置いておいてくれ」
「はい」
言われたとおり、ブロック状に切り分けたものを水の入った容器に入れていくと朝の仕込みは万全です。
お昼前に店を開けると一人、二人とお客さんが入ってきました。
中年のエルフの男性で、二人とも常連さんです。
「いらっしゃいませ」
「セリアちゃん、いつももの」
「はい。白豆の定食ですね」
「俺は黒豆で」
「はい。ピクルスはつけますか?」
「今日のは何?」
「赤大根です」
「じゃあ、それで」
「俺も」
「かしこまりました。アナタ、白1、黒1、ピクルスありで」
「……ああ」
注文を受け取って主人に伝えます。
いつも通り主人は短い返事で答えると鍋を振るいだしました。
私も器を準備して主人の脇に準備します。
「アナタ、置いておきますね」
「……ああ」
主人が鍋を振るうと豆と野菜が踊る様に宙に舞います。
宙に舞うことで水分が飛び、炒め物が美味しくしあがるそうです。
練習するのですが、私はこれがなかなか出来ません。
私も料理には自信があるのですが、主人の方がずっと上手なのです。
ですから、私は主人が炒め物をしている間にスープを準備します。
その間に炒め物が出来上がりました。
「……出来たぞ」
「はい」
私は出来た豆の炒め物とピクルスと一緒にテーブルに運びます。
料理提供はスピード勝負です。
せっかく主人が作った料理も冷めてしまっては美味しさが半減してしまいます。
今はゆっくり出来ますが、昼時となるとテーブルもカウンターも全て埋まってしまいます。
狭い店内とはいえ、注文を取ったり、さげ物をしたり、お会計をしたりと、動き回っててんやわんやするのです。
主人は生来の口下手なので、そこは私の仕事です。
「おまちどうさまです」
「おう」
「ありがと、セリアちゃん」
私は二人に「ごゆっくり」と言い頭を下げると、次のお客さんを待ちます。
もちろん、この間もぼうっとしている訳ではありません。
お客さんの水がなくなっていないか、食事が終わっていないか、新しくお客さんが入って来ないか、をチェックしています。
とくに最初の「いらっしゃいませ」が重要です。
挨拶という意味でももちろん重要なのですが、先に声をかけるというのがとても大切なのだと主人から教えられました。
相手が入って来たときにすぐに挨拶をして席に誘導する。
そうでないと、入って来たお客さんが勝手に座ってしまいます。
私は最初はそれが何故いけないのか分かりませんでした。
しかし主人によると、店を開けた直後のお昼前の時間帯なので先にテーブル席、次にカウンターから通さないと回転率が落ちるのだそうです。
そのためにも先だって挨拶して席に案内する、というのはとても大切なのです。
これを心がけてから、無理に相席になってもらったり、満席になったときのお客さんの待ち時間が大幅に減りました。
まさか挨拶ひとつにそんな意味があるだなんて知らなかった私はとても驚きました。
主人はとても物知りなのです。
私が目を皿のようにして店内の様子を見ていると、ガラス戸の入口に人影が映りました。
あら? あの人影は?
樽のような体型に、頭の上にある三角の耳。
見覚えのある影だと思い、入口が開くのを確認すると、入って来たのは予想通りの方でした。
「お久しぶりです、テリトラさん」
入って来たのは豚人族のテリトラさんです。
この方はお父さんが生きていた頃から、この店を贔屓にしてくれているお客さんです。
すっかり出世されて偉くなった今でも、ときおりやって来てご飯を食べていくのです。
「うむ、久しぶりだのう」
「お久しぶりです。今日は奥さんはいらっしゃらないのですね」
「ふむ、仕事の途中で通りかかってのう。そろそろ昼時だし食べてから戻ろうと思ってのう。セリアちゃんの顔を見たら、さらに腹が減ってきたわい」
テリトラさんは大きく前にせり出したお腹を揺らしながら笑います。
テリトラさんにはとても綺麗なエルフの奥さんがいらっしゃいます。
普段はその奥さんと一緒のことが多いのですが、どうやら今日は仕事の合間に寄ってくれたようです。
テリトラさんを見ると、主人も厨房の奥からペコリと頭を下げました。
私は一番奥のテーブルにテリトラさんを案内します。
そのときテリトラさんは先に来ていたお客さんのスープを見て言いました。
「ふむ、“トーフ”も随分と馴染み深い食べ物になってきたのう」
“トーフ”というのは粉砕した豆から抽出した汁を固めた物で、先ほど私が切り分けていたうちの名物料理です。
主人があれを考案してくれたのは結婚する前ですから、もう10年ほど前になります。
「最初にあれを出されたときは驚いたものだがのう」
「そうですね。でも今ではすっかりうちの名物です。見た目からは想像もつきませんが豆で出来ていますからね。この国の人間にも馴染み易かったんでしょうね」
「ふむ、最初はどこの誰とも分からん怪しい男が親父さんの店を取り仕切り始めて不安だったんじゃが、今ではワシもすっかり気に入ってしまったわい」
「もう、テリトラさんってば怪しい男だなんて酷いですね」
私たちは向かい合って笑います。
親父さんというのは11年前に他界した私の父のことです。
でも、確かにあの頃の主人は怪しいと言われても仕方がありませんでした。
何しろ店の前で行き倒れていたのです。
「ふむ、しかしあのときは親父さんが亡くなった直後で、世間知らずのセリアちゃんを悪い男がかどわかしているようにしか見えなかったからのう」
「アアハ……世間知らずだったのは確かですね」
「うむ、店を大通りから、この裏通りに移転すると言い出したときはワシも妻も本気で止めようかと思ったのじゃがな」
「でも結果として正解でしたね。お店は小さくなってしまいましたけど家賃も安いし、これなら私と主人だけでも十分経営切り盛り出来ます」
「うむ、そうだのう。トーフ以外にも変わったメニューが増えたが、それでも親父さんの味をしっかりと引き継いでくれておる」
「そうですね」
テリトラさんに言われて、主人と出会ったあの頃を思い出します。
あのときは人生で一番大変な時期だったと断言出来ます。
男手一つで私を育ててくれた父が急逝し、見よう見まねで食堂を経営することになったのですが、何をしても上手くいかず途方に暮れていた時期でした。
そんなときに店の前で倒れていた主人にご飯を食べさせたのが全ての始まりでした。
そのときに私が作ったご飯をけちょんけちょんに駄目だしされたのですが、それも今となっては大切な思い出です。
あのときは見ず知らずの行き倒れにご飯を食べさせてやったのに、それを恩とも思わずに文句を言われ、しかもその指摘がいちいち正しくて何一つ言い返せないことに悔しくて泣いてしまいましたが、それでもいい思い出なのです。
「どうしたのかのう?」
「アハハ、何でもありませんよ」
「ふむ、何か怒っているように見えたが気のせいか?」
テリトラさんは首を傾げます。
いえ、怒ってなんかいませんよ。
確かに主人は無口で、不愛想で、たまに意地悪ですが、それでも私にとって最高の夫なのです。
私や父の店にも文句を言っていたのに、ちゃんと最後には私の話を聞いてくれるのです。
その証拠にどれだけ新しいメニューを入れても、父の代から基本的な味付けは変えずにいてくれました。
それどころか代替わりして味が落ちたと言われていた店の味を寸分変わらず再現してくれたのです。
私はテリトラさんから注文を受け取ると主人に伝えます。
「アナタ、テリトラさん、黒豆定食よ」
「……ああ」
いつものように答えると、主人は鍋を振るい始めました。
さてこれからお昼の書き入れ時です。
こうしてエルフの国の一日が今日も始まります。




