プロローグ
『――愚弱勇者』。
これが勇者就任一日目でついた僕の呼び名だ。
自分で言うのもなんだけど、僕は決して弱いというわけではないんだ。
これでも世界を代表する勇者派閥、【三代グレート】の一つに一発合格するくらいには認められていたんだ。
それなのに【愚弱勇者】なんて恥辱な名が付いた。
あれは勇者に就任して最初の任務、モンスター退治に出向いた遠征でのことだった。
「テオ。お前は新米の中でもずば抜けて腕が立つ。俺の補佐に回ってくれ」
「はい!! 」
モンスターの出現が多発するゾーンである、【アタック区域】に向かう道中でのこと。
武将ひげを蓄える第三部隊の部隊長であるロッツさんは、その立派な髭を摩りながら僕にそう命じた。
実戦での経験に欠ける新人が、最初に任されるのは荷物もちである第二部隊が主流であるが、僕を含めた数人の新人は、第三部隊に配属され一足早く実戦デビューの場を得た。
いわゆる期待の新人。そう呼ばれる者たちだった。
そして人生初のエンカウントは、早々に訪れた。
――ガサガサガサッ
「ひっ……!! 」
第二部隊の右側、茂みの影から現れたのは、リスに似た手のひら台の小さなモンスターだった。
毛並みは黒で瞳は白。
一見普通のリスとは一線を画す色彩だが、その姿かたちは愛らしいそれだった。
「ハハッ、お前なにビビッてんだよ」
「ビ、ビビッてませんっ……!!! 」
第二部隊の新人を冷やかす先輩勇者たち。
そんな光景を脇目に、一番近くにいた僕はモンスターの元へと歩み寄った。
近くに寄ると本当に小さい。
資料で見るモンスターは僕の身長をゆうに越すものばかりだったが、それでも最弱といわれる部類のダブルX級にあたる。
ゆえに、ビー玉のようなつぶらな目で見つめてくる、このモンスターはどの階級にも該当しない最弱の中の最弱ということになる。
名前を持たない――【害のないモンスター】、そう記載されていたっけ。
僕は柄に掛かけた手を、今一度、体の横へと戻そうとした。
だが、その間違った情けはすぐに見破られる。
「テオ、俺たちは捕食者だ。どんな雑魚だろうが見逃すことは許されない」
見透かすように、背後からロッツさんが念を押す。
(……そうだ、モンスターはモンスターでしかない)
僕は今一度、己を戒め、振り返らずに「はい!! 」とだけ返事をした。
再び、柄にかける右手。
『――駆り続けなければ、モンスターは延々と増殖しつづける』
モンスターは無限だ。
ゆえに僕らは『捕食者』であり続けなければならない。
それがどんなに非力なモンスターであっても。
だから、斬る。
――ヒュィー……ン……
鞘から抜刀する銀の剣。
ほぼ地面の高さの標的に照準を合わせ、僕は剣を構えた。
つぶらな白い瞳と見つめ合い、人生初のモンスター退治。
柄を握る手に力を込め、振りかぶった、
次の瞬間――
「っ!!!!!!! 」
上段で構えた体勢で時が止まる。
正確には僕の体だけが。
さらに正確に言うと、モンスターに切りかかろうとする意思に反し、体が拒んでいた。
(……体が、動かないっ……!! )
一瞬はかけた情けだが、僕も勇者だ、割り切るくらいの決意はある。
僕は本気で殺しにかかったんだ。
なのに、何かが抗う。激しく抵抗する。
心と体が反発しあい、やがて僕は剣をも手放した。
――カラン……
「……なんでっ、なんで殺せないんだっ!!!! 」
地面に倒れこむ意思のない体。
転がった剣に手を伸ばすが、寸での所で脱力する両腕。
湧き上がる汗に、脳まで震わす激しい鼓動。
胴体すべてを地に張り付け、僕は芋虫のように這うことしかできなかった。
まるで体だけが、モンスターに怯えているみたいに。
命じたことと反対の動作に囚われる感覚は、もはや恐怖だった。
(……壊れたのか、僕は?)
「……くそっ!! くそっ!! くそおおおおおおおおお!! 」
僕は頭を地面に叩きつけてみた。
狂ったように何度も、何度も何度も。
何度も叩き付けた。
こうすればバグが直ると、そう思った。
「…………っ……くそっ……」
頭を上げると、目の前の景色は赤く染まっていた。
額から流れた血が目に入ったせいだ。
剣を持つはずの右手には地面からえぐった冷たい砂がいっぱいに握られ、僕は顎を地に擦り付けながら、茂みの中へと去っていくモンスターを見ていることしかできなかった。
僕はモンスターを取り逃がしたんだ。
周囲からはどう見えただろう。
有望な新人と期待されていたにも関わらず、雑魚レベルのモンスターを取り逃がし、地面にうっぷしているこの有様を。
勇者就任一日目で、僕はグレートをクビになり、愚弱勇者になってしまった。