六・来客
時刻は午前九時。
私は、シャノンさん、ハーヴェイさんと共に、応接間のソファに座っていた。
シャノンさんが言っていた、私の様子を見に来るという、陽光のマスターとウェイターさんを迎えるためだ。
どんな人達なんだろう。わくわくするけど、緊張するなあ……。
私は、テーブルにある紅茶の入ったティーカップに手を伸ばし、口を付けた。緊張で渇いた喉を潤す。
そんな私の様子を見て、ハーヴェイさんが声をかけてきた。
「リオ、よく紅茶飲んでるな。緊張してるのか?」
「は、はい」
「大丈夫だよ。ケントもソールもちょっと変わってるけど、良い奴だから」
「うん、そうですよね」
ハーヴェイさんのその言葉に、私の期待はますます膨らむ。
すると不意に、シャノンさんがハーヴェイさんの名前を呼んだ。
「ねえ、ハーヴェイ?」
「は、はいっ!?」
ハーヴェイさんは、ビクリと肩を震わせる。
「あなた、さっき小声でリオに、私の隣に座りたくないって言ってたわよね?」
「いっ!?」
私は今、シャノンさんとハーヴェイさんの間、つまり真ん中に座っている。
ハーヴェイさんが顔を真っ青にしながら、シャノンさんに聞こえないような小声で「シャノンさんの隣に座りたくない」と訴えてきたからなのだが……。
シャノンさん、地獄耳!?
「ちょっと、どういう事よ! そんなに怯えなくても、私は別にあなたの事を取って食ったりなんかしないわよ!」
「ひいっ! す、すみませんっ!」
私を間に挟んで、シャノンさんとハーヴェイさんは口論(と言うより、シャノンさんが一方的に怒っているだけだが)を始める。
「取って食ったりしない」って、ハーヴェイさんに強烈な蹴りやら頭突きやらを食らわせた人の言う事だろうか……。
うーん、幼なじみ同士のロマンスを期待してたんだけど、これは無理そうだなぁ……。
私がそんな事を考えながら、ティーカップをソーサーに戻すとーー応接間に、扉をノックする音が鳴り響いた。
すると、先程までの喧噪はどこへやら。室内はしんと静まり返る。
そして、一拍遅れて、初老の男性の声が聞こえてきた。
「シャノン様。お客様がお見えになりました」
「お通しして」
「はい。失礼いたします」
ゆっくりと扉が開き、執事さんに続いて、応接間に一人の少年が入ってくる。
癖のある金色の髪、眠そうな空色の瞳が特徴的な、小柄な少年だ。
私と同い年くらいだろうか。まだあどけなさを残す顔は、「かっこいい」というよりも「可愛い」という言葉の方が似合う。
そして、更にもう一人、男性が入ってきた。
その男性の顔を見てーー私は、動けなくなった。
年は二十代後半だろうか。
目鼻の整った顔立ち。
宝石のように輝く紫色の瞳を、長いまつげが縁取る。
背中まで届く長さの美しい銀色の髪を後ろでまとめた、眉目秀麗な青年だった。
なんて綺麗な人なんだろうーー。
私は、彼に見惚れていた。
しばらくして、執事さんの一言で、私は我に返った。
「それでは、お茶を用意してまいります」
そう言って、執事さんは部屋を出て行った。
銀髪の青年と金髪の少年は、私達の反対側のソファに腰掛ける。
ちなみに二人の服装は……やはりと言うか何と言うか、見慣れない格好だ。精霊界の住人って、みんなこういう格好してるのかな?
私がそんな事を考えていると、銀髪の青年は優しげな微笑を浮かべ、口を開いた。
「あなたがリオさんですね。私は光の精霊のケント・ハーシェルと言います」
続いて、金髪の少年も自己紹介をする。
「僕はソール・アクランド……氷の精霊」
ソールと名乗った少年は無表情で、声からも感情が読み取りにくかった。
「私は、塚本梨央と言います。よろしくお願いします」
私はソファから立ち上がり、自己紹介をすると、お辞儀をした。
「そんなにかしこまらないでください。どうぞ、座ってください」
「は、はい……」
私はケントさんにそう言われ、再びソファに腰を下ろす。
「アールヴさんから『異世界から飛ばされてきた少女が、ショックのあまり気を失っている』と聞きました。もう起きて大丈夫なんですか?」
「はい。もう大丈夫です」
「そうですか。それは良かったです。この世界の事は誰かから聞きましたか?」
「はい。シャノンさんが丁寧に説明してくれました」
「そうですか。それなら大丈夫そうですね」
優しそうな人だなぁ。この人が喫茶店のマスターかな? この人の元でだったら、安心して働けそう。
「あの、ケントさん」
「はい、何でしょう」
私は一つ深呼吸をすると、意を決して口を開いた。
「私を、あなたの喫茶店で働かせてください!」
私は、ケントさんの目をじっと見た。私の真剣な気持ちが伝わるように。
ケントさんもまた、私の目をじっと見つめている。
すると、シャノンさんが私の現在の状況を説明してくれた。
「リオを陽光で雇ってもらえないかしら。彼女、行くあてもないし、この世界のお金もなくて困ってるのよ」
ケントさんは顎に手を当て、考える仕草をした後、口を開いた。
「……住む場所は?」
「この屋敷の客室を貸すわ。母さんの許可も下りるだろうし」
「そうですか……。うん、彼女は悪い人ではなさそうですし……うちで雇いましょう」
その言葉を聞いて、私の顔からは笑みがこぼれた。
「……! あ、ありがとうございます!」
「いえいえ。これから、よろしくお願いします」
そう言って、ケントさんが右手を差し出してくる。
私は、その右手を握り返した。
「はい! よろしくお願いします!」
「ふふっ。良かったわね、リオ」
「シャノンさんのおかげだよ! ありがとう!」
私はケントさんの手を離すと、シャノンさんにお礼を言った。
シャノンさんは、一瞬目を丸くしたが、すぐに優しい微笑みを浮かべた。
「リオさんはこの世界に来たばかりで、まだ戸惑っていると思うので、仕事は今度の月曜日からお願いします。その日は確か、ハーヴェイくんとソールくんが仕事ですよね?」
「ああ」
「……うん」
「そうですね……では、新人指導はソールくんにお願いします」
「……わかった」
ソールさんが仕事を教えてくれるんだ。迷惑をかけずに、うまくやれると良いな。
私は、ソールさんに向かってお辞儀をした。
「ソールさん、よろしくお願いします」
「……うん、よろしく」
ソールさんは、表情を変えずにそう言った。何て言うか、不思議な人だなぁ……。
私がそんな事を考えていると、不意にハーヴェイさんがこんな質問をしてきた。
「リオ、年いくつだ?」
「え? 十六歳ですけど……」
「じゃあ、ソールと同い年だな。呼び捨てとかタメ口でいいんじゃないか?」
あ、同い年なんだ。仲良くできると良いな。
「えっと……呼び捨ては抵抗があるから、ソールくんって呼んでいい、かな?」
私は、ソールくんの顔色をうかがいながら、そう尋ねる。
するとソールくんは、やっぱり無表情で、こう答えた。
「……うん、いいよ」
「そっか。じゃあ、ソールくんって呼ぶね」
ソールくんの返事に、私はホッとする。
「ソール、同い年なんだからリオと仲良くしろよ?」
「……うん」
ハーヴェイさんとソールくんのやりとりが、何だか親子とか兄弟みたいで、微笑ましかった。
と、不意に部屋の扉がノックされ、扉が開いた。執事さんだ。
「失礼いたします。お茶をお持ちいたしました」
執事さんが、ケントさんとソールくんの前にソーサーに乗ったティーカップを置き、ティーポットから紅茶を注ぎ始める。
「ありがとうございます」
「……ありがとうございます」
二人はお礼を口にすると、紅茶を注ぎ終えたティーカップに口を付けた。
「それでは、私はこれで」
執事さんはそう言うと、一礼して部屋から出て行った。
「リオさん、私達に何か聞きたい事はありますか?」
ティーカップを置きながら、ケントさんが私にそう尋ねてくる。
そこで私は、今、最も気になっている事を聞いてみる事にした。
「あの、シャノンさんに聞いたんですけど……私は、本当に元の世界に帰れるんでしょうか?」
すると、ケントさんは、私の目をじっと見つめーーそして、頷いた。
「はい、帰れます」
「ほ、本当ですか!?」
「はい。その事については、アールヴさんに聞くのが一番良いでしょう」
ケントさんの口から飛び出した名前に、私は驚いた。
私がこの世界に来て初めて出会った人物、アールヴさん。
彼は、一体何者なのだろうか。
「あの……ここにいるみなさんに、質問があるんですけど」
私の言葉に、その場にいた全員が不思議そうな顔をして、私の方を見る。
うっ……そんなに見られると、緊張するんですけど……。
私は何とか平静を装い、質問の続きを口にした。
「あ、あの……みなさん、アールヴさんを知ってるんですか?」
私の質問に真っ先に答えてくれたのは、ケントさんだった。
「ええ。私も、ソールくんも、シャノンさんも、ハーヴェイくんも……アールヴさんとは面識があります」
「そうなんですか……彼は、一体何者なんでしょう?」
私は、この世界でケントさん、ソールくん、シャノンさん、ハーヴェイさんに出会って、何となくわかった事がある。
それは、アールヴさんはただ者ではない、という事だ。
うまく説明できないが、私はアールヴさんから、他の精霊達にはない、不思議なオーラのようなものを感じていた。
……あの格好がインパクトがありすぎてそう感じているだけなのかとも思ったが、それも違うような気がするのだ。
私が思考を巡らせているとーーケントさんが、こんな事を口にした。
「では、本人に直接会って、確かめてみてはどうですか? 元の世界に帰れるかどうかの話もありますし」
「え?」
アールヴさんに、また会えるのだろうか。
そんな私の心をまるで見透かしたかのように、ケントさんが言葉を続けた。
「彼は気まぐれなので、会える時と会えない時がありますが……今夜なら、会えると思いますよ。私の方から話しておきましょうか?」
「え……良いんですか?」
「はい。今夜の九時頃、場所はこの屋敷の裏で良いですか?」
「あ……はい! お願いします」
「わかりました。では、伝えておきましょう」
「ありがとうございます!」
「いえいえ。では、私達はそろそろ帰りましょうか」
そう言って、ケントさんとソールくんがソファから立ち上がる。
「あ、じゃあ玄関まで送って行くわ」
「俺も」
「あ、じゃあ私も」
私達も、彼等を見送るため、ソファから立ち上がった。
* * *
「シャノンさん、ハーヴェイくん。彼女の事、よろしくお願いしますね」
「ええ、わかったわ」
「ああ、任せてくれ」
玄関ホールにて、言葉を交わすケントさん達。
私は、そんな彼等の様子を、黙って見つめていた。
と、ケントさんが私の方を見て、こう言った。
「リオさん。今度の月曜日、楽しみにしていますね」
「あ……はい」
「それでは、私達はこれで。お邪魔しました」
「……お邪魔しました」
ケントさんとソールくんはそう言うと、私達に背を向けて歩き出した。
私達は、彼等の姿が見えなくなるまで、玄関ホールで見守っていた。