四・シャノンの怒り
「ねえ、リオ」
「はい?」
私とシャノンさんは部屋を出て、食堂へと向かっていた。
シャノンさんに「食事は取れそう? もし良かったら、あなたの分の朝食も用意してあるんだけど……」と言われ、昨日の夜から何も食べていない事に気付き、シャノンさんと一緒に朝食を取る事にしたのだ。
広いお屋敷に感動しつつ、シャノンさんの後ろを歩いていたのだけれど……。
「あなた、どうして精霊の言葉がわかるの?」
「え?」
シャノンさんの言葉に、私は足を止めた。
質問の意味が、よくわからない。
「えっと……え? どういう事ですか?」
「あら、ひょっとして自覚してなかったの?」
シャノンさんも足を止め、こちらを振り向く。
「あなた、ずっと精霊の言葉を話してるのよ。それに、私の言葉も通じているし……」
「え!? わ、私が!?」
ど、どういう事!? 私は普通に日本語で喋ってるつもりだし、シャノンさんの言葉も日本語に聞こえるんだけど……。
「あなたの世界は、魔法や精霊に馴染みがないんでしょう? だったら、私達の言葉を知ってる人間はいないはずなんだけど……」
「そ、そうですよね!? どうして……」
私とシャノンさんが顔を見合わせ、首を傾げているとーー。
「……あれ?」
前方の曲がり角で、こちらを見ている男性の姿があった。
「どうしたの?」
「あの、シャノンさん。向こうに男の人が……」
私がそう言うと、シャノンさんが後ろを振り向く。
すると男性は、私達の方へと向かって歩いてきた。
そして、私の方を見て、こう言ってくれた。
「目が覚めたんだな。良かった」
「あ、はい。ありがとうございます」
シャノンさんと同い年くらいだろうか。癖のある栗色の髪と、同じ色の瞳を持った、背の高い美青年だった。ちなみに服装は、やっぱり見慣れない格好だ。
か、かっこいい……。
「俺はハーヴェイ・クロスだ。よろしくな」
ハーヴェイと名乗った男性は、笑みを浮かべながら右手を差し出してくる。
「あ、私は塚本梨央と言います。よろしくお願いします」
私も自己紹介をすると、ハーヴェイさんの右手を握り返した。
手を離すと、ハーヴェイさんが何故か恐る恐るといった様子でシャノンさんの方を見る。
……? ハーヴェイさん、どうしたんだろう。いつもこんな感じなのかな?
シャノンさんの顔を見るハーヴェイさんの表情は、どこかぎこちない。
しばらくして、シャノンさんが口を開いた。
「ねえ、ハーヴェイ?」
「は、はいっ!?」
ハーヴェイさんはビクリと肩を震わせ、裏返った声で返事をする。
何だろう。やっぱりハーヴェイさんの様子がおかしいような気がする……。
そう思った次の瞬間、信じられない光景が私の目に飛び込んできた。
「あなた、どうして昨日の仕事休んだのよ!?」
「うっ!?」
何と、シャノンさんが声を荒げながら、ハーヴェイさんの腹部目がけて前蹴りを繰り出したのだ。
え!? え!? ど、どういう事!?
状況が飲み込めず、私はその場で固まる。
前蹴りを食らったハーヴェイさんは、お腹を抱えてうずくまってしまった。
しかし、そんな事も意に介さず、シャノンさんは両手でハーヴェイさんの胸ぐらを掴んだ。
あんなに優しかったシャノンさんが暴力を……!?
こちらからではシャノンさんの表情は見えないが、恐らく怒った顔をしているのだろう。
私の中にあったシャノンさんのイメージが、ガラガラと音を立てて崩れていく。
「あなたが昨日、無断欠勤したから、こっちはマスターと二人だけで切り盛りしたのよ!? 大変だったんだから!」
「うっ……」
ハーヴェイさんは苦しいのか、うめき声を上げる。
「ちょっと、何とか言いなさいよ!」
「じ、実は……親友、が……体調を、崩しまして……」
ハーヴェイさんが途切れ途切れにそう言うと、シャノンさんは胸ぐらを掴んでいた手を離した。
「そう。それじゃあ仕方ないわね」
シャノンさんは納得したのか、先程までとは打って変わって優しい声音だ。
「でも……」
シャノンさんがそう付け足した、次の瞬間。
「いてっ!」
何か固い物同士がぶつかり合うような鈍い音が、辺りに響いた。
シャノンさんが、ハーヴェイさんに頭突きを食らわせたのだ。
「今度また無断欠勤したら、タダじゃおかないから!」
「は、はい……すみません……」
え!? いや、「今度はタダじゃおかないから」って、今の時点で十分ひどい事してない!?
私は心の中でそんな事を思ったが、もちろん口にはしなかった。こんな事言ったら、シャノンさんに何をされるか……!
すると突然、シャノンさんがこちらを振り向いた。
「リオ」
「は、はいっ!?」
私は、ひょっとして自分も何かされるのかと、内心ドキドキした。
しかし、シャノンさんは微笑を浮かべ、優しい声音でこう言った。
「待たせてごめんなさい。さあ、食堂に行きましょう」
「え? あ、はい……」
この人、二重人格か!?
そう思ったが、やっぱり口には出さなかった。
二重人格なんて、二次元にしか存在しないものだと思ってたけど、実在するんだ……。
あ、でも、ここは精霊界だから、二次元みたいなものなのかな……?
そうして、私達はハーヴェイさんの横を通り抜け、食堂へと向かった。