三・精霊界
「ん……」
気が付くと、私は横になっていた。
ぼやけた視界に映り込んだのは、白い天井とシャンデリア。
ここ、どこ……?
ゆっくりと身を起こすと、私はベッドの上にいるのだという事に気が付いた。
どうして……? 確か私、アールヴさんに「ここは異世界だ」って言われて、倒れたんじゃ……。
そして、辺りを見回そうとしてーー私は、驚いた。
何と、私が寝ているベッドのすぐ近くに、椅子に座ってうたた寝をしている女性がいたのだ。
年は二十代前半だろうか。ウェーブがかった亜麻色の髪をサイドテールにした、整った顔立ちの女性だった。
服装は、コスプレのような見慣れない格好だ。
この人……ひょっとして、私の様子を見てくれてたの……?
私が女性の顔をじっと見ているとーー。
「う、ん……あら?」
女性が、目を覚ました。
彼女は眠そうにまぶたをこすり、私の顔を見ると、優しげな微笑を浮かべる。
「ふふっ、目が覚めたのね」
彼女は椅子から立ち上がると、私の方へと歩み寄ってきた。
私の胸は、少しドキドキしていた。
何て綺麗な人なんだろう……。
いや、「綺麗」というよりも「可愛い」という言葉の方が似合うかもしれない。
彼女はゆっくりとしゃがむと、淡い緑色の瞳で、私の顔を覗き込んだ。
「大丈夫? どこか痛んだり、具合が悪かったりしない?」
「は、はい。大丈夫です」
「そう、良かった。ちょっと待ってて。今、お水を持ってくるから」
そう言って立ち上がると、彼女は部屋を出て行った。
私は、辺りを見回した。
広い部屋だ。シャンデリアもあるし、お屋敷だろうか。
窓のカーテンの隙間から薄日が差しており、部屋の中は明るい。
私は、制服のポケットから携帯を取り出し、時間を確認しようとした。しかし。
あ、あれ? 電源が切れてる……電池切れかな。
仕方なく、携帯を制服のポケットへと戻す。
そして、時計はないかと再び部屋の中を見回す。
すると、壁に時計がかかっているのを発見した。
六時十二分か……日が差してるから、午前中だよね。
昨日、森で時間を確認した時、六時ちょうどで夕方だったから、時間が狂っているという事はなさそうだ。
それにしても、異世界かあ……。
私は、アールヴさんに言われた言葉を思い出す。
もう、元の世界に帰れないのかな? みんなに会えないのかな……?
そう考えると、鼻の奥がツンと痛んだ。
私は、非日常を夢見ていた。だが、実際に非日常に直面すると、泣きたくなってくる。矛盾だ。
私、これからどうすればいいの……?
だんだんと不安がこみ上げてくる。
泣いちゃ駄目。今泣いたら、あの女の人に迷惑をかけてしまう……。
私は、泣きたいのを必死に我慢し、首を大きく左右に振った。
と、その時。
部屋の扉がガチャリと音を立て、開いた。
部屋に入ってきたのは、先程の女性だった。
手にはトレイを持っており、その上には水の入ったコップが乗っている。
彼女は扉を閉めると、私の方へと歩み寄ってきてしゃがみ込み、水の入ったコップを差し出した。
「はい、お水」
「ありがとうございます」
私はそれを受け取ると、コップに口を付ける。
私が水を飲み終えると、彼女は優しい声音で自己紹介をした。
「私、シャノン・オーツって言うの。あなたは?」
シャノンと名乗った女性に名前を尋ねられ、私も自己紹介をする。
「私は、塚本梨央と言います」
「そう、リオって言うの。可愛い名前ね」
「えっ!?」
私は、自分の顔が紅潮していくのがわかった。
か、可愛い名前!? そんな事、初めて言われた……!
私の異変に気付いたシャノンさんが、不思議そうに首を傾げる。
「あら、どうしたの?」
「い、いえ……」
私は自分の顔に右手を当ててみた。うう、やっぱり熱い……。
そんな私をよそに、シャノンさんは真剣な顔をして、こう口にした。
「ねえ、リオ。アールヴを知ってるわよね?」
「! はい、知ってます」
私は驚いた。シャノンさんは、アールヴさんの知り合いなのだろうか。
「昨日、アールヴが倒れたあなたを私の屋敷まで運んで来たのよ」
「そう、だったんですか……」
アールヴさんに、迷惑かけちゃったな……。それから、シャノンさんにも。
「すみません。私が急に倒れたから……」
私が謝ると、シャノンさんは慌てた様子で両手を左右に振った。
「あ、責めてる訳じゃないのよ。あんな話を聞かされた後だもの、仕方ないわ」
「え?」
「アールヴから聞いたわ。あなたにここは異世界なんだって話をしたら、倒れてしまったって」
「……はい」
私はやっぱり申し訳なくて、少しだけ目を伏せた。
「それで、リオ。もし良かったら、私がこの世界の事を教えてあげようと思ったんだけど……大丈夫かしら?」
シャノンさんは、気遣わしげな表情で私の顔を覗き込む。
「はい、大丈夫です。この世界の事、教えてください」
私がそう言うと、シャノンさんは優しい笑みを浮かべ、椅子に腰を下ろした。
「じゃあ、説明するわね。……ここは、精霊界って言うの」
「せ、精霊界!?」
シャノンさんの言葉に、私は驚きを隠せず、身を乗り出した。
精霊界って事はつまり、精霊が住んでるの!? ゲームとかによく出てくる、火の精霊とか水の精霊とか……。
「あら。あなた、精霊界を知ってるの?」
「あ、いえ……この世界の事はわからないです。けど、精霊の事はゲーム……じゃなくて、本とかで読んで少しだけ知ってて……」
「そうなの。あなたは、精霊をどんな存在だと思ってる?」
シャノンさんにそう問われ、私は頭を悩まつつ、答えた。
「えっと……火や水などの属性を司る超自然的な存在、だと思ってます」
私の返答に、シャノンさんは満足げに目を細める。
「その通りよ。よく知ってるわね」
「あ……私、精霊とかすごく興味があるので」
シャノンさんに褒められ、私は少し照れくさくなる。
「興味を持ってくれて嬉しいわ。ここは、精霊達が暮らす世界なの」
「精霊達が暮らす世界……」
何だか実感がわかない。
「じゃあ、シャノンさんは精霊なんですか?」
「ええ。私は火の精霊なの」
シャノンさんは椅子から立ち上がると、ベッドから少し離れた。
そして、シャノンさんが右手を前に突き出すとーー。
「わっ!?」
彼女の右手の先で、小さな爆発が起きた。
驚いた私は、手に持っていた空のコップを落としそうになった。
「これが、私の力よ」
「すごい……」
シャノンさんは再び椅子に座ると、精霊についての説明を続ける。
「この世界には、火、水、地、風、氷、雷、光、闇の八つの属性を司る精霊がいるの。精霊はみんな、自分の属性の魔法を自在に操れるのよ」
「魔法……」
次々と飛び出すファンタジーな言葉に、私は呆けるしかなかった。多分、他の人から見たら相当まぬけな顔をしているだろう。
「まだ信じられない、っていう顔ね」
「……あ、あまりにも非現実的すぎて……」
「あなたは、魔法や精霊があまり浸透していない世界から来たのね」
「は、はい……え?」
魔法や精霊があまり浸透していない世界から来た?
シャノンさんのその言葉に、私は引っかかりを覚えた。
「あの……それってつまり、魔法や精霊がもっと身近に存在する世界もある、って事ですか?」
「ええ、そうよ。精霊界は、いろんな異世界と繋がっているの」
「異世界……」
何だか、とてつもなく壮大な話を聞かされているような気がする。
私、そんなにすごい世界に来ちゃったんだ……。
私が呆然としていると、シャノンさんがこんな質問をしてきた。
「ねえ、リオ。あなたは、元の世界に帰りたいと思う?」
「!」
シャノンさんの問いに、私の心臓は大きく跳ねた。
「元の世界に、帰れるんですか!?」
思ったよりも大きな声が出てしまった。シャノンさんが、少し驚いたような顔をする。
「方法がない訳じゃないわ。ただ、あなたの本当に帰りたいっていう気持ちと、時間が必要だけど……」
私は少し俯きながら、自分の中にある答えを口にした。
「……はい。帰りたい、です」
それを聞くと、シャノンさんは満面の笑みを浮かべ、そっと私の手を取った。
「そう。じゃあ、みんなに相談しないとね。私はできる限り、あなたに協力するわ」
「あ……ありがとうございます!」
嬉しくなった私は、この世界に来て初めて、笑った。