二・出会い
「う、ん……」
ぼやけた視界いっぱいに、オレンジ色の何かが映り込む。
それが夕焼け空だと気が付いたのは、しばらく経ってからだった。
次第に、視界も頭もクリアになっていく。
そしてようやく私は、自分が横になっているのだと気が付いた。
あれ? 私、どうして……。
私はゆっくりと上半身を起こし、周囲を見回す。
見渡す限り、鬱蒼と生い茂る木々。ここは、どうやら森のようだ。
何で私、森なんかで横になってるの?
確か私は、学校の帰りに火事の現場に遭遇して、そこで怪しい男の人を見かけて……それで、その男の人を追いかけたんだけど、見失っちゃって困ってたところで、魔法陣みたいなものが浮かび上がった、すごく綺麗な池を見つけたんだっけ。
それで、何かに引き寄せられるみたいな感じで池の中を進んで……そしたら、不思議な光に包まれて、そこで気を失っちゃった、のかな?
しかし、気になる点がいくつもあった。
何で私、池の中なんかに入ったんだろう? 私、泳げないから下手したら溺れてたかもしれないのに……。
普段の私なら、池に入ろうだなんて絶対に考えない。
それと、池の中で気を失ったのに、何で森にいるのかも気になるし……。
それから、池の中で気を失って倒れたら……普通、溺れて苦しいよね? だけど、全く苦しくなかった。
それに、どこも濡れていない。確実に水に浸かっていたのに。
「うーん……」
考えてもわからない事だらけだ。
まあ、わからない事は考えててもしょうがないか。早く家に帰らなきゃ!
私はゆっくりと立ち上がると、制服のポケットからスマホを取り出す。
午後五時四十五分、か。早く帰らないと、お母さんが心配しちゃう。
そこで私は、ある事に気が付いた。
あれ? 携帯、圏外になってる。何で?
ここがどこなのか、スマホで調べようと思ったのだが、これでは駄目だ。
うーん、しょうがない。時間がかかるかもしれないけど、自力で帰るしかないか……。
私はスマホを制服のポケットに戻すと、再び周囲を見回した。
まさか、熊とか猪とか出ないよね……? 何か薄暗いし、怖いなぁ……。
私は、鞄を胸に抱きしめると、適当な方向に向かって歩き始めた。
* * *
「うーん……」
私は周囲を見回し、唸り声を上げた。
どれだけ歩いても、周りの景色が全く変わらないのだ。人にも会っていない。
あれから大分歩いたような気もするし、それほど歩いていないような気もする。
制服のポケットからスマホを取り出し、時間を確認すると、午後六時ちょうどだった。あれから十五分歩いた事になる。
相変わらず圏外である事を確認すると、私はスマホを制服のポケットに戻した。
一体どうなってるの? ずっと同じところを歩いてるような気がするんだけど……。
辺りは先程よりもますます暗くなってきており、私の不安を煽る。
どうしよう。もし、このまま家に帰れなかったら……。もし、このまま誰にも会えなかったら……。
そんな事を考えてしまい、私の不安は大きく膨らんでいく。視界がじわりと滲むのを感じた。
「誰かー! 誰かいませんかー!?」
不安に耐え切れなくなった私は、気が付くと大声でそう叫んでいた。
しかし、返事はない。
お願い、誰か……!
祈るような気持ちで、固く目をつむり、鞄を強く抱きしめた、その時だった。
「呼んだか?」
どこからともなく、男性の声が聞こえてきた。
「!」
絶望の闇の中にいたところ、一筋の希望の光が差し込んだような、そんな気分だった。
嬉しさのあまり泣き出しそうなのを我慢しつつ、目を開く。すると、視界に飛び込んできたのはーー。
「え……きゃあああっ!?」
頭から足の先まで、全身を鎧に包まれた、ニメートルは軽く超えているであろう長身の人物だった。
私は思わず、悲鳴を上げながら後ずさりする。
「なっ、その反応はひどいな……傷付くぞ」
全身鎧姿のその人物は、少し残念そうな声音でそう言った。
な、何!? この人! この鎧は確か……そう、ゲームとかによく出てくるプレートアーマー! 何でこの人、こんな格好してるの!? またコスプレ!?
私は固まったまま、動けなくなってしまう。
そんな私の様子を見て、全身鎧姿の人物は、今度は優しい声音で言った。
「そんなに警戒しなくてもいい。私は君に危害を加えるつもりはない」
その言葉を聞いて、私はほんの少しだけ警戒を解き、鎧姿の人物にこう尋ねた。
「あの、あなたは……?」
「私か? 私はアールヴという者だ。見ての通り鎧だ」
アールヴ、さん? 外国人? どうりで背が高い訳だ……いや、それにしても大きすぎる気もするけど。
「君は? 何という名だ?」
アールヴさんにそう尋ねられたので、私は答えた。
「私は、塚本梨央と言います」
「ツカモトリオ、だと!?」
「きゃあっ!?」
アールヴさんがいきなり大声を出したので、内心まだ怯えている私は、思わず悲鳴を上げながら身を竦ませた。
「あ、す、すまない……。そうか、リオと言うのか。変わった名だな」
アールヴさんは、顎に手を当てながらそう言う。
も、もう大声出さないよね? 心臓バクバクだよ……。
「それにしても、君は……変わった格好をしているな」
変わった格好!? いや、あなたの方がよっぽど変わった格好してますから!
私は心の中で、そんなツッコミを入れる。
私は白のブラウスに赤いリボン、黒のブレザー、グレーのチェックのスカートという、ごく普通の制服姿だ。別に珍しいデザインでもない。
「まあ、そんな話はいいか。リオ、君は人を探していたのか?」
「えっ? あ……」
そうだ、アールヴさんとの出会いが色々と衝撃的すぎてすっかり忘れてた。私は人を探してたんだ。
外国人だけど、日本語もちゃんと通じるみたいだし、うん、これで一安心かな。
私は佇まいを直し、正面からアールヴさんと向き合った。
「あの、実は私、迷子になっちゃって……ここがどこなのか、教えてもらえますか?」
私がそう言うと、アールヴさんは少しの沈黙の後、言葉を発した。
「君は……魔法陣のようなものを見なかったか?」
「え?」
「魔法陣に近付いたら光に包まれ、意識を失い、気が付いたらこの森にいたのではないか?」
「!?」
な、何で!? 私、一言もそんな事口にしてないのに! エスパー!?
「ど、どうして知ってるんですか……!?」
私の返答を聞いたアールヴさんは、頭を抱えるような仕草を見せた。
「やはり、そうなのか……」
「え?」
「やはりそうなのか」って、どういう事だろう? 私の頭の中は疑問符だらけだった。
やがて、アールヴさんはゆっくりと私に近付き、私の両肩に手を置いた。私はまだ内心、ビクビクだ。
「リオ、落ち着いて聞いてくれ」
「はい?」
妙に真剣なアールヴさんの声音に、私は言い知れぬ不安を覚えた。
そして、しばしの沈黙の後ーーアールヴさんの口から、こんな言葉が飛び出した。
「リオ……ここは、君がいた世界ではないんだ」
「え……?」
言葉の意味が、わからなかった。
私がいた世界じゃない? どういう事?
私が不思議そうな顔をすると、アールヴさんは言葉を続けた。
「この森は、アルファの森と言う。聞き覚えがないだろう?」
アルファの森? 確かに、聞いた事がない。
「アルファの森って……ここ、外国って事ですか?」
私の質問に、アールヴさんの口から返ってきたのは、衝撃的な答えだった。
「外国ではない。ここは、異世界なんだ」
「異世界……?」
信じられなかった。
そんな、アニメや漫画やゲームみたいな話、あるはずがない。
アールヴさんの、タチの悪い冗談だろうと思った。
「冗談……ですよね?」
「冗談ではない。その証拠に……」
アールヴさんは、私の肩から手を離すと、私から距離を取るように後ろへと跳躍し、着地した。
そして、アールヴさんは右手を前へと突き出す。するとーー。
「!?」
突然、アールヴさんの右手からまばゆい光が放たれ、私は思わず目を閉じた。
しばらくして、ゆっくりと目を開けると、そこにはーー。
「こんな事ができる」
そう言って、巨大な剣を手にした、アールヴさんの姿があった。
これは、夢?
私は、自分の頬をつねってみる。
痛い。どうやら夢ではないらしい。
「う、嘘……本当、に……?」
自分の声が震えているのがわかった。
異世界って事は、もう元の世界に帰れないの……? お母さんにも、お父さんにも、友達にも、もう会えないの……?
そう考えた途端、目の前が真っ白になった。
足元がふらつき、立っていられなくなった私は、その場に倒れ込む。
「リオ!? おい、しっかりするんだ!」
アールヴさんが、こちらに駆け寄ってくるのがわかった。
アールヴさんの声がだんだん遠くなっていくのを感じながら、私の意識は沈んでいったーー。