Ira
世界の創造神として敬われるオーディンであったが、
その本質は一介の戦士であった。
それでいて、自身が生み出した”子”らへの愛情・愛着は神並みならぬ
ものがあったので、憤怒に身を包んだオーディンの動きは早かった。
自らの館に駆け込むと、
自分の槍を片手に今日お茶会が開かれているという会場へと馬を走らせた。
一族の長の戦姿を目にした者たちが慌てふためき、自分らも続けと慌てて準備する者もいたが、オーディンに追いつける者はなく、
オーディンの走り去った方向へととりあえず向かった彼らが見たのは
胸元から大量の血を流しながら逃げるグルヴェイグの姿だったのである。
激情に身を任せ、馬を走らせたオーディンであったが、
突然の来訪に驚き畏れおののいた女神がその場で腰を抜かすと、
それを見て足を止めることもなく庭へと大股でズカズカと歩いていく。
「お待ちください、我らが父よ」
呼び止める声も彼の足を留めるどころか、歩みを遅らせることすらできなかった。
そして、グルヴェイグを、アース神族を堕落させようとした魔女を視界に入れた瞬間、オーディンは悟る。
我が怒りは未だ満ちておらぬ。
不吉な笑みを見た瞬間に再び身体中の熱が上昇し始め、
右手の槍は吸い込まれるように魔女の心臓へ吸い込まれたのである。
しかし魔女の笑みは消えることなく、弧を深く描くままだった。
「ぬっ?」
引き戻した槍を再び心臓へと打ち込む。
手応えはあった。槍を引き抜けば血が吹き出した。
誰が見ても即死だと思っただろう、魔女の表情を見なければ。
オーディンは戦士としての感が違和感を感じとっていた。
そう言えば、金の細工物になんらかの魔法を封じていた、と言っていたな。魔女の魔法が精神になんらかの影響を与えるものであるならばワシもまた術中にかかっておるのかもしれぬ。
目を閉じたオーディンは、ただ不快な気配を貫くように再度槍を突き出した。槍からはなんの手応えも伝わってはこなかったが、
不快な気配が薄れるのを感じとった。
瞼を上げると、そこにはようやく表情を驚き歪めたグルヴェイグの姿があった。
不快な気配とはすなわち魔女の神力だったのであろう。
さりとて、感に任せての一撃はわずかに心臓をずれており、まだ息があった。
逃げようとする魔女を静かに追いかけるオーディンの元に複数の足跡が近づいてきていた。
慌てて着込んできたのが丸わかりの体であった。
「こ、これは!」
追いついてきた神の一柱が、魔女を見て驚きそう言う。
事態が飲み込めず、魔女とオーディンを行ったり来たりするのを不愉快に思い、
「こやつは我らの一族に魔法をかけ、騒動をおこしていた罪で処罰しているところだ。」
もの静かでありながら、有無を言わせぬ圧倒的な威圧を伴った声に誰もが身動き一つできなかった。
カツカツとグルヴェイグの所へと足を進め、
腰元の件を抜き、振りかぶる。
追ってきた神々と挟み込まれる形となり、逃げられなくなったグルヴェイグはそれでもこの場から逃げようと必死に考えていたが、どうやらどうにもならないと思ったところで、別の方からまた一柱こちらへ走ってくる者がいた。
「オーディン様、大変です。ヴァン神族と名乗る者の使者がその女の身柄を要求して参りました」
ピタっとグルヴェイグの首に触れる寸前で剣は止められたが、
首筋には薄く線が走り、つーっと赤い滴が滴った。