Devastatio deos
石畳で地面は覆われ、美しい町並みが揃い、様々な道具を作り、生活が豊かになりアースガルドの神々は日々を謳歌していた。
軍盤に耽るもの、広場に集い語らうもの。
優雅な生活が続いたが、神々の庭が曇り始めたのは一人の女神の訪れによる。
朝はいつもと変わらなかった。
そこに異物が混ざり込んだのは、オーディンの元で集会が行われていたところに現れた一人の探訪者であった。
「こんにちは、本当にこちらにも国があったのね。私の名前はグルヴェイグ。しばらく滞在させてもらいたいのだけれど」
そう言って姿を見せたのは、外見がそれほど美しくもなく、かといって醜悪というわけでもなかったが、表情に浮かぶ笑みがどこか品が無くその場にいた神々はどこか不吉なものを感じ取った。
「・・・儂がこの国、アースガルドの長であるオーディンである。貴君の訪れを歓迎しよう」
正直に言えば、オーディンもこの女神に不吉なものを感じていた。
率直に言って即刻追い出したかった。
それをしなかったのは自身が中心となって造り上げた国を自慢したかったというのもないではないが、
女神の口にした”こちらにも国があった”と言う発言である。
この女神が何者で、どこから来たのか、何を狙っているのかを把握する必要性があると考えたからだった。
後にこの選択を後悔するのだが、神の身であってもこのときにはまだ知る由もなかったのである。
神々には”神力”という力があった。
神力を体に巡らせることにより、肉体を強化したり、中には神力を転じて様々な現象を引き起こす”魔法”を使えるものも少なからずいた。
そして、男神と女神の神力を交えること(神合)により新たな神族を誕生させることができた。
神合によって生まれた者は両神からの知識を受け継ぎ、成熟した状態で存在するため、人間や巨人のように10月10日もの時間を必要とせず、母体に負担がかかることもなければ、生まれた子もその日から言葉を交わし、立ち上がり走ることが可能である。
それ故か神々は自分達が完璧な存在であると自認し、他の存在を見下す傾向がみられはじめる。
すなわち、人間や巨人族のような”夫婦の営み”という行為はできないわけではないが、必ずしも必要ではなかった。
グルヴェイグが訪れて一月も立つ頃(神々にとって一月は大した期間ではなかった)、アースガルドの規律は乱れ始めていた。
集会に集まるものは日が経つに連れて減り、淫行に耽る者たちが増え始めた。また、黄金などの鉱物をこれまでは頓着することはなく、気軽にやりとりをしていたのだが、各柱が貯め込むようになり、駆け引きを行うようになり言い争うようになった。
豊富であったとは言え有限であればいずれ黄金を巡って争いが起こることは考えられた、が、まだその時ではなかった。
これまで黄金とは館の建築材であったり、家具や道具といった男神の扱うものであった。
しかし、グルヴェイグはその黄金を装飾品にして身を飾り、歪んだ笑顔を貼りつけてアースガルドを歩き回った。
初めの内は遠巻きにしていた女神たちであったが、一旦、黄金の装飾品を意識してしまうと、無視することはできなくなってしまうのだった。
「ねぇ、グルヴェイグさん?その・・・胸元を飾っているのはどのようにして手に入れたのかしら?」
「この首飾りでしょうか?これでしたら~」
そんな会話がアースガルド中で、館に誘われたグルヴェイグと女神達の間の茶会で交わされ、茶会が行われた後、参加者達の風紀が乱れるということが頻発していたのだった。
女神達は不吉なグルヴェイグと接触することを知られたくはなかっただが、黄金の装飾品についてはなんとしても知りたかったのだ。茶会という名目でグルヴェイグをこっそり誘い、聞き出す。
その結果、オーディンが事態を把握するまでに些かのタイムラグがあった。結果として、アースガルドは荒廃の憂き目にあっていた。
「ロキよ、一体何が起きていると思う?いや、原因は分かっておる。あの招かれざる訪問者だろう。だが、ここまで一気に事態が動くのはただ事ではない。」
事態の解決に乗り出したオーディンが頼ったのはロキであった。
かつて世界を巡る旅の中で、様々なことをロキに教えた。
その中で巨人族の地に赴くにあたり、姿変えの魔法について教えたところ、ロキには向いていたようであった。
以後、ロキには姿変えによっての情報収集などを任せたりしていたからだ。
「まず、調べたところ不可解なことが2点あった。まず一つ、これまで男神達にしか目を向けられていなかった黄金について女神が注目したのはまぁいいとして。それでもこれほど急速に黄金が不足し、価値が跳ね上がるのはおかしすぎる。そして2つ目、確かにグルヴェイグの装飾品が見事なのは認めるが、女神達の執着が尋常ではないことだ。」
ロキの言葉にオーディンは静かに頷く。
確かに言われてみればそうであったからだ。
「おそらく、グルヴェイグは黄金を何らかの手段で手に入れてはどこかに運んでいる。価値が上がってから利用するのか、それとも今の騒動事態が狙いなのかは分からないな。そして2つ目に際してだが、とある女神の茶会に紛れ込んでみたのだが・・・」
この発言にはオーディンも息を呑んだ。
姿変えの魔法を使うとしても女神の姿を真似るのは流石に躊躇いがあるのだが、ロキは気にしなかったようだからだ。
「どうも、あの女の装飾品には妙な呪いがかけられているようだな」
どうやらここが核心部分らしい。
そう察するとオーディンは身を乗り出すようにして次の言葉を要求した。
「俺の知らない魔法のようだ、魔法をかけた物への執着を増すような魅惑の魔法って言えばいいのか?まず、精緻な金の飾りに視線を向けてしまうように誘導し、その飾りに目をやった瞬間に虜になってしまうというわけさ。」
なんとも手の込んだことだ、と言うロキに同意しつつ、オーディンは尋ねた。
「お前はどうなのだ?」
つまり、ロキは魔法にかからなかったのか?何か防ぐ方法があるのかということだ。
「もしかしたら、女神が魔法の対象なのかもな。周りのやつらの様子がおかしいのに気づいて俺は首飾りに焦点を合わせないように、視界の一部に納まるように見るようにしたから無事だったのかもしれない」
これだ、という解決策はないようだった。
「その後の風紀の乱れについては何か分かったか?」
オーディンとしてはこれが一番の悩みの種だった。
「・・・あの女の首飾りの細工、なかなか見事だったと思いませんか?」
確かにそうだった。あれほど精緻な造りは見たことがない。
「何者の手によるものだ?儂らの館にすら使われていないであろうに」
”自分らの館にも使われていない技術を使いおって”
それは少し気を落ち着けるための冗談だったのかもしれないし、本音を含んでいたのかもしれない。
「・・・ドヴェルグです」
「何!?」
冗談を言った、わずかな軽い空気すら吹き飛んでしまった。