三題噺「滅びの言葉」
「好きです」
秋穂には、その一言がどうしても言えずにいた。
家まで続く、長く緩やかな上り坂。その家路を、幼い頃から数え切れないくらい、修一と共に辿ってきた。
隣を歩く修一との間にある、30センチの隙間。隣にいるのが当たり前すぎて、気にもしていなかった隙間。
今はその隙間が、どうしようもなく悲しい。
隣のクラスのとても可愛い子が、修一に告白するつもりらしいという噂を聞いたのは、一週間前の事だ。
修一がほかの娘の頭を撫でたり笑いかけたりするかもしれない、そしてもう自分にはしてくれなくなるかもしれない、そう思ったとき、秋穂は初めて自分の中の気持ちを知った。
──もう、30センチじゃ嫌。もっと近付きたい。二人の距離を埋めたい、誰も入り込めないくらいに。でも、言えない。聞けない。恐い……。
「……聞いてんのかよ、秋穂!」
秋穂は、修一の怒声にびくっと体を震わせた。
「え、え? なに?」
「やっぱり聞いてなかったな。俺達、ちゃんと付き合わないかって言ったんだよ!」
修一が怒っている。
「う」
たちまち秋穂の目に涙の玉が盛り上がったが、修一は恥ずかしさのあまりそっぽを向いていたので、秋穂の顔が泣き出す寸前の幼児のそれになった瞬間を見ていなかった。
「何だよ、最近元気がないのは例の噂を聞いてヤキモチ妬いてくれてたからだと思ってたのに。何だよ。ばーか」
「うあ。ぶわあああああー!」
「わあっ、なんだなんだ!?」
秋穂の突然の号泣に、修一は訳もわからないまま、しどろもどろになりながら謝った。
──違う。
叱られたから泣いているのではない。嬉しくて泣いているのだ。やっぱり修一は自分の事をちゃんと見ていた。不安な心をわかってくれていたのだ。
伝えなければ。私は世界で一番、修ちゃんを好きだと。
「し、しゅぢゃ……あ……あた、し、しゅぎぃぃ……あああ」
一方、修一は、自分の服を掴んで離さない秋穂を懸命に宥めながら、
──スジャータ主義って、何だ……?
さらに悩みを深くしていた。
その時、スジャータ主義とは何か、を正確に理解した一人の少女が、秋穂たちの後ろを歩いていた。
少女は、中学三年生になる姉と同じか、それよりも少し年上かもしれないお姉ちゃんが、小学生の自分でもしたことがないような号泣をしながら一世一代とも言える告白をした事に、偶然とはいえ盗み聞きしてしまった罪悪感を持ちながらも、それ以上の感動を覚えていた。
しかし肝心のお兄ちゃんの方は、明らかに全く理解していない。
──これだから男は! このお姉ちゃんがかわいそう……。
少女は思わずもらい泣きをしそうになるのを堪えるのに必死だったため、姉から貰ったお気に入りのテニスボールが自分の手からこぼれ落ちた事に気が付かなかった。
少女の手からこぼれたテニスボールは長い下り坂をどこまでも転がり、やがて幹線道路に出ようとしていたが、その寸前で一人の老紳士がボールに気付いた。
老紳士は事故の原因になっては一大事と慌てて拾おうとしたが、ボールはあまりに早く、取りこぼしたばかりか、自らが道路に向かって転んでしまった。
道路に転んだ老紳士に驚き、路側帯辺りを走っていたバイクが急ハンドルを切り、ほぼ斜め後ろを走っていたセダンに急ブレーキを踏ませた。
さらに後続のガソリン運搬用タンクローリーはブレーキが間に合わず、反射的に中央分離帯側へ寄ってしまったために観光バスと接触事故を起こし、運悪く横転して、10分後に発生した火災は対面六車線全てを通行止めに陥れて大渋滞させ、その排気ガスが火災による激しい上昇気流に乗って雨雲の核となり、上空に停滞していた低気圧と合流して極地的な大豪雨をもたらした。
あまりに急速に発達した雲の中を回避も出来ず飛行していた個人航空機が特大の雷の直撃を受け、数分後にコントロールを失ったまま石油コンビナートの高純度ガソリンタンクへ墜落して爆発を起こし、地下のマグマが活性化して火山を噴火させ、その衝撃でギリギリまで緊張していたプレートがついに折れて空前の大地震を巻き起こし、それによって発生した未曾有の大津波は日本海溝直上を移動中の米国原子力空母をいともたやすく転覆させ、沈んだ空母は日本海溝最深部で原初の巨人を数億年の眠りから目覚めさせ、人類のあらゆる攻撃をものともせず地球を破壊し続ける巨人に対し、国連はついに核の使用を決定し──
どこかで超越者が呟いた。
「わ、何これ、少し目を離してた間にスゲーコトになってんじゃん。おっかしーなあ、攻略本通りに進めてたのに。あーあー、環境レベルが壊滅状態だよ。こりゃ立て直すよりイチから作った方がマシだな。それにしても何があったんだ、まさかバグじゃないよな。やれやれ、またまたやり直しか。…ほい、コマンド、大・洪・水、っと」
そして地球は、滅亡した。
お題
・そして地球は滅亡した
・30センチの隙間
・「好きです」