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魔法使いのお友達  作者: 雨夜 海
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穏やかな日々を望むこと

久々の更新になってしまいました。

いつも読んでくださる読者の皆様、ありがとうございます。

黒い何かが追いかけてくる。私はそれから逃れるために必死に走り続けていた。

捕まったら確実に殺される。理由はないけれどそれはしっかりとした殺意のようなものを持って、それは私を追いかけているみたいだった。


『ヒヨリ、』

けれども不意に呼び止められるように名前を呼ばれて、私は思わずそれに振り返るのだ。そこにいるのは予想通りどっと疲れた顔をしたアシルさんで、私は逃げるために動かしていた足をすぐに止めた。

黒い靄みたいな何かがアシルさんを包んでいく。私はすぐに踵を返してアシルさんに向かって走り出す。


『待って、!待って!!連れて行かないで!!』

『逃げろ』

『嫌!嫌だ!友達だって、言ったでしょ!?』


友達なら、きっと、あれだ。こういうピンチはきっと二人で乗り越えていくもんなんだよ。だから一言でいいからそう言って欲しい。俺を助けろって。二人で戦おうって。なんでもいいから言ってよ。そんな逃げろだなんて悲しい言葉だけ置いて微笑まないでよ。


『アシルさんッ!!』


必死に手を伸ばしたけれど、アシルさんには届かなかった。惨めにも何かに体を押さえつけられたみたいに動かなくなっちゃって、這いつくばったまま私はやがて同じように地面に倒れたアシルさんを見つめていることしかできなかった。

不意に黒い影がアシルさんの側に現れた。くすくすくすくすと、やたら耳障りな笑い方をする。鈴を転がしたような愛らしい声。私はその声の持ち主が、憎くてしょうがない。


『離れてよ.....ッ!その人から離れて!』

雛ちゃんがおかしくてしょうがないとでも言うように笑いながら、アシルさんにその手で触れた。まるでおもちゃを転がすみたいにコツンとその体を叩いたけれど、アシルさんはもう動かない。動けない。何も言わなくなっていた。


『許さない!絶対に許さないから!!』


くすくすと、耳障りな笑い声だけがこだまする。



あぁ、なんて嫌な夢。



ベタベタと汗と髪の毛が首にまとわりついて気持ち悪い。この部屋が暑いのか、それともこの汗は私の冷や汗なのか。ご丁寧にも枕元に用意されていた水を一気に飲み干してから、部屋の隅の机で何やら作業をしている男に目を向ける。私はどうやら、少し眠っていたようだった。無理もない。すべての体力という体力がほぼ0に近いのだ。長いこと眠っていた代償は大きい。


「ここは、どこ、なの?」

先ほど水を飲んだにもかかわらず喉はカラカラで思うような声が出なかった。やたら体が熱い。熱でもあるのかもしれない。

「なんかそれ、聞いたことのある質問。ここは俺の家だけど?」

「違う。そういう意味じゃない。もっと大きな意味で、あの、地理的な意味で」

「......ルシアン国」

聞いたことがない国の名前だった。てっきりまだカルメス国にいるものだと思っていたけれど、まさか国外に出ていたとは。あの怪物は随分遠いところに私を飛ばしてくれたようだった。


「........カルメス国は、どのあたりにあるの?」

ようやく絞り出した言葉は、思っていたよりもこちらの事情を推し量られそうで口に出してから後悔した。

そんな私の後悔を知らない風にクロはきょとん、としてから答えた。

「隣だねぇ」

「隣、」

「隣国だよ。ルシアンはカルメスの西側にある」

「じゃ、じゃあっ.....えっと、」

事情を知られないように言葉を隠そうと試みたけれど、私にこういうのは向いていないらしい。すぐに隠すことは諦めて、小さく呻くように口に出す。

「洞窟を、魔力を回復させる泉のある洞窟を、知ってる....?」

「噂程度しか聞いたことないが....カルメスの隅にあるって聞いたことがある」

隅と言っても、ルシアンの間反対だけどね。と、付け足された言葉に更に絶望が加わる。あれからクロエたちがどうしたのかわからないけれど、私の死体がないのでは雛ちゃんの追求の手は止まないだろう。彼女たちが無事なのか、それだけが心配だ。


ここを抜け出さなければならない。私が、死んで。みんなを幸せにするために。

死ぬために抜け出すなんて、なんだか変な理由だけど。ただ死ぬだけじゃダメなんだ。雛ちゃんに私が死んだってわかるようにしなきゃだめなんだ。


「ねぇクロ、あなた近々カルメス国に行く用事はない?」

「あるわけないだろ。俺はここで細々と自営業してんだからー」

「役に立たないなぁ」

まぁ私の死体を背負ってカルメスまで行って欲しいなんて、そんな嫌な役やってもらえるなんて思ってなかったけれど。


「じゃあカルメスに手紙を出してよ」

「何?お友達?恋人?」

「違う。私を殺したがってる相手に」


使い古したカップに紅茶を注いでいたクロの手が、ピタリと止まる。


「もし宅配とか、郵送とか...そういう技術が発達してるなら、死んだ私の生首を一緒に届けてくれると助かるわ」

「は?」

「宛先は...住所はよくわからないけれど、王宮って書けば届くのかな「ちょっと待て待て待て!」


言葉を遮られた不快さを隠しもせずに、「何」と首を傾げればクロは慌てたのか小さな机に紅茶の水たまりを作っていた。


「俺はそんなことしないし。そのお前を殺したがってる相手も、この森には入れないから安心しろ。ここには俺の師匠の特別な結界が掛かってて、悪意を持つものは入れなくなってる」


まぁ、元から魔獣が多くて人も寄り付かないが、と付け加えられた言葉にまた私は首を傾げた。この人はどうやら勘違いをしているらしい。


「違うわクロ。私は死にたいのではなくて、私の死体を届けたいの」

「........死にたいのではないって....それを人は、生きたいというんじゃないか?」

生きていてはダメじゃないか。私の死体を届けたいのだから。いまいち噛み合わないクロとの会話に嘆息してから、近くにあったベルトを手に取った。


「もういいわ、生首切り取るのって大変そうだものね。ただ私の死を伝えてもらえれば結構よ」

「いやだから、お前は別に死にたいってわけじゃ「さようならクロ」


空から落っこちて地面で粉々になるよりも、ずっと綺麗に死ねそうだった。それだけは、こいつにお礼を言ってもいいかもしれない。

しゅるり、と伸ばしたベルトを戸惑いもなく首に巻きつけ、どこか引っ掛けられる場所はないかと首を巡らした時。がつん、と大きな音がして目の前で星が弾けた。硬く握られた拳が視界に入る。


「ふざけんな!!」


騒がしい人だ。

「何?」

「”何?”じゃない!!」

頭にがんがんと響く声で叫ぶクロに目を細めて苦情を訴える。うるさい。非常にうるさい。

そんな私の手から首を絞めるためのベルトをしゅるりと取ってから届かないところまで投げすてる。せっかくの手段が一つ無くなってしまった。


「お前は、俺が拾った!だから、生きるも死ぬも、俺が管理する」

「......なにそれ、すごく勝手だし。拾ってくれなんて頼んだ覚えはないけど」

そんな勝手な理由で私の生を引き伸ばされたら、また私の大事な人たちが傷つけられるかもしれないじゃない。こんなコントみたいなこと、してる場合じゃないんだって。早く、早く死ななきゃ。

次の手段は、と焦る私の眼の前で淡い青の光がクロの掌から放たれた。しまった。思考を別のところに向けすぎたらしい。その魔法はしっかりと私に標準を合わせ、青色に変わった精霊たちが頭から降り注いできた。


「.....なに、したの」

「結界の応用術のようなもんだ」

「結界....?とくに変わったことは、ないような」


私に何か作用するようにかけられたらしいその魔法は、見た目上はとくに変化したところは認められなかった。一体なにがしたかったのか。


「ほらよ」

ひょいっと投げられたのは、先ほど私が使おうとしたベルト。首を絞めるためのベルト。

「やりたきゃやれ」

「クロ、あなた案外話が分かるのね」

助かる、と言いつつベルトを首に巻きつけようとして、手が止まった。



いや、止められた。ピタリと、そこからいっこうに手が動かなくなった。



「なにしたの....私に、なんの魔法をかけたの!?」

「自殺防止な。俺の家で死なれたら目覚めが悪いにもほどがあるしなー」

魔法の発動確認に満足したように、クロは隅の机に戻っていった。結界の応用術にこんな使い方があるなんて知らない。知らなかった。行動の範囲を制限するだけじゃなくて、行動そのものを制限するなんて。

同じく魔法を学ぶものとしての興味が一瞬浮かんだけれども、すぐにそれも絶望に変わる。


私はこの魔法を抜けるための抜け道を、思いつけない。つまり死ねない。つまり。

クロエやステラは。優希ちゃんは。雛ちゃんから解放されることはない。


あぁ、なんてこと。


ふらりと上体が倒れて、さして柔らかくもないベッドに体を投げ出す。なんてことだ。本当に私はこの男から、逃げ出せなくなってしまった。魔法も使えない。頼みのエリオスの力も、なぜだか反応してくれない。そして死んで雛ちゃんの気を済ませることもできない。


手詰まりだ。


「なんだ?寝るんだったら、傍に置いてある飯食っとけよ」

「......うるさい」




それでも私は、生かされることに。生きていられることに。ほんのすこしの安堵を覚えてしまったんだ。











私はまた何か、夢を見ていたのだと思う。


小さなランプだけが灯された部屋で、私を揺り起こしたであろう真っ黒な男は枕元で私を見下ろしていた。すこし心臓に悪いからやめてほしい。


「おはよう、気分は?」

「汗が気持ち悪い」

「だろうね」

冷たい水の入っているであろうグラスを私の前に掲げてクロは笑った。

「ひどくうなされてた。また怖い夢でも見た?」

重たい上半身を起き上がらせてから、警戒すべき対象の男からグラスをひったくる。思っていた通り冷たい水で満たされたそのグラスを一気に呷ったけれど、私の体の中に入った瞬間それはぬるま湯に変わった。気持ち悪い。


あれは、本当に夢?


「怖い、夢なんかじゃない」


夢であれば、どれだけ良かったのだろうか。

手を伸ばしても届かなかった。目の前で私の大事な友人が、力なく笑うのだ。


『逃げろ』

「嫌だって、言ったじゃない」

逃げたくない。あなたと一緒に戦う。二人一緒ならきっと大丈夫だって。

冷静になれば勝算などどこにもなかったけれど、アシルさんを一人置いて逃げるくらいならきっとそっちの方がずっと良かったんだ。


夢に出たアシルさんは雛ちゃんに捕まってて、私も誰かに動けないようにがっちり体を固定されてて。目の前で力なく逃げろ、と笑ったアシルさんに私はいつも必死に叫んで手を伸ばす。


逃げない。あなたをおいてなんていけない。どうかそんなことを言わないで。一緒に戦うから。


けれどもその手は届かなくて。

アシルさんの体が冷たく地面に倒れたところで、夢はいつも終わる。勝手に目が覚めるか、クロに叩き起こされるかの二択だ。ここへ来てから私は、毎晩毎晩、何度も同じ夢を見る。


「熱はだいぶ引いたな。まだ真夜中だ。朝までもう一眠りしたらいい」

軽く頭を撫でるようにしてまたベッドに私を押し込もうとしたクロの手のひらを、勢いよく。叩き落とした。


「触らないで!!何!あんたはなんなの!?」

「一体今度はどうした」

「どうしたもこうしたもない!!殺すならさっさと殺しなさいよ!!早く!今すぐにでも!!」


私をまるで飼うみたいに、クロは私をこの部屋から出さない。部屋自体に結界がかけられているのか私は小さなこの部屋に閉じ込められたままだった。魔法で部屋の扉をぶち破ろうにも、黒い腕輪がそれを邪魔する。

体にかけられた自殺防止の魔法で、それに類する行動を取ろうとした瞬間に体の自由が利かなくなる。


気が狂うには、充分だろう。


「もう、嫌なの!!舌も噛み切れない首も吊れない!!だったら私はどうやって死んだらいいの!あなたの手で殺したいならさっさと殺しなさいよ!!」

「落ち着けって。お前を殺したいなら自殺防止の魔法なんてかけないだろ普通」

クロが落ち着かせるように両手をつかんで、私の動きを封じる。それすらも気持ち悪くて振り払おうとしたけれど、クロの手をブレることなく私の両手を離さない。

「触らないでって言ってるでしょ!!」

「半狂乱って言葉がぴったりだぞ今のお前」

「私はっ、これ以上生きてるわけにはいかないの・・・・!」

早く死ななければ。早く、1秒でも早く。それで救われる人達がいるのだから。


「ここはどこなの、なんで私はここにいるの、早く死んで、私が死んだら、きっと雛ちゃんも気がすむから」

あの日常に戻れるから。そこに私がいなくとも。

「落ち着け。深呼吸だ。ほら」

「早く早く早く早くっ」

「吸って、はい息を深く吸って」

「私はっ、は、っ」

「はい、吐いてー。じゃあもう一回」

「すぅっ、はぁっかはっ」

いつの間にか両手は離されて、力なくベッドの上に投げ出されたままだった。ただクロの手は私の背中をとんとんと優しいリズムで叩く。目の前にある肩に額を預けたまま、言われるように深呼吸を繰り返した。

幾度が繰り返せば、頭がようやく落ち着いて自分の心音が緩くなったのが聞こえて来る。


「クロの体は、暖かいのね」

「あぁ」

「生きてるのね」

「あぁ」

「私も、生きてるのね」

「あぁ」


抱きしめられた体は温かくて、あのアシルさんの冷たい体を少しだけ忘れさせてくれた。

「ここの家は全てを隠してくれるから。大丈夫だ」

「本当に?」

「怖い奴はここには来れない。だから大丈夫だ」

「私は.....まだ生きていられる?」

「当たり前だ」

「そっかぁ.....」

「何ならずっとここにいればいい」

「そん....なの..だめ」

うとりうとりと体をクロに預けたまま船を漕ぐ。思考もままならない頭で考える。ここで彼と暮らしたら、きっと楽しいけれど穏やかな日々が送れるだろう。もう他の人のことなんて、今までのことなんてすべて忘れて穏やかに生きるのだ。それもまた、一つの選択肢なんだろう。


「大丈夫。今夜はもう怖い夢なんて見ない」


私の頭を優しく撫でた後クロはそう言った。本当に穏やかな気分だ。きっともう怖い夢なんて見ないんだろう。安心したようにふっと力を抜けば、頭の下に柔らかい枕が当たる。眠気に逆らうようにわずかに開いた視界から、優しく笑うクロの顔が覗いた。


あぁ、きっとここは安全だから。大丈夫だ。




「今日はまだ2回目、だっけか?」

いつもつけるようにしている手帳を開いて文字を書き足す。

悪夢にうなされている模様。体の回復は好調で次第にご飯も食べれるようになってきた。あとはーーーー。


「あぁ、もう一週間も経つんだな」

空から降ってきたヒヨコを拾ってから、もう1週間も経ったのだ。


『ねぇ弟子1号。今日のお昼頃に空から女の子が降ってくるから、死ぬ気でキャッチしなさい』

『師匠言っている意味がわからない上に弟子1号って言っても弟子は俺一人だと思われるんですが』

『ほらほら早く。そろそろ降ってくるわよ〜』

師匠の狂言は今に始まったことではないが、この人の本職は占い。何かの予知かもしれないだけあって無視するわけにはいかない。


「まさか本当に降ってくるなんて思わないよなー」


顔にかかった髪の毛を避けながら、俺は小さく苦笑する。本当に俺の師匠はデタラメな人だけど、あの人の言うことに間違いなんてあったことはない。きっとヒヨコを保護するように俺に命令したのにも、きっと訳があるのだろう。あいにくと俺にはその崇高なお考えは理解することができない。ただ、ヒヨコを家に匿い逐一状態を把握し通達するように。それが俺がヒヨコを拾ってから師匠が出した、第2の命令だった。


『殺して!!』


最近になって数は減ってきたものの、狂ったようにヒヨコはそう叫ぶのだった。夜中に悪夢に魘されて飛び起きるのなんて日常茶飯事。一晩に2回で済めばいい方だ。腕も足も棒きれみたいに細いヒヨコは無理やり押さえつけると折れてしまいそうで、暴れるのを落ち着けさせるのも一苦労だった。

まぁ、今はろくに歩けないでいてくれる方が、こちらも世話が楽だ。


自殺防止の魔法に、念のためこの部屋から出られない結界の魔法。そして極め付けには黒い魔法封じの腕輪。

がんじがらめにヒヨコを縛って、彼女をここに無理やり居させた。幸い日中は逃亡については諦めがついたのか、部屋の本を読んでいることが多い。特に魔術に関する本には興味を隠さない。


「お前、何から逃げてんだよ。何に苦しんでんだよ」

幸い穏やかな寝息を立てているヒヨコからは、何も返答はない。傷を他人に見せないように、甘えないようにとするその姿は怪我を負った野生の魔獣のよう。けれどもふと見せる穏やかな表情や、放っておけないような暗闇は、どこか守りたくなる。


ヒヨコがここに居たいというのなら、居させてやってもいい。どうせ、この家に住むのは俺一人。

お前がそう願うのならば、いくらでも一緒にいるのに。

殺せと願う声も、死にたいと望む声も、全部全部本気の声だから。俺はその提案をいまいち出しきれないでいるのだ。


「ばーか」


望めばすぐにでも、穏やかな生活を保障してやるというのに。






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