1ヶ月の眠り
久しぶりの更新になってしまい、申し訳ありません。
いつも読んでくださる読者様、ありがとうございます!
お気に入り登録等とても励みになってます。
「ヒヨリっ、目が覚めたの?」
目を覚ました時に飛び込んできたのは、水に覆われて歪んだような視界とそこにいっぱいに映った抹茶ミルク。ふわふわと体が精霊たちが散らばる水の中をたゆたう。差し込む日差しが気持ちよくて水中で目を細めた。長いこと、眠っていたような気分だ。
それでもやがてばしゃばしゃと、心地よい世界を切り裂くように青白い手が水面から伸ばされる。
あぁ、前にもこんなことあったなぁ。池に溺れた私をアシルさんが助けてくれたんだ。引っ張り上げられてさんざん怒られたんだよね。笑みが溢れた。ただ穏やかにそんなことを考えていれば、華奢な腕は見た目に反して私の体を引っ掴むと無理やり引っ張り上げられた。
水面に顔を出した途端、ぱちんっと何かが弾けるような音がした。どうやらそれは私を薄く覆っていたようで、水の中でも苦しくない訳だ。目を開けた先にいたのは予想通りの顔で、それでも見たこともないくらいに安心した顔をしていて言葉がでてこなかった。
「ヒヨリっ、よかった・・・!」
ぎゅぅ、とこれでもかってくらいにきつくその腕が巻きつく。抹茶ミルクは近くで見ると乾いた泥やらくっついた葉っぱやらで汚れていた。
「く、ろえ・・・・?」
思いの外掠れた声だったけど、クロエはしっかりと聞いて「なあに?」と首をかしげた。その目の下には黒々とした隈ができてて、ただでさえ病弱に見えるその表情は悲愴さを増していた。ヨモギ色のローブが水を吸って暗く重たい色に変わる。
それに混じるのは乾いた赤。
クロエが怪我をしている様子はないけれど、よくよく見れば髪の毛にもべったりとそれらはこびりついている。それを見つめる私に気づいたらしく、クロエは少しだけ困ったように笑った。
「とりあえず、ここから出ましょうか」
クロエに体を引きずられるようにして水の中から出る。離れてみると、どうやらそこは青白く光る神秘的な泉だったらしい。天井は岩で、どこからか入った光が反射してキラキラと輝いていた。
「ここは山奥の隠れた祭壇のある洞窟よ。この泉はその力が作用してて魔力の回復に役に立つの」
あなたは壺が大きいだけあって、中々回復しないんだもの。とクロエが不服そうに呟いた。
体をすっぽりと覆い隠すような大きな黒い服を着せられて、私はこの泉の中に沈められていたらしい。
「ありがとね、怪我・・・治してくれて」
「・・・・・どういたしまして」
クロエは少し間を空けたけれど、微笑んで答えてくれた。
やがて肩を借りながら立ち上がると、生まれたての子鹿のごとく足がぷるぷる震えた。歩くとかそういうレベルじゃなかった。半ば引きずられるようになりながら泉から少し離れると、すぐ近くにクッションやら布団やら。王城で見かけたこともあるようなものが、ある程度整えられて置かれていた。
「ここら辺に座ってて、すぐ着替えを用意するから」
クッションのひとつに私をおろすと、すぐにタオルが投げられる。べたりと顔にはりついた髪の毛を拭いていると、ふいにばさりと、何かが地面に落ちるような音がした。
「ヒヨリ、様・・・・・?」
侍女服ではなく、華美でない深い赤のワンピースと革のブーツ。背中になにやら布袋を背負ったステラが、信じられないものを見ているかのような目で私を見ている。
「・・・・また、幻でも見ているのかしら」
いけない、と眉間を手で抑えながらステラはたった今落とした薪を再び抱える。
「幻じゃないよ」
ほら、触ってみる?と手を差し出せばステラはまた固まって、それからみるみるその瞳に涙を溜めた。そしてやはり、堪えきれないとでも言うようにぼろぼろと涙を溢しはじめる。ひとつ溢れるたびに小さな嗚咽が漏れて、何か話そうとするけれどまた口を閉じてを繰り返した。
「ヒヨリ様、」
「なに?」
「ヒヨリ様っ、」
「はいはい」
「信じて、ました・・・っ」
いくら拭っても拭っても涙は止まらないようで、ステラは困ったように泣きながら笑っていた。いつも心配ばかりかけて、それでもステラは苦しげな顔をしながらも私を送り出してくれてた。だからこそ、また自分が一緒に行けば良かっただとか、悔しい思いをしたのかもしれない。
まだ嗚咽を漏らすステラにクロエが笑って肩を叩く。
「そりゃあ一ヶ月も眠ったままだったら心配にもなるわぁ」
特大の爆弾が落ちた。
「い、かげつ・・・・?」
「ほんと、このまま目が覚めなかったらどうしようかと」
ステラが泣きじゃくるのも頷ける。それに随分体の筋肉が落ちてると思った。ずっと泉に沈んでふわふわしてたら、そりゃ筋肉なんて使わないだろうよ。
でも、一ヶ月たってるってことは城に幽閉されている優希ちゃんや、アシルさんは一体どうなったのか。
それに山奥の洞窟に籠る必要があったのは何故なのか。
「話は長くなるから・・・とりあえず食事をとりながらでもしましょうか」
クロエは少し悲しそうに笑って掌に火を灯す。それをステラが拾ってきた薪に移して、その上に大きな鍋を乗せている。どうやらここに住んでいると思った私の勘は間違ってなかったらしい。
「クロエ様、私がやります」
疲弊しきってフラフラな私よりも病人らしいクロエの姿に、慌ててステラが代わりを申し出ていた。確かに、今にも倒れてしまいそうなぐらい顔色が悪い。
ちらちらと、クロエが点けた赤い火が血色の悪い顔を照らす。
「ヒヨリが意識を失ってから、いろいろなことがあった」
パチッ、と不安気に炎が音をたてた。
*
腕の中に落ちた心許ない重みにそれでも安堵した。焦ったせいなのか、冷や汗なんて久しぶりにかいたわ。
「侍女さん、悪いけれどお水をとってもらえる?」
側で息を潜める、というよりは本当に息を止めていたのではないかと思われる。私の声に我に返ったように水差しを震える手で持つその様子を見ていると、この子は本当にヒヨリの味方で居てくれているのだと安心した。
何度放り出されても、彼女は立ち上がった。
私はフィン程ではないとはいえ、研究者である一面も持っている。どんな植物か人を癒し、人を傷つけるのか。それらの合間にヒヨリの相手をしていたわけなんだけど、そうして集中していると周りのことが見えなくなってしまうもので。ヒヨリが困ったような顔で私を揺さぶることもしばしば。
そんな私の住む城に無謀にも何度も特攻を繰り返している人間が居ると気づいたのは、最初の特攻からどれぐらい時間がたっていたのか、今となってはわからない。
それでも、何度も何度もその少女は塔の扉を開いた。途中まで登れば警戒警報が鳴り始め、私の大事な植物たちが侵入者をつまみ出そうと動き出す。
それを果敢に避けながら、どうにか転移魔法の石板まで近づこうとしているらしい。
その石板に私の許可していない人物が乗っても、何も起こらないのに。
なのに、死に物狂いでそこへ手を伸ばす深緑の髪を持つ少女。
それを見て、あら。と気づいた。
『私の侍女?可愛い子だよっ最初会った時は黒髪かと思うくらいに深い緑色の髪の毛を持ってて、とっても優しくて、あと紅茶がおいしい!』
「止まって!!」
反射的に座っていた椅子から立ち上がり叫んだ。覗き込んでいた監視用の映像に向かって静止の魔法を飛ばす。突然停止した植物たちの猛攻に、少女はきょとんとしばらく固まっていたけれど、すぐに立ち上がって石板に足を乗せる。
悩んだのは、一瞬。
幼いころに私を狙った下衆な人間たちを思い出した。それによって失った人を思い出した。
大切な人の、悲しんだ顔も思い出した。
でも、最後には脳裏にヒヨリの笑顔がよぎった。
ヒヨリが笑ってたんだし、大丈夫かな。
そんな軽い気持ちで私は指先を横にすぅーっと動かした。それは転移魔法にかけていた鍵を解く魔法。私が許した人しか入れないように、私が作った完璧な城の唯一の攻略法。
そういえば、この魔法の鍵を解いたのは初めてね。
だって、ここには私が許した人しか来ないし、入れないから。
「いらっしゃい。気づくのが遅くなってごめんなさい」
やがて小さな池の石の上に現れた少女の服は、近くでよく見れば城の侍女服。まぁ、元を知らなければわからないほどにぐちゃぐちゃになってるけれど。
あんなにもみくちゃにされたくせに、それでもその瞳は強さを失わない。涙でも零せば可愛げもあるものだけど、服だけはやたら引き裂かれている割に怪我なんてほとんどない。受け身の取り方も普通の何もしらない少女ではなかった。
「あなたは、私の味方?」
今更だけど、見定めるように目を細める。
ヒヨリの顔がちらついたからってつい部屋に入れてしまった。この子がヒヨリの侍女であるという保証なんてどこにもなかったのに。
水飛沫がはねた。
「お願いします!たすけてくださいッ!なんでもします!奴隷にでも、なんでも、なってもいいから・・・・!」
池の石から水も気にせず足を下ろした彼女は、あろうことか深々と池のど真ん中で土下座した。その下半身が水浸しになろうが構うことなく。悲痛な声を響かせながら頭を下げた。
「あの方をたすけてください!私の、たいせつな、大切な主をたすけてください!私ではっ、・・・駄目だから!」
酷く混乱したように、何も見えてないみたいに。呆然とする私の前で彼女は涙を滲ませた声で言った。私の質問など、まるで聞こえていないようだった。
「わたしはっヒヨリ様の為ならこの命だって要らないッ!!」
それでも、その言葉で十分だった。
「なるほど、了解した」
ふむ、と頷いて池の中に足を踏み込ませれば冷たい水が、私の警戒心を流していくようだった。池の中で膝を折って少女に目線を合わせれば、その瞳は戸惑ったように揺れた。
「侍女さん、お名前は?」
「すてら、いるしぇら・・・です」
「ステラね。綺麗で良い名前ね」
透き通った硝子細工のような名前だ。素直にそう告げれば、ステラは何かを思い出したようにその目を悲しげに歪めた。
「それで、さっきの話は?ヒヨリを助けて、って一体どうしたの?」
矢継ぎ早に気になっていたことを繰り出せば、ステラは祈るようにその手を胸で重ね合わせて言った。
「ヒヨリ様が聖女様の元へ行かれてから、警報が鳴りました・・・聖女様の神殿で侵入者が出た、と」
「ヒヨリは一体何をしに?」
「ご友人を助けるために、聖女様の元へ直談判しに行ったのです。王子が騎士達を連れて神殿へ迎い、爆音が、ここまで、響きました」
思い出すのも恐ろしい、というような顔でステラは震えながら話した。
話を聞いていく内に段々と、薄ら寒い感覚が背筋を走った。
「侵入者、って・・・ヒヨリじゃないでしょ?まさか、だってヒヨリは聖女様の友人だって、有名だし。王子とも面識があるし」
ステラは首を横に振った。
悲しげに、情けなさそうに首を何度も横に振った。深緑が、力なさげに揺れた。
「神殿に、近づけないんです。結界が貼ってあって、私ごときの力では何とも出来なくて」
「何が起こってるのか、わからない・・・?」
こくり、と一度だけステラは頷く。
「それに、王子のご様子も変で。神殿の方にヒヨリ様がいらっしゃるから着いて行かせてくれ、と頼んだら・・・・『そいつは誰だ?』と」
何かが、起こっている。
「もしその侵入者がヒヨリのことなら、・・・・まって!爆音が響いたって・・・?」
何度か、私のところへ運び込まれてきたヒヨリを思いだした。
そして、クローゼットの奥に閉まっていたお忍びようの黒いローブを引っ掴んで、ステラに一言だけつげる。
「あなたはここに居て」
それから部屋の中央にある石板に足を乗せた。ひやりとした白いその石は薄ら青く光っている。ここがこの塔の中央。転移するのに丁度良い起点だった。ここに帰ってくることを映像として脳に焼き付けながら、目を閉じる。
黒いローブのフードを目深にかぶり、魔力を練りだす。
試しに聖女様の神殿の近くに転移しようとしたが、ステラのいう通りなんらかの力に阻まれてしまう。どうやら周囲に回りくどく、ぐるりと囲うように結界が配置されているらしい。
少しの隙もない。空にもうっすらとドーム状の結界。中にも複数構造の壁。
確かにこれは面倒くさい結界だけれども。
悲しいかな。なめられたものだ。
「素人が、最高位なめんじゃないわよ」
どう見ても、素人の作りだ。なんでも貼り付けときゃいいってもんじゃないのよ、魔法は。
色んな結界がせめぎ合って緩んだその一点を、一瞬で見極める。
これでも、私はこの国の魔法の天辺のひとつを飾っている人間だ。
魔力を集中的に打ち込めば、何かが割れた音がする。
「きた、」
綻びに笑みを浮かべる。
瞬間、素足が生ぬるい何かに触れる。
血生臭い。目の前の人にしては部分の欠けたモノ。畏れを宿した騎士達の顔。
それでもすぐに分かった。
あぁ、なんてこと。
今すぐにでも全てをぶち壊してやろうかと思った。それでもそんなことをしている間に、私の愛弟子が力尽きてしまうかもしれないわけで。
すぐにローブから出した腕に優しく囲いこんでまた塔を頭に思い浮かべる。
腕の中で声をあげて抵抗するヒヨリを、抑え込む。ここで離せば五体満足ではいられない。いや、既に少し欠けているのだけど。
「ヒヨリを、頼む」
言われなくとも。あまり好きではなかった王子にそう言われるのも癪だけれど、聖女様を止めてくれていることに免じて文句を言わないでやる。
空間に無理やりヒヨリを引きずりこむようにして、やっと。いつもの見慣れた景色に視界が切り替わる。
酷く動揺したヒヨリの意識をなんとか刈り取り、その重みを腕で受け止めた時には私もだいぶ状況を理解していた。ステラと一緒に止血をしながら、その右腕を彼女が見ないようにしていることにも気づいていた。
そして、私がそれを治せないことも、私は知っていた。
「後は私がやるから、ステラは外を見張って」
「・・・はい」
少し辛そうなステラを追いやってから、ヒヨリの体を見つめた。
私の大切な愛弟子の体は、私の魔法なんて必要としなかった。
むしろ、弾き返されるだけだ。
しゅるり、と傷口からいつものように現れた白い糸が傷口をふさいで行く。
ヒヨリも知らない。ヒヨリの秘密。
まるで不死のようだと、笑えればいいんだけれど。この力はどうやら少しずつヒヨリの体を作り変えているらしかった。怪我した場所からどんどん、侵食するように。
今回の怪我はひどすぎた。きっと8割ぐらいはあのよくわからない力に体を作り変えられるだろう。
それがヒヨリに何をもたらすのか。それは私にもわからないことだった。
これを話すことは、きっとないと信じているけれど。何故だか不安しか感じない。
だって、これはあまりにも私の秘密に似ているもの。
治療の部分をさらっと省いてヒヨリに話しても、彼女は何も疑わなかった。
私を、信じているから。
胸が痛かった。
そしてステラから外の情報を聞いた。オズワルドのところも抑えられていること。フィンからの通信で、そこも抑えられていること。
きっとここも、時間がないこと。
「そうしているうちに、塔が爆音で揺れたの」
何の?なんて、ヒヨリは聞かなかったけれど、悲しげに顔を歪めた。




