私はあなたの願いを知っている
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撃て、と。
私に命じたその声に動揺したのが、私の最大のミスだった。
「ど、して」
紡げたのはその一言だけ。すぐに口から溢れた血でまともに喋れず咳き込んだ。
気づけば私は間抜けにも囲まれていたらしく、四方八方から容赦のない遠距離魔法が飛んできた。騎士たちが建物になだれ込んできて、数多の魔法に体が悲鳴をあげた。体を貫通していく痛みというものを、この時初めて味わった気がする。
意識があったのもほぼ奇跡のようなもので、力なくその場に倒れ込みながら、揺れる視界を必死に安定させてそこに映る人を見つめた。
「あし、るさ、」
どうして。アシルさん。
「ヒナ!大丈夫だったか!?急に不審者が侵入したとの報告だったが・・・・」
「アシル様っ、私怖くてっ・・・!」
涙を零す雛ちゃんに寄り添う銀髪は確かにアシルさんで、なのに彼はちっともこちらに目を向けようともしない。
友達だと、言ってくれた。素直に嬉しかった。私がこの世界にいる限り、この人を守ろうと思った。王子様の護衛なんていっぱいいるだろうけど、友としてこの人を守ろうって思ってた。
「なん、で?」
体に空いた穴から血と一緒に、悲しみが流れていくようだった。
「 」
声はもう出ない。
ぽたり、ぽたり、ぽた、ぽたぽたぽたぽた。
血が止まらない。
「何をぼさっとしている!すぐに不審者の遺体を片付けろ!」
「し、しかしっ!」
私を気遣うように見たのは騎士の一人で、そういえばフィーと乱戦になった時に見かけたような気もした。浅い呼吸を繰り返す私に、アシルさんの瞳が向けられる。
「何故『しかし』なのだ?」
不思議で仕方ないというようにアシルさんは首を傾けて言った。
私のことをまるですっかり、忘れてしまったかのようだった。
いや。ようだ、ではなく本当に忘れてしまっているらしい。私の顔と騎士の顔を行き来してはやはり不思議そうな顔をするけれど、それだけ。
「しっ失礼ながら申し上げます!!こ、こちらは異世界の4人の姫のお一人であります!」
その騎士が声を上げるとすぐ近くに居たもう一人の騎士がすぐさま私の横に跪いて意識の確認を始める。ここまでぼろぼろになってしまうと本人である確証もなかったようだ。ぴちゃん、と私の血だまりの中に騎士の鎧が見える。
私の名前を呼ぶ声が聞こえる。それでも体を動かすのが億劫でアシルさんの方を向いたまま、私は腕一本動かせなかった。
「すぐに医術師をっ「4人の姫、とはなんだ?」
そう、彼は問うた。
「異世界から来たのは、ヒナだけだろう?」
世界が凍りついた。
騎士達が動揺を露わにして、雛ちゃんとアシルさんを見つめる。
「い、いえ!聖女様を合わせて、4人の姫がこの度召喚されました!」
「何を言う!私はこの目で召喚を見ていた!現れたのはヒナ一人だった!!」
頑なに譲ろうとしないアシルさんに騎士は口を開けたまま固まり、私の血を止めようとしていた騎士も思わず手が止まってしまっていた。
あぁ、これが彼女の魔法でなくてなんだというのだろう。
にたり、とまたあの笑みを浮かべる。
きっとアシルさんは優希ちゃんが幽閉された時からこうなってたんだ。私たちのことを忘れてしまうように、雛ちゃんに精神魔法をかけられていた。記憶を改竄するなんてどんな器用さだよ、って思うけど。それをやってしまうのだから、さすが聖女様。
指先の感覚はとうになくなり、ただ自分の血が広がっていくのを見つめる。
諦めてしまおうか。
優希ちゃんのことも、この世界の人たちのことも。
他人事だと、投げ出してしまおうか。
霞はじめた視界の中で、私が作った真っ赤な水たまりに誰かが迷い無く足を踏み入れる。
それは騎士達のかしゃかしゃうるさい鎧じゃなくて、私が元いた世界の学校指定の革靴。高校生になってから、急激に背が伸びて靴のサイズも大きくなったのだと、あの人は困った顔をしていた気がする。
血がつくのを厭うことなく、あの人は私のそばに膝をつけた。私にだけ見えるその姿が、学校の黒のズボンが重たく血に沈んでいくようだった。
『諦めるのか?』
数学の点数、やばいんだろ?
と、記憶の中ではその後そう続くはずなのにこの状況だと、すべてを諦めようとしている私を叱咤しているみたいだった。
だって、叶いっこない。
これはもしかしたら、この世界に来て幸せをいっぱいもらいすぎた罰なのかもしれない。
今までの出来事がまるで夢のようだった。
アシルさんが友達になろうって言ってくれたこと。
危険を顧みずに舞踏会で助けに来てくれたこと。
いつも、私の心配をして怒ってくれたこと。
寂しがりやな人だった。
勇敢な人だった。
優しい人だった。
厳しい人だった。
大切な友人だった。
元の世界での友達はあの人だけで、あの人もおおっぴらに友達だとか言わない人だったから。優希ちゃんやアシルさんと友達になって、初めてこの世界で友情というものを知った気がする。
その人が、私に今冷たい瞳を向けている。かつてのあの暖かい瞳も、言葉も、掌も。全部夢であったと、忘れてしまえばこんなに胸は苦しくならない。後悔しない。
左腕を床に突き立てて、右腕も同じようにして体を起き上がらせようとすれば、すでに右腕は肘から先が無くて血だまりの中にべしゃりと倒れ込む。
「さ、サカタ様」
急いで支えてくれた騎士に頭を下げながら、顔を上げる。
諦めるわけないじゃない。
今のはちょっとした小休憩だから。
顔も見えないあの人に笑いかければ、あの人も小さく微笑んだ気がした。
「ま、まだ生きているのか!?」
「サカタ様、動いては血がっ」
私を見て心底驚いたような顔をする雛ちゃんを嘲笑う。ドラゴンとだって張り合ったことあるんだ。こんぐらいじゃ死なないよ。無理矢理体を起こしてアシルさんに目を向ければ、彼の瞳の中に冷たさ以外にも何かちらつく気がした。
「私は、あなたの願いを知ってるよ」
「・・・・私の、願い?」
「あなたが忘れても。何度でも。私は言うよ」
笑って、手を差し出した。
「友達に、なりましょう?」
身分も何も関係ない。友達に、なろう。そう言ったのはアシルさんだった。
「と、もだち」
「アシル様っ私この人に殺されそうになったのです!早く私の目の前からっ、」
縋り付く雛ちゃんに我に返ったようにアシルさんは頷いている。そう暑くないこの神殿の中で体調が悪いんじゃないかってぐらいに汗をだらだら流しながら、うろたえるように頭を押さえては首を振っていた。
「そう、そうだ。こいつは不審者でヒナに危害を加えようとしたから、取り押さえなければ。でも、友人にそんなこと、・・・・、できない」
「違います!この人は友人などではありません!」
本当に?とアシルさんの瞳が確かに揺らいだ。まだ、彼は私を覚えてくれているのかもしれない。
「アシルさ、「黙りなさいよ!!アシル様に何したの!?私が、完璧にっ」
記憶を改ざんしたのに?
あと少しで口を滑らせそうだったのに、雛ちゃんは慌てて口を噤んだ。あとちょっとだったのに。
目だけで笑ってやればつかつかと歩み寄ってきた雛ちゃんに勢いよく頰を叩かれた。もう全身が痛いんだからそんな小さな痛みで怯むことはない。
「違う、違う違う!何をやってんだ俺は!!」
「王子!!」
「あいつは、不審者なんかじゃ、でもヒナがっそもそも異世界から来たのはヒナだけで、だからあいつは」
「大丈夫ですか!?」
雛ちゃんの後ろで唐突に悲痛な声が響いた。いつの間にか床に膝をついてアシルさんが気が狂ったみたいに頭を横に振っている。何かを必死に否定するように、そして思い出そうとしているみたいに私を見た。
「アシルさん、」
「大切な、っ・・・たったひとりの友だろうがっ!」
がつんっと刃物が硬い何かに突き立てられた音がした。
それはその人の怒りを表しているようで、動揺を断ち切るようでもあった。
「っ、」
息を呑んだのは誰だったのか。アシルさんにしつこいくらいに纏わりついていた精霊が弾けるのが見えた。
友達になろう、って差し伸べてくれた手。
池の中に居た私を引っ張り上げてくれた手。
王子の職務を全うしようとペンを握った手。
それが、アシルさん自らの手に握られた剣によって貫かれていた。
「アシルさんッ!!」
じわり、と白い手袋に赤いものが滲む。
「アシル様?一体何をするのですかっ!?」
慌てて駆け寄る騎士と雛ちゃん。アシルさんは荒い息を繰り返しながら、やがて正気に戻ったかのように掌に突き立てていた剣を抜く。
そして、笑った。
「ヒヨリ、」
私の名前を呼ぶ。
徹夜で机仕事をしてた時みたいにどっと疲れた顔をしてた。それでも清々しいぐらいに笑顔を見せた彼はその手を雛ちゃんに伸ばした。唐突のことに反応できない雛ちゃんを腕の中に閉じ込めて私の目を見て言った。
「逃げろ」
その目はもう、冷たくない。でも、だからこそ。私は逃げたくないのに。
「やだ、」
「逃げろ!!」
一層強く彼が叫んで、雛ちゃんが何かの魔法を使おうとして精霊が反応して。それでも動かない私の体ではもうそれを避けることも出来ないだろうと容易に予想できた。隣に居る騎士だけでも逃がそうと声をあげようとした時、隣に居た騎士が私の背後を見て怯えたような顔をした。
一瞬、私に向けられたものかと思ったけれど、その顔の青さは尋常ではなく背後で何かの力が渦巻くのを感じる。
次から次へとなんなんだ、と第三者の乱入に構えようとした時。空間に引っ張り込まれるような、慣れた転移魔法の気配がした。
衝撃に備えようと体を固くした私に対して、私の背後を見て安心したようにアシルさんは微笑んだ。
優しい。いつもの彼の笑顔だった。
「ヒヨリを、頼む」
一体誰に私のこと頼んでるの。
なんでそんな安心した顔するの。
言いたいことはたくさんあるのに言葉が上手く出ない。
背後からふわりと、真っ黒な布のようなものが私に被さる。
アシルさんが、見えなくなる。
「ま、って」
引きずり込まれる。
「待って!!」
手を伸ばしたけれど、そんなもの届くはずもなくて。気づけば暗く沈む布の中で、背後から血色の悪い手が唐突に伸ばされる。その手は私を押しとどめるみたいに、離れていく気配に暴れる私を必死に抑えつけていた。
痛い。やめて。
今離れたらきっと私はたくさん後悔する。あの泣きそうな微笑みを私は一人では置いていけない。
叫べない喉からはひゅぅひゅぅと変な音が漏れただけ。やがて暴れる気力もなくす私に、白い手は宥めるように私の体を抱きしめた。
転移魔法に失敗すれば五体満足ではいられない。転移する前の場所か、転移する場所か。どちらかに体の一部を置いてきてしまうのだ。だから、この人はこんなにも必死に私を止めてくれたわけで。
そんな魔法だから、使える人物は限られているわけで。
視界に入った若草色のワンピースが揺れる。一面の花畑はいつも通りのこと。私が作った血だまりも、そばにいた騎士もいなくなっていた。
相変わらず黒い布は私に被せられたままはためいている。花の香りに私の血の臭いが混ざっていくのが、自分でもわかった。
その人はやがて、私に頭から被せていた布を取り払って言った。
「落ち着いた?」
「くろえ、」
最悪だよ。最低だよ。
力の無い自分に、友達を置いてくることしかできなかった自分に、腹がたってしょうがなくて。それでも無くなった右腕に、今度こそ自分は死んでしまうのかもしれないって不安になっていたのも確かで。
「大丈夫」
慣れた花と陽の香りが私をそっと包み込む。見慣れない黒いローブを頭から被った彼女は、ぱっと見では誰なのかわからない。ただでさえ白い肌が口元だけフードの下からひっそりと覗いているのだ。だからきっと騎士も怯えていたのだろう。アシルさんは気づいていたみたいだったけど。
「わたし、ね。なんで、アシルさん、わたし、」
逃げろ、なんて何で言ったの。
怒りをぶつける相手も居なくて、クロエのワンピースを握りしめながら獣みたいな低いうめき声を出す。
「今は眠りなさい。それがあなたの傷を癒す助けになるから」
「でも、戻らなきゃ。わたし、」
「今はここに居なさい。・・・ここにしか、居られないのだし」
クロエの言葉には違和感があったけれど、いつの間にか掛けられた風魔法に運ばれてきた睡眠作用を持った花の香りに、少しずつ意識が薄れていくのがわかる。
体がぐらりぐらりと傾いて。視界が狭まっていくのがわかった。
目をつぶれば、もう目覚めないかもしれない。怯える私の肩をクロエはひたすら撫で続けて。
意識もあやふやで、感覚もすっ飛んだ私の前に、学校指定の革靴が相変わらず気だるげに並んでいた。
こんな風にこてんぱんにやられちゃうなんて、あの人が聞いたら呆れるかもしれないね。
それでも、今は休めと言ってくれてるような気もして、ようやく私は大人しく体を微睡みの中に沈めた。




