よく知る色
更新不定期ですいません。
いつも読んでくださる読者様、ありがとうございます。
相変わらずの黒いローブ。今日くらいは少し装いに気をつければいいのに。まぁそれでも顔さえ整っていれば女性陣は盛り上がるもので、辺りから上がる黄色い悲鳴にため息をついた。お嬢さん方、もう少し中身を見てください。
ほら、あの人これだけモテておきながらため息ついてますから。それにしても呆れたもので、照れる風でもなくオズ兄さんはローブの裾についた土を払っている。まったく淡白な人だ。これがあのセルの前では真反対のデレデレであることはセルの記憶でよく覚えている。
これではまだ結婚とかは程遠いのかなぁ、と婚約者も居ない兄を案じながら相手が出てくるはずの扉を見つめた。もしかしたらこの試合相手の人がご縁があって婚約者に・・・・とか、ありえないか。まぁね。そんな人生上手くいかないもんですよ。
「オズワルドさんの相手は?」
「さっきアナウンスで聞いたけど、知らない人だったの」
チシェットだったか、なんだったか。女の人みたいな名前だったんだけどもちろんこの世界に来て日の浅い私が知る訳も無い。
それでもさっきのクロエみたいな一方的な試合じゃないといいんだけど、見応えがあると嬉しいなぁ。
と顔を上げた私の目に映ったのは小柄な少女だった。
けれどもその瞬間、会場が嫌なざわつきを見せる。
私と同じくらいの背丈で、その手足もか細い。まるでどこからか迷い込んで来たと言われた方がしっくりくるくらいに、この闘技大会には不釣り合いな少女だった。怯えるように胸の前で組まれた手と、上質とは言えない素材で作られたであろう薄い青のくすんだワンピース。頭には目深にニットの帽子の下から溢れる髪はオズ兄さんと同じ白。顔はほとんど見えず、特に注目されるような点はないのに。
「陽依・・・・あの子の、足」
「え?」
優希ちゃんがこれでもか、ってくらいに眉間に皺を寄せてた。その視線の先にあるのはあの少女の足下。戦闘には向かないであろう薄っぺらい靴を履いて、ワンピースから覗くその足は青白い。ただ人と違う事と言えば。
茨模様の黒い刺青がその足首に巻き付いている事だろうか。
どうやら周囲の人々も口々に彼女の足、と口にしては顔を歪めているようだった。あれが何なのか私にはよく分からないけれど、好ましく思われていないのは確かなようだ。
なぜ知らないか、って私それは私が帰ることに一生懸命になりすぎて、ある意味箱入り娘状態だったからだろう。かろうじて知っていることはこの国がカルメス国という名前を持っていて、自分が居る場所がその王都だということだけ。
「優希ちゃん、あれ知ってるの?」
「城の本で読んだ。見たのは初めてだけど・・・・あれが、奴隷なのね」
「奴隷!?」
なんて時代錯誤な言葉、そう笑い飛ばせたら良かったんだろうけど、優希ちゃんの真剣なその表情は決して冗談を言ってる顔じゃない。身体の中で処理できずに飛び出した彼女の怒りが、小さな舌打ちとなって音になる。
奴隷制度なんて、世界史の教科書に出て来たどこか現実味のない言葉。
「あの子が主に逆らおうとしたり逃げようとしたりしたら、魔法が作動してあの子の足を吹っ飛ばすの」
「え」
あまりに無知で。あまりに世間知らずで。この国の常識すら知らない私は、どんどん追加される新しい情報に戸惑ったように少女の足下を見つめるしかなかった。
楽しげに精霊がまとわりついた少女の足下には、ただ単純に”制御”と”切り落とす”以外の術式は見られない。きらきらと輝く精霊達には善悪の価値観なんてものはない。ただ自分たちの食料となる魔力が与えられるのであれば、どんな残酷な事だって何の迷いもなくやるんだ。
だって、それが精霊だから。
まるで命綱のない綱渡りを見ているようだった。私はその観客の1人で、落ちても私が死ぬ訳じゃないのに。なのにお腹の中を重たい感情が回り回って気持ち悪くなる。すぐに誰か止めて、と叫びたかった。
「何で奴隷がこの大会にでるの?勝てば王様からご褒美が貰えるから・・・・?もしかしたら、奴隷身分から解放され「違う」
「そんなのは、ありえないんだよ陽依」
言い聞かせるように包まれた掌は、震えてた。きっと救われて誰もが最後は幸せになる。そんな物語が現実にはほとんどないことなんて知ってたのに。
「あの子はきっと・・・・・主から言われて出ているだけなの。勝っても褒美が貰えるのはその主であってあの子じゃないわ」
低く冷たい地鳴りが聞こえてくるようだった。声を震わせ。私の手を包む自身の手を震わせ。彼女は静かに胸の奥の怒りを沈めようとしていた。私達がここで何を叫んだって、変わらない。程よく無関係な私達が、この国についてあーだこーだ言ったって、結局は何も変わらないのだ。
少女は居心地悪そうに身じろぎしては、自分の足首を見つめてまた胸の前で手を組んでいた。
『ではではお待たせいたしました!第2戦を始めちゃいますよーっ!お次はまたしても大物!赤の塔の魔術師様です!みなさんご用意はよろしいか!?ーーー試合開始っ!!』
そんな司会の声に先に動いたのはーーーー少女だった。小さくもごもごと口を動かして、また不安げに胸の前で手を組んだ。魔法を警戒したオズ兄さんが少女に向かって腕を突き出す。
逃げてと願う私の心とは裏腹に少女の薄っぺらい靴は地を蹴った。
手前に起こした小さな竜巻を踏みつけるようにして、少女の身体は青空の下で弾む。
その袖の長いワンピースから細身のナイフが姿を現す。鈍く太陽の光を反射したそれを構え、オズ兄さんに向けて一直線に放つ。ただ腕の力は弱いのか大した速さではないそれは、オズ兄さんに軽くステップを踏まれて避けられてしまう。
足を一歩踏み込みながらオズ兄さんの掌が精霊でざわめいた。その両手で燃え上がる火球が未だ空中に居た少女めがけて一直線に飛んで行く—————ように見えたけれど。
ぼとり、と僅か1m程で力つきたように地面に落ちて掻き消える。情けなくも細い煙をぷすぷすと上げる自分の魔法にオズ兄さんが固まる。
何かが、おかしい。
その間にも空中に発生させた新しい竜巻を踏みつけては、少女がまた空を飛ぶ。しなやかなその身体を捻らせながらまたナイフを放つ。戸惑ったオズ兄さんの動きが少しだけ遅れるのを見て、これがオズ兄さんの予期していないことだと分かった。
魔法が不発しそうになると何となく分かるものだ。あ、これは失敗するな、とか。今魔力量少なかった、とか。それでもそれは普通の魔術師の話なわけで。オズ兄さんが最高位、という魔術師でなければ誰もがただのオズ兄さんのミスだと感じるはずだ。
でも、彼はこの国の最高位の魔術師なのだ。
そんな人がこんな、しかも初歩的な魔法でミスをするなんて。何かが起こっているとしか考えられない。せわしなく目を動かしては少女の動きを追ってみたけれど、慌てたように転移魔法をかけたオズ兄さんをまっすぐ追っているだけのようだった。
けれども普通ではないのはオズ兄さんの方だ。
いつもならこの会場の隅から隅に転移するなんてことお茶の子さいさいなのに、移動した先は少女から2mも離れていない場所。座標の設定ミス?あのオズ兄さんが?
ありえない、と思わず声に出せば優希ちゃんも真剣な顔で試合に目を落としながら頷いている。
制御の腕輪のせいか、とも考えてみたけどクロエとのあまりの違いに納得できなかった。
オズ兄さんはとりあえず魔法に頼りすぎることを危惧したらしく、黒いローブの腰元辺りから短いナイフを取り出している。少女はそんなオズ兄さんの行動に対応するように、地に降りてその戦闘に向いてなさそうな靴で駆け出した。
その動きはお世辞にもプロと言える物ではなく、半ば転びそうになりながら必死に走る少女にオズ兄さんも戸惑ったのか、ナイフは少女の攻撃を受けるだけで反撃しようとはしない。既に肩で息をしている少女がこの状態からオズ兄さんに勝つなんてありえないと思うけれど、観衆は必死にナイフを振り回す少女に釘付けになっていた。
動きはまるで素人。さっき使った魔法も初歩的な物だった。確かに空中での身のこなしは目を見張るものがあったけど、ナイフの振り方はまるで付け焼き刃。
けれども真剣な顔で、歯を食いしばってオズ兄さんをまっすぐ見つめるその顔には惹き付けられるものがあった。その顔に潜むのは苦しみ、悲しみ、怒り、そんな必死さなのかもしれない。この試合に負けてしまえばまるで死んでしまうんじゃないか、っていうような形相で足をまた踏み出す少女。
『私はっ・・・・!負けれない!』
それは本当に小さな声だった。かろうじてマイクが拾ったその声は、必死に足掻いていた。何かと戦っていた。まさかこの試合に負ければ殺されるとか。そんな嫌な予感が胸を過って。でも少女の足首から目を離せなくなる。それだけ少女の表情には目の前に死がたたずんでいる、とでも言いたげな狂気が潜んでいるようだった。
そして、ふと気づいた。
先ほどから息が上がるのがあまりにも早すぎるとは思ってたけど、少女の足下の精霊が僅かに震えていた。どうやらそのせいで先ほどから体力を削られているらしい。
それは不過視の魔法のようで他の人には見えないらしい。噛み合ない優希ちゃんとの会話に話すことを諦めた頃それを悟った。
少女の足首に付けられた奴隷の魔法をあざ笑うように、その魔法は薔薇の形をしていた。青く光るそれは綺麗で冷たくて、どこか危険な感じがする。
「待って、」
「え?」
この魔法だと、もしかしたらこの少女は主に逆らっても足を切り下ろされたりしないのでは?と、推測し始めた頃優希ちゃんが短く呟いた。
「どしたの?」
「待って!やめてっ!!」
急に席を立ち上がると人を押しのけるようにして前へ前へと進み始めた。眉を顰める周囲の人達など気にもせず、優希ちゃんは結界の方へ近づいて行く。結界の周りは観客の護衛のために兵士達が立っていた。彼女が無理矢理前に出てでも見たいものは何なのか、後を追うように人を押しのけて進む。
刹那。ふわりと短い金髪が目の前で舞った。
2m程高い位置にあった客席から優希ちゃんが何の迷いもなく飛び降りる。次の瞬間結界の向こうでオズ兄さんの炎の魔法が爆発を起こす。
ひゅ、と喉から変な音がして声が出なくなった。目の前で落ちて行った金髪を追いかけるように客席から身を乗り出せば、優希ちゃんが上手く着地を決めた所だった。
「優希ちゃん危ないよ!結界に近づかないでってさっきアナウンスが「陽依今直ぐこの結界をぶっ壊して」
心の底から真剣に言っているのだと、その目は私に訴えていた。優希ちゃんに気づいた兵士が慌ててこちらに駆け寄ってくるのが見える。何を言ってるの、と優希ちゃんが客席に戻れるように手を差し出せば優希ちゃんがその手を握り返してー—————そのまま下に引っ張られた。
女の子にしては逞しい腕が私を受け止めて無事に着地させてくれる。いやそういう意味で差し出したんじゃないんだけど。
「陽依!後で理由は説明するから!早く!」
「君たち何をしているんだ!?」
駆けつけた兵士に腕を掴まれながら優希ちゃんが私に叫ぶ。優希ちゃんは優しい人で、間違ったことを嫌う人で。だから私の言う優希ちゃんが何の意味もなくそんなことを私に頼むなんてない。
だったらそこに、何の理由があるんだろう。
「説明、ちゃんとしてよね」
ぺたり、と結界に手を触れさせて笑えば優希ちゃんが応えるように笑顔を見せた。もう1人、あちらから駆けてくる兵士がこっちにたどり着くまで後10秒程。
余裕。
押さえつけていた魔力を一気に結界に流し込む。
「私の物になってよ」
所有権の剥奪。誰がこの結界を保たせているのか知らないけど、ちょっと精霊の詰め方が甘いみたいだね。オズ兄さんが私を閉じ込めるために作った結界は、もっと抜けがなかったような気がするよ。
あと、5秒程という所でアナウンスが会場に響く。
『え?えぇーっと、ですね。なんか、よく分かんない人が実況室に乗り込んで来ちゃってるんですけど・・・・』
優希ちゃんを取り押さえていた騎士もきょとん、とした顔でアナウンスを聞いている。
『えぇと、今出場してるチシェットさんなんですけど『そいつは私の奴隷だ!!一週間程前に脱走して行方知れずになってたんだ!!誰か捕まえてくれ!!!』
『・・・・・だそうですよ?』
「駄目!!」
叫んだ優希ちゃんの声は、騎士達が叫んだ声にかき消される。
「今直ぐあの少女を引っ捕らえよ!」
「はっ!」
敬礼をとった騎士達が結界を開け、と上の人達に掛け合っているのが見える。優希ちゃんがやめて、と叫びながら鞘に入ったままの剣を振り回していた。いつの間にか出て来た護衛の騎士達が不審者ではないのだと、必死に説明しながら彼女を宥めようとする。
「あの子は私の友達よ!!」
叫んだ優希ちゃんの言葉につられるように、結界の中で戸惑ったように身体を固めていた少女がこちらを見た。
その瞳は私のよく知る”黒”だった。




