魔法の勉強
読んでくださる読者様、いつもありがとうございます。
ぼんやり、と机の上に積まれた教科書らしき分厚い本を見つめた。
いや、この世界の文字が読めることは確認済みなんだけど、それより今注目すべきはこの本の厚みだよね。何をどうしたらこんなに厚くなるんだ。元の世界で言うと辞書並みの厚さだ。
「魔法、って・・・・難しいのね」
こんなに分厚い教科書なのに、書かれている内容は基礎中の基礎なのだそうだ。うんざりしながらもぺらぺらと教科書をめくれば、無駄に装飾の多い言葉達がぎゅうぎゅうに押し込められていた。
何これ。貴族用とかかな?これで言語の勉強もしろってか。
分厚い教科書を閉じてから、ため息をつく。しょっぱなからこれでは先行きは暗い。
『お前ならそう言うと思ってた』
魔法を学びたいと言った私に、否定するでもなくオズ兄さんは言った。魔法は危険だから、とか止められるかと思ってたけどオズ兄さんは私が一度決めたら止まらない事をよく知っているらしい。
『ただ、俺やフィーには普段の業務があるから教えられないと思う。きっと申請すれば良い先生を手配してくれるだろうから頑張るんだぞ?』
『はい、オズ兄さん』と嬉しさ満点の笑顔で返事をした私はどこへやら。既に挫折寸前である。
別に教科書の厚みとかは特に気にしてない。そこはいいように先生が省いてくれるんじゃないかと期待してたし。そう。問題は教科書なんかじゃない。
それを教える先生にある。
憂鬱な顔をしていたのだろうか、ステラに心配そうな顔をされた。それでも大したことないと笑って重たい教科書を持ち上げる。そろそろ今日の魔法の授業が始まるから移動しなければならないのだ。
あぁ、重い。なんて言ったって教科書以上に気持ちが重い。
「ではヒヨリ様、何かあればすぐに呼んでくださいね?」
扉の前で軽くステラが一礼して私に言った。
そう、ステラは授業にまではついてこない。それは私がステラにも他の仕事があるだろうから、と言ったからだ。
あの事件の後自分でも異常だと思うくらい人に怯えていた私にはステラ以外に侍女がいない。というか、拒絶反応がすごすぎて付けられなかった。特に私の胸元に垂れ下がっている布袋を取ろうとした侍女には大分酷いことをしてしまった。
ただお風呂に入る前に外そうとしただけなのに、私は酷く怯えて部屋を飛び出して小さな騒ぎにまで発展してしまった。まぁ、庭の隅にうずくまってて誰にも見つけてもらえなかっただけなんだけど。
まぁそんなこんなで、ステラには1人では回しきれるのかどうかすら怪しい程に業務がたくさんあるんだ。私の授業の時くらい傍を離れて、そちらの仕事をさせてあげたいから。と、思って私の傍を離れさせたのだけど。
失敗だったかもしれない。
「やぁレディ、今日も授業頑張ろうね」
扉を開ければ黒板の前で微笑むのは煌びやかな服をまとった1人の男。そう、この人が私の魔法の先生で問題の先生。
「・・・・・はい」
少しでも初対面の人に怯える癖を治そうと頑張ってはいるけど、まだまだある一定の距離を空けなければ不安になる。数回会った程度じゃ、この不安はどうすることもできない。
なのに、この男は。
「それにしても、君の瞳は相変わらず綺麗だ。金色に輝くその瞳はまるでこの街を照らす優美な夕陽のようだ。そうだ!僕の部屋からはその夕陽が一段と綺麗に見えるんだが、今日は一緒にディナーでもどうだい?きっと素晴らしい———」
言っておくけど私の目は茶色。色素が薄いから反射して金色に見える、って昔誰かに言われた気がしない事も無いけど。茶色なんだよ。この陽の差し込まない教室で金色に輝くはずもないんだよ。
なのにべたべたと近い距離を保ちながら、ランチだディナーだとほざくこの男に私はうんざりしてた。
人が居る時にはちゃんとした先生のフリをするくせに、いざ私と2人きりになればやたらと装飾の多い言葉で私に話しかけ始める。まるでこの分厚い教科書みたい。言葉の多さにこの男の名前が何なんだったのかすら思い出せない。
私と親しくする事に、この人にとってどんなメリットがあるのかは知らないけど、どんな言葉を吐かれても時間の無駄だと感じるだけだった。私が禁術を使ったと言われたあの日から、特に薄れて行くこの感情。
子供みたいなことを言うようだけど、好きっていう気持ちがいまいち分からない。きっと胸に渦巻くこの重苦しい気持ちは、この人に対する好きって気持ちじゃないんだろうけど。ぽっかり、とそこにだけ穴がみたいに分からないのだ。
好き、ってなんだっけ。
「先生」
「何だいレディ?ついに僕の家のディナーへ来てくれるのかい?」
「・・・・・いいえ。そろそろ授業を始めませんと・・・昨日からちっとも進んでいませんし」
微笑みを浮かべながらそう言えば、男は少し表情を固まらせながらも教科書に手を伸ばした。
こんなやり取りを毎回繰り返すのだ。私がうんざりしてしまうのもしょうがないと思う。それにこの男は黒板という便利なものがあるというのに、わざわざ私の横に座って密着しながら授業を始める。不愉快極まりない。
けれどもか弱い病弱なご令嬢を装っていることから、この男は無理にと外へ連れ出したりはしない。何度も何度も怪我をしたりだの熱が出たりだので、私が床に臥せっているのは宮中では周知の事実だからだ。
私の隣に座った男は教科書の最初の方のページを開きながら、そこに描かれた人の図を指差した。
「まず人の身体の中には壷みたいなものがあってね、この中にあるのが俗に言われる魔力と言う奴なのさ。レディのこの身体の中にも壷はあるんだけど・・・・その形は人それぞれでそれによって魔力の多さや一度に出せる魔力の量が分かる。まぁ、僕みたいな魔術師になるとその壷もひときわ大きく(以下略)」
壷の中にあるのが魔力と言われるもので、その壷の大きさや壷の口の大きさで出せる魔力の量が変わるのだろう。でもそうなら・・・・あの金色の礫達は何なんだろう。
てっきり魔力なのかと思ってたけど、魔力はその壷の中でしか生成されないみたいだし。
「魔法に必要なのは魔力だけなんですか?」
「良いところに気づいたねレディ!魔法に必要なのは魔力だけじゃない!魔力はいわば燃料なんだよ、その燃料を糧に現象を起こしているのが”精霊”さ!」
精霊?妖精みたいなものかな?金色の鱗粉を振りまきながら飛ぶ羽のついたものを想像したけれど、男に見せられた教科書のページに描かれていたのは随分違うものだった。
「今まで見えた人間はこの世界で初めて魔法を使った天才だけだと言われているよ。その人の書物から分かることと言えば精霊は大体このような形をしていて魔力を渡せば僕たちに力を貸してくれるということだけさ!理解できたかいレディ?」
小さな礫みたいなものがたくさん浮かんでいる様子が描かれたその図には、小さくキラキラと輝いていると書き足されていた。すごく、見覚えがあるなと思いました。
皆見えてないんだろうな、って思ってはいたけどね!そんな重要なものを見ているなんて思いもしなかったよ!ただ金色の礫を触ろうと手を伸ばせばいっつも避けられてたけど、意識あってのことだったんだ。
「まぁその天才曰く、夜空に精霊が舞う様子は形容しがたいぐらい美しいと書かれていたけれど、」
オズ兄さんが魔力ボードに乗った時に精霊が銀色に輝くのを見た事がある。
「君の美しさに比べればそんなものは取るに足らない!」
でも他の魔法を使ってる時は別の色だったし、もしかしたら使う魔法の属性とかが関係してるのかも。
「それでも君が精霊を見たいというのならこの僕と一緒に精霊を探す果てしない旅に———「先生」
何やら話していたようだけど、よく聞いてなかった。でも、今重要なことに気づいた。
「でもその話だと・・・私達は精霊が居なければ魔法を使えない事になりませんか?」
「レディ!そんなのは当たり前のことさ!それが魔法なのだから!」
魔法は精霊が起こしてくれる現象のひとつ。
”この世界”では、精霊が居ないと魔法が使えないのね。
小さく心の中で呟いた言葉に、違和感を覚えた。魔法の素晴らしさについて形容詞をひたすら付けて語る横の男を無視したまま考える。
この世界では、ってまるで元の世界で私は魔法を使えていたみたいな物言いだ。魔法なんてファンタジーは文字と絵だけの世界にしかないもので、何より私達の世界では科学が繁栄してる。
そのはずなのに、何故私は別の魔法を知っているかのような物言いをしたんだろう。
それはまるで、精霊を必要としない魔法が当たり前だと思っていたかのような言葉だった。私の元の居た世界には魔法なんてなかったのに。
『魔法に必要なのは魔力と詠唱と・・・・強いて言うならイメージ力だ』
その言葉は、誰の言葉?
『異世界の温泉もまた、日本のものと違う良さがあるな』
元居た世界でも、この世界でもないまた別の異世界でそう話していたのは誰?
思い出せない。青い目のあの子はちゃんと顔まで思い出せたのに、この人に関しては顔すら思い出せない。名前はおろか、性別も分からない。僅かに残る口調や声の記憶から、きっと男の人だと思うんだけど。
「そうだ!この後でも一緒にデートなんてどうだい?きっと今日は天気がいいから「先生、ごめんなさい。私体調が優れないようですから、帰らせて頂きますね?」
重たい教科書をもう一度持ち上げると、男の手をすり抜けて部屋を出た。思考があまりにもまとまらないため、少し1人になりたかった。
頭の中で誰かが言ってた言葉が蘇っている。でも、どうしてもその誰かを私は思い出せない。ただその人とは仲が良かったみたいで、いつも一緒で2人でいろんな場所に行ってたみたいだ。
「それほど仲が良いのに・・・・何で、私はこの人の顔を思い出せないんだろ・・・・・」
とてもよく知ってるはずなのに思い出せない。
「あなたは、誰・・・・?」
記憶の中で、その人の姿だけが霞む。これはおかしい。
「魔法使い、って・・・・誰のことなの?」
この世界では皆魔法を扱う人間のことを魔術師って呼ぶ。魔法使いなんて呼び名はない。でも、私は誰かのことをそう認識してた。この世界じゃなくて、別の世界の人だった気がする。
『今日は厨房のおっちゃんが餌をくれたんだぜ!』
『えーっ!いいなー!私も行けばよかったー!』
私は何故、鳥の言葉が分かるの?
「うるさいっ!!!」
ぱたぱた、と鳥達が羽ばたく音がした。ぜぇぜぇと荒い息のまま、うずくまる。思い出せない。こんなにも苦しいのに。思い出せない苦しさが胸の中で渦巻いて、どんどん身体が重くなっていく。
思い出せない事がいくつかあるのは分かってた。お医者さんからも記憶の混濁かもしれないって言われたし。オズ兄さんにもたまに戸惑った顔をさせてしまってたから。でも、この思い出しそうで思い出せない苦しさはちょっときつい。
「苦し、っ」
『やばかったらすぐ、俺の名前を呼べ』
名前を呼べ、って言われたってどうしようもないじゃない。あなたの名前がどうしても思い出せないのに。どうしたら良いの。どうすれば直ぐに傍に来てくれるの。
オズ兄さん以上に、ここまで人を求めたのはこの世界に来て初めてだった気がする。この人はそれほど私にとって大事な人だったのかな。
「きて、・・・よ!今すぐ助けに来てよっ!」
来れるもんなら、今直ぐ来てよ。
「はい、お助けしましょうか?」
皮肉のように叫んだ言葉に、誰かが手を差し伸べた。




