目が覚めて
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視点が途中で変わりますので、お気をつけください。
オズワルドside
俺の事を、オズ兄さんと呼んだ。
そりゃヒヨリのことをセルに重ねて見たことはあったし、実際妹のように思っている節もある。けれども本人から急に呼び名を変えられるっていうのは案外驚く。それにあんな状況下だ。見えていたセルが急に居なくなって、不自然な程フィンの容態が回復した。ヒヨリはまともな会話は出来ない状態でひたすらぼんやりとしているようだった。
それでもその体は重体といわれるには十分な血の量を失っていて、すぐに医師達がヒヨリを取り囲んだ。まぁ異世界から来た聖女様のご友人をおいそれと死なすわけにはいかないっていうわけだ。
それから黄の塔の魔術師までをも呼び出しての治療が始まった。もちろんそんな総出の治療でヒヨリが助からない訳もなく、陽が昇るころにはほぼ無傷の状態の体で部屋まで運ばれた。
そう、無傷の状態で。
ヒヨリがお腹に突き立てた剣で出来た傷も残らず消えた。あれは悪魔を呼び出すための魔法で、ヒヨリの行為は必要な代償だったのだろう。俺でもそんな存在がある、と聞いたことがあるだけで実際に確かめた事はない。そんなこの世界の魔法を何故ヒヨリが知っていたのか。
理由は分からないが、あの魔法が行使された後には血だらけのヒヨリと傷のなくなったフィンが残された。ただ、1人だけ。あの魔法の瞬間。ヒヨリが血の塊に包まれる寸前まで傍で泣き叫んでいたはずのセルだけが、居なくなった。そもそも、人間としてはもう居なかったのだから、俺が見えなくなっただけだというのも考えられる。
それでも、急に見えなくなったのだ。
あの時俺は、魔力を騎士達を追い払うためとフィンへの治癒術のためにほぼ使い果たしていた。体を動かす程の体力も残っておらず、今にも意識を失いそうな俺に見えたのはヒヨリの中から馬鹿みたいな魔力が吹き出ていた事と魔法陣が怪しげに光っていたことだけ。
止めることもできず、魔法陣の傍で這いつくばっていた俺の前でセルは微笑んでいた。覚悟を決めたように、涙を拭って笑ってみせた。
透明な壁に手をついて自分と同じ青い瞳が笑う。その口元は動いていたけれど、透明な壁を超えてこれなかった音達は俺には届かなかった。
『セル・・・・?今、なんて』
聞き返す間もセルは俺に与えてくれず、ただ一度だけフィーの傍に跪くとその額に唇を落として立ち上がった。睨みつけた先に居たのはあの真っ赤な球体。ヒヨリを飲み込んだ悪魔。
ずぶり、とセルは両腕をそれに突っ込んだ。それから何度も何度も、叫んでいた。その顔は絶対に諦めない、と固めた決意が浮かぶ。俺はただ、それを見ていた。
セルの口元がふと動かなくなった時、両腕を引き抜いた彼女はもう一度俺に振り返って笑いかけた。
健康だった時の姿で、悪戯が成功した子供みたいに。別れを惜しむ1人の女性のように。せつなさを含んだその笑みを浮かべた。
『セル———』
振り返った妹に何も言葉をかけぬまま、セルは赤い球体に。そう、赤黒さがより一層増していたそれに。ぱくり、とまるで食べられるみたいに呑み込まれて行った。
何の言葉も出ない。声も、出せない。
ただセルが呑み込まれた少し後に、球体が突然弾けた。辺りに血をまき散らしながら、魔法陣の中央からヒヨリが現れる。
セルは、居なかった。
ぼんやり、とどこかを見つめる瞳には誰も映していない。ただ、ここではないどこかを見つめている。
『すぐさま医師達を呼べ!!』
王子の声でようやく我に返って、血溜まりの中で座り込むヒヨリの傍までどうにか駆け寄った。嫌な血の匂いが立ちこめる中、ローブに血を吸って重くなる。名前を呼んでも呆然としたままで、呆然と俺のローブに血が滲むのを見つめていた。
「俺が分かるか・・・?」
両肩をしっかりと掴んで揺さぶれば、ヒヨリはようやくこちらを向いた。それでもすぐには名前が出てこないらしく、少し眉をしかめて考え込んでいた。そうして、ぽつりと呟くように俺を呼ぶ。
『・・・・おず、兄さん』
『は?』
『オズ兄様』
セルにそっくりなその呼び方に思わず戸惑った。
『一体どうしたんだ!?』
明らかにおかしい。特に見た目に変化はないから、何か体の部位を代償にしたわけではないだろう。だったら、ヒヨリは何を差し出したんだ?体でもない・・・まさか、寿命?でも、寿命を代償にしただけで記憶の混濁がここまで酷くなるものなのか?
『・・・セルにね、お願いされたもの・・・・・。オズ兄さんの妹になって、って、1人にしないで、って・・・セルはオズ兄さんの妹で、私もオズ兄さんの妹で、あれ?何か、違うかもしれない・・・・』
力なく首を横に振る様子から、自分でも混乱しているようだった。酷く疲れたその様子では自分もことも思い出せないようで、考えながらもその瞳は不安げに揺れていた。
唐突に思い出したのは、音のないセルの最後の言葉。俺に伝えようとしてくれた最後の言葉。
『 あ と は ま か せ ま す 』
そんな別れの言葉。セルが俺に残した最後の言葉。俺の目の前でうろたえているこの少女を、騎士達に運ばれていく俺の親友を。任せる、とだけ残して行ってセルは消えて行った。
『・・・・あぁ、そうだな。俺はお前の兄だった』
気づけば、そう呟いていた。セルには全く似ていない。この髪も瞳も。それでも、俺の大事な妹から任されたのだ、大切にしなければならないと思った。そう言ってヒヨリの頭を撫でれば、安心したように肩から力が抜けた。
それからは冒頭に戻り今に至るわけだが。
現在、ヒヨリは目を覚まし普通に生活できる状態になっている。体の状態は問題なし。ここの場所も、来た理由も覚えている。
けれども、記憶にはいくつかのおかしい点があった。
「オズワルドだ」
目の前の扉をノックすれば、中からヒヨリの侍女が扉を開けてくれる。心なしか、戸惑った顔をして。何かあったのかと問いかける間もなく、扉が勢いよく全開になった。
「オズ兄さんっ!いらっしゃい!」
ヒヨリの記憶に対するおかしな点のひとつ目がこれだ。
なぜだか、俺を兄だと思い込んでいること。最初は記憶の混濁かと思われたが一向に改善される気配はない。俺が訪れれば嬉しそうに満面の笑みで迎えてくれる。
異世界から来たヒヨリが俺の妹なわけがないし、自分の家名から考えてもありえない。だがそれを指摘された途端、ヒヨリは酷い頭痛を起こして倒れた。それ以来医者からもそのことに対する追求は避けられている。
「体調はどうだ?」
「全然大丈夫だよ。元々体は頑丈だしね」
そう言いながらソファで俺の隣に腰掛けると、侍女が淹れてくれたお茶について嬉しそうに話す。
「ヒヨリ様、」
侍女がお茶を零しそうなぐらいに興奮していたヒヨリを嗜めるように声を掛けると、途端にヒヨリはおとなしくなる。
「ステラ、ごめんなさい・・・もう零さないようにするね」
ふたつ目に、この侍女の言うことだけ絶対に聞く。俺のことを兄として認識しておきながら、ヒヨリは俺のいうことを聞かない。それでも、俺と同じ事を侍女が言えばすんなりと頷くのだ。
一度だけ、自分に暗示を掛けるみたいにヒヨリは呟いていた。
『侍女の言う事はね、ちゃんと聞かなくちゃいけないんだ。それに私は女だから。女らしくするの。無茶して暴れ回ったりしては駄目なの』
まるで誰かに言われたことを、必死に守ろうとしているみたいだった。
「オズ兄さん、話聞いてる?」
「・・・あ、悪い。えっと・・・」
全く聞いていなかった。不覚。少し拗ねたようにヒヨリがむくれていた。これは機嫌を損ねたな。
ちゃんと聞いておくべきだった、と後悔する俺に扉をノックする音が届いた。
「開けないで!!!」
最後のみっつ目に、ヒヨリはこの世界の俺や侍女達を含む少数の人間以外を酷く警戒するようになった。
「ご、ごめんなさいオズ兄さん、急に大きな声を出して」
謝りながらもその手は小さく震えている。もし入ってくるのが外部の人間だったら、と本気で恐れているのだ。
「酷いのぅ、扉も開けてくれぬとは」
「・・・・なーんだ、フィーか」
ヒヨリが力の抜けた声で迎えたのは、あれから奇跡的に助かったフィン。気づけば目の前のソファまで転移して侍女にお茶を要求している。相変わらずの図太さだ。
「オズワルド、お前も妹の面倒大変そうじゃな。どうだヒヨリ。我の妹になってもいいぞ?我もちょうど子分が欲しかったからな!」
「嫌だ。フィーの妹とか、一番嫌」
「・・・・もう少し取り繕わんか。我は今心が折れかけたぞ」
わざとらしく胸を抑えるフィンにヒヨリが知らん顔をする。あれから王子がフィンの無実を証言し、それが正式な儀式で嘘ではないと認められた。フィンは最高位の1人でもあったわけだし、失うと少なくない打撃を受けるこの国はフィンを許しおとがめなしとなっている。
「あ、そうだっオズ兄さん!おいしいお菓子があるんだよっ!一緒に食べよう!」
ヒヨリはそう言いながらいきおいよく立ち上がった。
その胸元で、つり下げられた小さな巾着が揺れた。
白い巾着は侍女お手製らしく、ヒヨリはそれに真っ青な石を大切にしまって肌身離さず身につけていた。その石が何なのか本人にもよく分かっていないらしいが、一度他の侍女が着替えの際にとりあげようとして酷く暴れたことがあった。それから、余計に外部の人間も警戒しているようだ。
「オズワルド・・・・大丈夫か?」
「俺は全然大丈夫だ。ただ・・・・、ヒヨリは」
まだ、記憶を混濁させたまま。
「そのようだな。まぁ、俺は大丈夫だ。傷も生活も。お前達のおかげで今までどおり過ごせるようになった」
”俺”と真剣な話をする時の口調で告げるフィンに少し安心した。事が終わった直後、フィンは目を覚ませばすぐに暴れ回っていた。
俺を裁けと。殺せと。病室内で喚き魔法を放とうとし、慌てて結界で押さえつけた。
心の底から悲しそうに、セルによって取り戻した記憶を持て余していたフィンに声を掛けたのはヒヨリだった。
『私、誰かにフィーに伝えるように言われたの。女の子で、私と同い年くらい』
『城の人間か?』
『たぶん、違うんじゃないかな。綺麗な金髪でね、オズ兄さんにそっくりな青い目を持った子だった』
俺によく似た青い目。女の子。
それに当てはまる少女を、俺は1人しか知らない。
『消えちゃう前に、「あなたが好きです」って』
その言葉を伝えた途端、フィンは崩れ落ちて涙で顔をぐしゃぐしゃにしていた。
『私、あの子の事知ってるはずなのに、よく・・・思い出せなくて、でもすごく悲しくて。今分かるのは、あの子が、名前も分からないあの女の子が、私を助けてくれたんだってことだけなの』
そう言った後、フィンと子供みたいにヒヨリは泣きじゃくっていた。しばらくはその場の収拾もつかなかった程に。
泣き止んでからすっきりしたように、大人しくなったフィンにヒヨリはずっと付き添っていた。そして名前も覚えていないらしい女の子の話を聞かせていた。自分の、親友なのだと。
暖かいまなざしをヒヨリに向けるようになったフィーに、ぼそりと呟いた。
「俺の妹だからって、手ぇ出すなよ?」
「愚問だな。俺はセル一筋だ」
あっけらかんと真顔で言ってみせた親友が少しだけ気持ち悪いと思ってしまった。
*
陽依side
何て名前だったか思い出せないけど、こないだ偉い貴族の人がお菓子をくれた。私が怪我を負ったという話は広まっているみたいで、お見舞いの品がたくさん届いる。
甘いお菓子。花束。美味しい紅茶。
どれにも私は目を輝かせたけど、私はこれをくれた人達には会っていない。
否。会えなかった。
目が覚めた時にまず感じたのは、恐怖だった。
ここが異世界であることも、何のために呼ばれたのかも、元の世界に戻れない事も。全て私は知っていて、心の整理を一度つけたはずだった。なのに、急にこの世界を恐ろしく感じたのだ。お見舞いに来てくれた優希ちゃんにあった時なんて、思わずほっとして泣き出してしまった。
今まであった支えを急に奪い取られたみたいに、おぼつかない足下に私は不安を感じる。何を奪われてしまったのか、私にはよく分からないけれど。
それからは、元々記憶にあった人達以外に会うのが特に怖くなってしまった。申し訳ないけれど、顔を会わせるのにも震えが走る。
「オズ兄さんは、確か甘いもの好きだったよね?」
「そうですわね、この間も一緒にケーキを召し上がってらっしゃいましたものね」
ケーキを用意する私にステラがあきれたような顔をしている。こういうのは侍女の仕事だから、って怒られてしまうかも、って思ったけど。最近のステラは私になんだか甘い。勝手に出掛けたりしなくなったからかな?
オズ兄さんは、甘いものが好き。
オズ兄さん、と呟く度にあった違和感は目が覚めてから、少しずつ薄れてきていた。オズ兄さんはオズ兄さん。私の中で何とも言えない謎理論が成立して、私は勝手にそれに納得してきた。疑おうなんて思った事もない。
「お待たせ。しょうがないから、フィーのも持って来てあげた!」
「可愛くないのぅ」
ステラが切り分けてくれたケーキをオズ兄さんに渡せば、笑ってお礼を言ってくれる。そしてしばらく3人で談笑しながら、くだらないことをあーだこーだと言い合う。
「そういえば、ヒヨリはこの後どうするんだ?」
そんな会話の中で、ふとオズ兄さんに問いかけられた。
それは、前から聞かれていたことで。それは、私が悩んでいたこと。
この後っていうのはもちろん午後の予定とかじゃなくて、長い目で見た今後の話の事。この城で何がしたいのか。他の皆は趣味を思うように満喫しているみたいだけど、私はそうはいかない。
だって、知っているから。
元の世界に帰れないという事実を。
元の世界に帰る方法を探したいのが本音。けれども、そんな秘密をこの城の中で言って歩くわけにはいかない。ならば、どうすればいいのか。
自分で探すしかないじゃないか。
「私ね、やりたいことがあるの」
「決まったのか?」
「魔法を、学びたい」
私はまだ、帰ることを諦めていない。




