作戦失敗
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煙の匂いが鼻につく。
体が軽く宙を舞う。
後から襲う衝撃。
それから私を守る温もり。
一瞬のうちに事態は一変した。気づけば私はホールの床の冷たさを味わっていたし、多すぎる情報量を処理しきれずにパニックになりかけていた。なにこれ。辺りは煙に包まれていて何も見えないけど、私を包み込む確かな温もりが伝わってくる。重たい体を無理矢理持ち上げれば視界が開けて、黒いローブが私の視界に飛び込んだ。
真っ白な髪の毛が、煤で少しだけ黒くなってしまっている。
「・・・お、ず、・・わる、どさん・・?」
声は返ってこない。手が震えだす。
やだ、ねぇ、
なんで、私なんかを庇ったんですか?
オズワルドさんの後ろから炎が飛び込んできたのはかろうじて見えた。それはまるでアデレイドの火球のようで、当たれば即死なのは目に見えていた。それでもオズワルドさんは私を抱き込んで、その背中に火球を受けて吹っ飛んだ。5メートルは吹っ飛んだ。私でさえその熱を感じたのに。そんなの、無事でいられるわけない。
「どうしよ、どうしたら、」
影が私の感情に呼応して揺れる。怒り悲しみ悔しさ不安。ゆらゆらと私の中で揺れ始める。
何がエリオスの力だ。何が、霊送りだ。大切な人が守れなきゃ、そんなの何も意味なんてないじゃない。声が出なくて、喉から引きつったような痛みが走る。
気づけば黒い煙が辺りに充満していて、ホールのあちこちで炎が立ち上っていた。
『ヒヨリ!とにかくここから逃げてください!』
現状はセルも理解出来ていないみたいだけれど、私より幾分か冷静なのは確かだ。セルの声に突き動かされるように立ち上がった。
「う、うん」
煙が辺りに溢れて私達の姿を隠しているのをいいことに、私はドレスの裾を僅かに持ち上げてスカートを揺らした。オズワルドさん、すぐに手当するからそれまで待っててください。
水の中にゆっくり沈むみたいに、オズワルドさんが私の影の中に沈んで行った。そこから感じる微かな息づかいに彼が生きているのを実感した。
「一体どうなってるの!?」
『私にもよく分かりません・・・ただ、誰かがホールの中で遠距離攻撃型の魔法を放ったのは見えたのですが』
遠距離攻撃型?あの火球みたいなもののことだろうか。
『こちらへ飛んできたのはその中の一つに過ぎません。被害は中々甚大なようで、騎士達がホールの中へ救助へ入ってきました』
「そう。じゃあ私は出口に向かって逃げればいいのね?」
『いえ、出口の方向には先ほどの魔術師が居る可能性が高いですわ。先ほどそのあたりから魔法が放たれましたから。ここはいったんテラス辺りまで非難するのが妥当・・・・・ヒヨリ!前ですわ!!』
目の前で漂う黒煙に混じっていた金色の礫達が少しだけ騒がしくなったのを感じた。ほぼ反射だったけれど、勢い良く右手を横に翳すようにして影で簡易的な防御シールドを張る。私に出来る咄嗟の防御だ。
けれどもその直後鎌鼬のような風の魔法が私達に襲いかかってくる。
数から見てすぐに私の簡易的なシールドでは突破されることを悟った。私が今ここで倒れてしまえば、私の影の中にいるオズワルドさんまでもが危なくなってしまう。それだけは何としても避けなければならない。
すぐにシールドを維持したまま体を動かせる体勢に移す。そのまま影のシールドが弾け飛ぶのを目で確認して、シールドを突き破ってきた魔法を横っ飛びに躱す。
床をごろごろと転がって受け身をとりながらすぐに体を起き上がらせる。擦り傷が出来たけれど、動けない程の傷ではない。どこかへ逃げる前に敵の正体を把握しようとして、私は影をいつでも引っ張りだせる位置に手を置いたまま前を見据えた。
目の前で立ち上っていた煙はすっかり晴れている。きっとさっきの魔法のせいだ。
でも。だからこそはっきり見えてしまった。
否定したかった事実を。信じたくなかった現実を。
目の前で迷いのない足取りでカツンカツンと靴を鳴らしながら、彼はこちらに向かって歩いてくる。その目はどこか虚ろで、意識を失ったステラを思い出させる。
絶対に仲間に手をかけるようなことはしたくなくて、だからこそ霊送りだって頑張って、成功させたって、そう思ってたのに。成功したと思ったのはただの私の勘違いだったの?
私の目の前に現れたフィーが、うすらと笑みを浮かべた。
「フィーっ、」
名前を呼んだのとほぼ同時に、大きな地鳴りが響きだす。そして次の瞬間には木の根っこがホールの床をぶちぬいてきた。目の前に居るフィーに気をとられて危ないところだったけれど、金色の礫達が地面で吹き荒れているのに気づいてほんの一瞬の差でその場から離れていた。
『ヒヨリ!!』
ただでさえ青白いセルの顔が、さらに蒼白になる。大丈夫ってすぐに言えればよかったけれど、あそこに居たら私木の根っこに串刺しにされてたかもしれないという想像すらしたくない未来に、私の口からは悲鳴すら出なかった。
「セル!安全な道を上から教えて!!」
今にも泣き出しそうなくらいにこちらを心配するセルに向かって指示を出す。一刻も早く脱出しなくちゃいけない。フィーのことも助けにいきたいけれど、それにはまずオズワルドさんが気がかりだ。セルの教えてくれる方へ走り出す。
フィーが直接私達に攻撃するところを見てしまったのが余程ショックだったのだろうか。セルの声は心なしか震えている気がした。私だって、ショックじゃなかったわけじゃない。それでも、想定していなかったわけではない。まぁ、これは最悪の状況というやつなのだけど。
「こっちだ!」
悔しさに歯を食いしばった時、誰かが私の手を引っ張った。
視界の悪い中まるでその道が分かっているかのように、迷うことなく走る。セルが後ろからついて来ているのをかろうじて確認してから後はひたすら、縺れそうになる足を必死に動かした。走っている途中にその人の正体に気づいたけれど、土煙を吸い込んだせいで喉が痛くて声が上手く出ない。
ホールの壁が目の前に見えた辺りで、自分がホールの隅に移動した事に気づいた。そこまで来るとその人は私を振り返って心配そうな顔をした。
「ヒヨリ、怪我は?」
振り返った王子はさすがというべきか。軍隊に入隊していた時期があると豪語していただけはあるようだ。あれだけ走ったというのに呼吸を少しも乱さず余裕な顔。少しむかつく。
私はというと新鮮な空気がやっと肺に供給されて、心臓がばくばくと音をたてて余裕な顔なんてとてもじゃないけど無理だった。息の荒い私を気遣うように、王子が私の背中をさすった。
「わた、わたしのことよりっ王子は何で1人なんですか!?護衛の騎士達は!?」
「一度外へ避難したんだが、ヒヨリが居ないのに気づいてな。戻ってきてみれば魔法が飛び交う中にいるのだから全く心臓が止まるかと思ったぞ」
戻って来たって・・・馬鹿なのか、この人。
「まぁ無事でよかった。救出されてきたご令嬢の中にヒヨリが居ないのを確認したときは生きた心地がしなかったが・・・・怪我はないんだよな?」
「えぇ、まぁ・・・魔法を避けた時に擦り傷が出来たくらいで、私は別に大丈夫です・・・でも、オズワルドさんが大怪我をしてしまって、わた、私が、攻撃に気づかなくて、それで、今も意識が戻んなくて」
途端に倒れたまま動かなくなったオズワルドさんを思い出して血の気が引いた。こんなところに避難している場合じゃない。一刻も早くオズワルドさんを誰か治癒術が使える人のところに連れて行かなきゃ。
「オズワルドが・・・?しかし今ここから動くのは危険だぞ。俺がここへ入った後に出入り口の方へ魔法が放たれて塞がれたしな。テラスの近くでは戦闘が勃発していたからすぐにここから脱出するのは難しい」
「そういうことは早く言ってください!!どうしよ、フィーのこともあるし、オズワルドさんも速く治療を、」
「フィー・・・とは、今暴れているフィン=アロン=エルラードのことか?まさかヒヨリ。あやつが暴れている理由が分かるのかっ?」
「え、いや、」
魔の誘発で暴れてるなんてとてもじゃないけど言えない。ここはフィーは別の人だってごまかしてこの場を切り抜けなきゃ。
『魔の誘発ですわ』
はた、と私が一番隠したかった事実を告げた少女が居た。一瞬何を言われたのか分からなくて本気で固まった。待って。何で。それを言ってしまえばフィーは。
『ごきげんよう、王子様。私は彼に殺されてしまった哀れな幽霊ですわ』
「お前は・・・確かこないだヒヨリを追いかけ回していた・・・?」
『えぇ、その節はご迷惑をおかけいたしました。久しぶりに人と口をきけたので、少し嬉しかったのですわ』
王子には、セルが見えてる。王子にはセルの言葉が分かる。
「ち、違います!!フィーがセルを殺したんじゃないっ!」
『あら、ヒヨリ何を言っているの?あなたは私に変わってあの男を殺すと約束してくれたじゃない』
「え・・・?」
何でもないことのようにセルが私に告げた。その目は真剣で、逆らうなと私を脅しているようだった。確かにそう最初は約束したけれど、今のセルの願いはオズワルドさんとフィーを幸せにすることだったはず。何故急にそんなことを言い出すのか理解できずに、私もセルを見つめ返した。
『王子、お願いです。ヒヨリをここから連れ出してください。安全な場所へ、どうか。あの男に殺されてしまう前に』
「もとよりそのつもりだが・・・お前は仇をうてなくてもいいのか?」
『私もとより普通の幽霊ではないんですのよ?兵士の誰かにでも取り付いて自分で想いを果たしてやりますわ』
セルの声が、偽りのフィーを紡いで行く。何故。どうして。全く違うシナリオが、全く違う道を通って完結へと向かって行く。脱出経路に良い道をセルが王子に説明しているのを、私はまるで蚊帳の外に居るみたいに見てた。
セルが、フィーを殺す。
あんなにも、愛おしいと想う人を彼女は殺せるのだろうか?
まるで私は蚊帳の外。淡々とフィーを殺すためだけに成仏できずに居た哀れな少女の話が綴られて行く。
禁術の生贄にされた可哀想な子で、それをセルはずっと恨んでて。そんな悲劇がセルの口から紡がれた。
私が記憶を覗いた時に見えたセルは、フィーのことをちっとも恨んじゃいなかった。少しずつ一緒に居る時間が増えれば増える程、オズワルドさんを慕うのとはまた別の気持ちがセルの中に増えていった。
オズワルドさんだけで構成されていた小さなセルの世界に、明かりを持ち込んだのはフィーだった。明るく照らすだけ照らして、惚れるななんて無理な話だったのだろう。
『ヒヨリ、今まで本当にありがとう。短い間だけれどとても楽しかったわ・・・・・・さようなら』
そういってセルが私の体に腕を回した。体温も何もないその体が私に重なった瞬間、一瞬だけ泣きたくなった。愛おしくて、恋しくて、殺したくなくて、悲しくて。そんな気持ちが胸の中を占めて、泣きたくなった。
けれども自分以外の誰かに殺されてしまうのであれば、いっそのこと自分が手を下してしまった方がいいのかもしれない。そうセルの中では結論づけられていた。
恋なんてしたことないから、好きな人を思う気持ちっていうのはいまいち分からないから。だからセルがそういう結論に至った事を私がどうこう言えたわけじゃないのは分かってるけど。
それでも、フィーを愛おしいと思う気持ちがこんなに溢れてるのに、どうしてこんな悲しいことをしなくちゃいけないのかなって。どうしてもそう思ってしまうんだ。
でもフィーをひたすら愛おしいと思う気持ちの中に、私のことを心の底から心配してくれているセルを見つけてしまえば、どうにも言葉が見つからなくなって何も言えなくなった。
私に囁くように。諭すように。セルは耳元で言った。
『力を使わずここを抜け出すの・・・そうすればヒヨリは生き延びれる。』
「セル、私、」
『あなたの力は、決して明かしてはいけないの』
「ねぇ、私の話を、」
『私は・・・・、ヒヨリのことが大好きよ』
何でそんなお別れ前の話みたいなのするの。私だって大好きだよ。私の初めての親友だよ。
『”さようなら”』
けれども何かの魔法が込められた言葉が、私の思考を奪った。
魔法が私の中にじわりじわりと入り込んで来たのを感じる。あぁ、これは何の魔法なんだろう。
だんだんと考えるのも億劫になってしまって結局放棄してしまう。気持ち悪さが競り上がってきて、慌てて口を押さえた。
けれどもそれもほんの少しの間の事だった。気づけば気分がいくらかすっきりしている。
何を考えていたのかはよく思い出せないけれど、きっと大したことではないはず。
それよりも
目の前で泣きそうな顔をした、青い瞳を持った女の子は誰だっただろうか?




