セルフィ=ライリー=ウォーベック Ⅱ
いつも読んでくださる読者様、本当にありがとうございます!
体中が燃えてるみたいだった。苦しい。誰か助けて。
カラカラに乾いた喉から、声にならない音だけが漏れていった。
容態が急変した。
オズ兄様に婚約のことについてフィーと一緒に謝って、それで万事解決となった。ご令嬢ともオズ兄様は顔合わせをしたらしく、とても活発な方だと苦笑いしていた。会ってみたいな、と興味が湧いてそのご令嬢について色んなことを聞いた。
でも、つい昨日突然。フィーがいつものようにふらっと別荘を訪れて、3人でお茶会をしていた最中。体が急激に重くなって意識がシャットダウンした。目を覚ませばベッドの上で、眉間に皺を深く刻んだお医者様と目が合った。彼は少しだけ私を哀れむような目で見て、深いため息を着いた。
「今夜が、山になるでしょう。」
熱に浮かされた頭で、「ふざけるな。」とお医者様に掴みかかったオズ兄様の言葉を理解しようとした。つまり、それって。
私が今夜死んでしまうかもしれない、ということ?
今までになく怖い形相をしていたオズ兄様を、フィーが必死に宥めて。私の頭を「心配するな。」と言って撫でてくれた。あまりの体温の高さに、一瞬顔をゆがめていたけれど。
安らかに死ねるんじゃなかったのか。と半ば期待はずれの最期に少しだけ庭師の彼を思い出した。幸福な魔法、そんなの結局なかったのかもしれない。
それから熱は下がらなかった。そんな中、唐突に事件が起きた。
「彼女が、・・・・神殿に攫われた、だと・・・・?」
活発な方だと話を聞いていた例のご令嬢が、神殿に掻っ攫われたらしい。神殿は治癒術を使えるものに関しては、どんな手を使ってでも奪いとってくる。だからこそオズ兄様も婚約を早めていたというのに、あと一歩というところで。しかも、こんな最悪なタイミングで。
私の命は、もう尽きたも同然だった。
「セル、諦めるな。俺が何とか、何とか彼女を取り戻してくるから。だからもう少し頑張れ。」
それだけ言い残して、オズ兄様は別荘から駆け出して行った。そうして、別荘には私とフィーだけが残された。フィーだって自分の用事があるはずなのに、ずっと私の傍に居てくれた。いつもの軽口を叩きながら、私にはいっぱい貸しがあるんだから、簡単に死ぬことなんて許さない。と半ば脅しをかけるような勢いだった。
それでも段々と遠くなっていく意識と、暗くなっていく窓の外。
オズ兄様はまだ帰ってこない。フィーの顔色が焦りに染まっていくのが分かった。私の熱すぎる手を握ったままフィーは何も言わなくなった。あの軽口も、必死に私を励ましていた言葉も、全部言わなくなってしまった。
「セル、」
ふと、すっかり暗くなった窓を見つめていた私に、フィーが口を開いた。それは大体3時間ぶりとか、2時間ぶりとか。とにかく久しぶりな感じがして、もしかしたらこれが最期になるかもしれないのだから、と思いつつ私はフィーに返事をした。
「ど・・、した、の?」
「ずっと、ずっと考えていたことがあったんだ。」
その言葉遣いは、年相応の少年のようだった。いつもみたいな、少し年寄り臭いというか見た目に似つかわしくない言葉遣いではなく、僅かに声を震わせ不安を滲ませたものだった。
フィーの言葉遣いは魔法の特訓として常に年寄りに囲まれているせいで移ったのだと、本人に聞いた。けれども、その年寄りというのは国の有名な、ある意味仙人のような神々しい人たちばかりで、それを聞いてやはりフィーは天才と呼ばれるに相応しい人間なのだと思った。
ふわふわと思考があちこちに飛び回る。そんな私を気にした様子もなくフィーは続けた。
「俺の未熟な能力じゃ不可能な可能性の方が圧倒的に高いけど、でもこれが成功すればセルはもう苦しまなくて良いんだ。だから、セル、頼みがあるんだ。」
フィーの言っていることはよく分からなかったけれど、すごく私のことを考えてくれているのは分かった。フィーは私が嫌がることはしない。フィーは私とオズ兄様の信頼の置ける人物。
だからこそ、私は頷くんだ。
「フィーの頼み、だったら、きくよ。」
今まで、たくさん迷惑かけたんだから。なんだってきいてあげるよ。私の言葉にフィーが顔を綻ばせ、私の体を両手で抱き上げて引き寄せた。
「セル、頼むから。一緒にこの屋敷を抜け出そう。」
一瞬、フィーが何を言ったのか分からなかった。けれども、気づけば私を抱き上げた両腕に力が篭って、部屋に大きな魔方陣が展開されていた。青々と光り輝くそれはフィーと私を中心に広がると、一瞬だけ強く光った。私達しか部屋には居なかったため、誰も私達を止める者はおらず、静かにその魔法は輝いた。
「とっておきの魔法があるんだ。」
私を抱き上げたまま、フィーは歩き始めた。気づけばそこは私がいつも居た部屋じゃなかった。最早屋敷の中でもない。ぽつぽつと人々が歩く姿が見え、微かに潮の匂いがした。海が近いのだと悟った。
「年寄り達には禁術だって言われたが、このままセルを放っておくことなんてできない。それなら、俺は俺の全力をかけてセルを救ってやる。」
半ばやけくそなフィーの言葉に、私は目を見開いた。この人はこんなにも冷静さを欠く人じゃなかったはずだ。いつも飄々として、1人だけ何があっても焦らない。動揺しない。それは子供が持つには早すぎるもので、それは大人に囲まれなければ身につかないものだった。
「ふぃー・・・?」
「セルを、死なせたくない。」
今にも泣き出してしまいそうなくらいに顔をゆがめて、フィーはそう訴えた、
「最初は、なんてひ弱な女なんだって思った。オズワルドの妹とはいえ、他人に頼りっぱなしで我侭ほうだいのご令嬢なんて、関わるのだってごめんだって思ってて。でも、目で追ってるうちに頭から離れなくなって、街に居ても今何してるんだろう、とか。魔法も手につかなくて、ただひたすら気になったんだ。」
ほとんど息継ぎしてないんじゃないかってぐらいに勢い。フィーがそれを切羽詰ったような声で言い切るから、私だって少し不安になった。
そんな私を余所に、フィーは1人で勝手に言い切った。
「まだ、・・・・一緒に居たいんだ。」
薄れゆく意識の中、そう言い切ったフィーの言葉だけが耳に届いた。その言葉は本当に切実で、今すぐに私だって言葉を返してあげたかった。
『私も、まだ一緒に居たいよ。』
そう思ったけれど、ついにその言葉は伝えられることはなかった。不安定な意識は重みに従って、シャットダウンした。
*
夢を見た。
まだ、私の体がそれ程病に蝕まれていない頃。ベッドの上だけの生活を送っていなかった頃の、とても懐かしい記憶だった。
オズ兄様とフィーに両側から手を引っ張られて、町へと連れ出された。大人達の言葉も、自分の縛りも。全部がまるでないみたいに、外の世界は自由だった。明るい日差しは少しだけ私には痛くて、大好きな人達と送る特別な時間は胸が弾けそうになるくらい楽しくて。何より2人の浮かべる笑顔が嬉しくて。世界が、キラキラしてた。
あの日の私は、とても幸せそうだったんだ。
だからもう一度、望めるのなら。私は私が死ぬことにもう抗ったりしない。いつか訪れる別れに抵抗なんてしない。だからどうか。残された2人から笑顔を奪わないで。私が死ぬことを、彼等の枷になんてしたくない。
死にたくなんてない。けれど、大好きな人達が暗い顔で生きていくのは、私にとって死ぬよりも辛いこと。
ねぇ、オズ兄様。フィー。どうか私のささやかな願いを、聞き届けてくださいませ。
*
意識が、水の中に沈んでいた泡みたいにぶくぶくと浮上した。泡が弾けたみたいに唐突に目が覚めて、少しぼやけた視界が開けた。
ここは、どこだっけ。私はベッドの上に居たはずなのに。あぁ、フィーがここに連れてきてくれたんだ。それが、フィーのお願いで。だから私はそれを聞いて。あれ、そういえばフィーはどこだっけ。一緒に居たのに、いつ離れてしまったんだろう。
1人で自問自答を繰り返して、自分が今居る場所を確認した。冷たい石畳の上に、私は寝かせられていた。ひんやりとした感覚に今の今まで気づかなかったのは、恐らく私がフィーのコートで包まれていたからであろう。何度か見たことのあるその上着は私への石畳の冷たさを遮断していた。
けれども、その上着を貸してくれたであろう本人は私の視界の中には居ない。ふと顔を上げれば見えるのは空じゃなくて、薄暗い天井だった。壁の高い所には小さな小窓が付いており、そこから真っ赤な満月が覗く。
ここは、一体どこだろう。
そんなこと、外へあまり出たことの無い私が分かるわけもないのだけれど。
起き上がろうと少し体を動かすと、頭に痛みが走る。ぼーっとする。やっぱり熱はまだ下がっていなかった。少しでも下げてしまおうと冷たい石畳に頭をくっつける。ひんやりとしたその感覚に、ちょっと気分が良くなった。
ぺちゃ。と、ふいに音が聞こえた。暗い視界の中ではあまりよく分からなかったのだけど、石畳の上がどうやら濡れていたらしい。
その異様さに気づいたのは、おでこを掌で撫でてからだった。
それは、私の掌の上でたちまち乾いて硬くなった。けれども、確かにその匂いが嗅いだことのあるもの。
「・・・・これ、血・・・ですわ。」
どこかのサスペンスの物語でも始まりそうな展開だ。けれども、私の心の中を途端に渦巻きはじめたのは不安だ。
ここに、人は居ないように思える。けれども私に上着を掛けてくれた彼はどこに行ったの?暗闇に慣れてきた視界で辺りを見渡せば、そこにはべっとりとした血が辺りに魔方陣を描くようにして広がっていた。嫌な予感が、的中した。
「い、や・・・・・!ふぃーっ!フィーっ「目、覚めたんだね?」
暗がりから、フィーが姿を現した。嫌な予感の通り、顔色が凄く悪い。この血は、きっとフィーの血なんだね。なんで、なんでと首を振った。
随分機嫌の良さそうなフィーは私の元まで歩いてくると、しゃがみこんでから目の高さをあわせた。右手に傷を負っているのか、利き手でないほうの左手で私の頬に触れた。
「泣かないで。」
違う。泣いてるのはあなたでしょう。
「これが成功したら、君はもっと長く生きられるんだ。禁術を使ってしまうことになるけど、構わないよ。これが俺の願いだから。」
あぁ。どうしてこんな最後になって優しくするの。そんなの、ずるいよ。私は2人に笑っていて欲しいだけなのに。それを叶えてよ。「心配しないで。」ってそう言って私を安心させてよ。
まだ、生きたいと願ってしまいそうになる私に、どうしろって言うの。
首をひたすら横に振る私に、フィーは不思議そうに首をかしげた。
「・・・・セルは、死にたいのか?」
また、首を横に振った。違う。違うよ。声が、もう出ない。肺が苦しくなってきた。
最後の力を振り絞って、フィーに縋りついた。届け。届け。と願った。
こんなになってまで、私を助けようとしてくれてありがとう。
これが、私の最期だ。
「・・・・て。」
「え?」
フィーの体に縋りついたまま吐き出した言葉は、やっぱり声にならなかった。フィーは聞き取れずに首を傾げていたけれど、私に言いなおす程の力も無い。
ねぇ、フィー。
『”笑っ”て』
私はあなたの笑顔が好きだから。それが私の最期の願いだから。
遠のきかけた意識を察したのか、フィーが私の体を揺すった。
「セルっ!意識を保て!俺はまだ伝えなきゃいけないんだ!」
視界が曇っていく。
「嫌だ!ダメだ!そんなの許さない!!まだ一緒に居たいんだ!」
それは、我侭な子供の喚き声。
途端に、静かになってから押し殺すような声で、フィーは私に告げた。
「誰よりも大切にしたいんだ。」
半分諦めの滲んだような顔で、微かに微笑みすら浮かべてみせる。でも、違うよ。そんな後悔の滲んだ声で言わないで。
誰よりも大切にしてくれたでしょう。忙しいのに、たくさん会いに来てくれた。魔法を見せて私を楽しませてくれた。それがどれだけ私を救ってくれたか、フィーはきっと気づいてないんだ。
天才なのに、馬鹿な人。
そんな想いを込めて微笑むと、フィーも笑みを返してくれた。
想いが、届いた気がした。
今覚えばそう思ったのは、きっと私だけだったんだろうけど。
ぐさ、と深く心臓を抉られた。
熱い血が、喉の奥から溢れてきた。
目をいっぱいに見開いて、「なんで。」と訴えた。
フィーは、私の傷口から溢れてくる血に手を触れて囁いた。
「――――――」
それは、私には理解できない。きっとフィーが学んだ魔法の呪文だ。禁術だと言っていたから、盗み見てきたのかもしれない。けれども、それを詰まることなくフィーはスラスラと唱える。
痛みを堪える私の手を、逆の手でぎゅっと握って。励ますように、意識を飛ばしそうになる私を必死に繋ぎとめた。
魔方陣が不気味な光を放って、陣に使われたフィーの血が徐々に中央に居る私に集まってくる。私とフィーの真上にそれらは集まってやがて1つの形になる。人のような形に見えるけれど、顔には何も無い。それは私に向かってゆっくり手らしきものを差し出した。
「握って。握るんだ。セル。」
フィーの手が、私の手を持ち上げた。そいつの真っ赤な血の手を握らせようと、上から包み込むようにして重ねた。小さく力を込めれば、頭の中に声が流れ込む。今にも意識は途切れそうなのに、それだけはしっかりと聞こえた。
『長く生きられる体の引き換えに、こいつは自分の寿命の半分を差し出すと。そう申しているが。』
その言葉に、思わず違うと叫びだしそうになった。だって、違う。私はそんなこと望んでない。やはり、気持ちが伝わったなんて思っていたのは私の思い違いだったんだ。
『違う!私はそんなの願ってませんわ!ただフィーやオズ兄様の笑顔が見たかっただけです!どうせ訪れる別れを少し引き伸ばすためだけに、私の大切な人の寿命を削らないでくださいませ!』
頭の中でそう叫べば、そいつはまるで私の考えがそのまま伝わったみたいに頷いた。
『交渉決裂。願いの相違だな。』
そいつの顔に、初めて口が出来た。それはにたりと口を歪ませて私にだけ聞こえるように言った。
『だが、中々興味深い考え方だな。お前の望み、手助けしてやろう。』
体が、がくりと崩れ落ちた。フィーの顔がどんどん焦りに染まり、次第にその腕が私の体を揺すぶり始めた。
「嘘だろ。おい!セル!目を開けてくれ!!」
そう泣き叫ぶのを、私は頭上からぼんやりと見つめていた。
目の前に居た真っ赤な奴は言った。
『お前に、そいつ等の笑顔を見れるだけの体をやろう。しかし、触れることも話しかけることも出来ぬ。使えるのは少しの魔力だけだ。とても不便な体だ。』
何のために。なんて、きっとこんな奴に聞いたって無駄なんだろうな。そもそもこいつがなんなのかは分からないけど、悪魔や魔王なんて物語の中の悪役という悪役が私の頭の中を踊ってた。
『いいわ。元々そんなのなかったんだもの。大切な2人を見守れるなら。それだけでも、私には十分幸せなこと。』
こんなことしたって、交渉決裂した時点でこいつに利点なんてないだろうに。私は今度こそ自分からその手をとった。真っ赤な真っ赤な血の手は、私に誰にも見えない”幽霊”みたいな体をくれた。ほんの少し、生前では感じることの出来なかった魔力を、私は体に感じていた。
『ねぇ、フィー忘れましょう。』
自分が悪かったと、私の体を抱きしめ泣き叫ぶ彼に私は近づいた。けれども、私が伸ばした手は触れることすら出来ずに、そのまま通り抜ける。声だって、きっと聞こえてない。でも、伝えなきゃ。
『私を助けようとしてくれてありがとう。けれどもこれは私の運命だもの。あなたが寿命を犠牲にしてまですることではないわ。だから、忘れて。』
魔法なんてやったことはなかったけれど、私の体を抱きしめるフィーの頭をそっと抱きしめて願った。
どうか、この人の辛い記憶を消して。そんなの、この人にはきっといらない。私を自分で殺してしまったって、もしかしたら死を選んでしまうかもしれないから。忘れて。そんなの全部消してしまって。
そう願えば、今まで散々泣き叫んでいたフィーが声を途切れさせ、ぱたりと音をたてて床に倒れこんだ。ここで魔法を使ったという形跡を消して、フィーの傍に戻る。
嘘みたいだ。少し前までベッドの上だけの生活を送っていたというのに。
自分の手を見つめて、今やったことを振り返って。私は小さく呟いた。
「まるで、魔物のようね。」
死んだ私は、もしかしたら本当にそうなったのかもしれない。
ねぇ、フィー。それでも私は後悔してないよ。死を選んだことも。いずれ来るべき別れだと納得してるから。この世界で数少ない、私の大切な人。どうか、笑って生きて。
私の分も、って押し付けるみたいでちょっと嫌だけど。私が笑うはずだった分も、笑って生きてよ。
そう、静かに願った私の言葉は誰にも聞かれなかった。真っ赤な血のあいつも跡形もなく消え去っていた。
暫くして、オズ兄様たちが建物に駆け込んできた。倒れこんでいるフィーと私を見つけて狂ったように叫んだ。周りが止めるのも聞かずに暴れ回り、そこで初めて魔力の爆発を起こした。
魔力の爆発っていうのは、魔術師として才能のある人間が起こすものだった。大きな感情の起伏によって起こることが多いというそれを、オズ兄様は起こしたのだった。まぁ、フィーは僅か7歳でそれをやったのだけど。
それからオズ兄様はその威力で建物を吹っ飛ばして叫んだ。少し胸が苦しくなった。
けれども、途中でフィーがまだ生きていることに気づきやっと正気に戻ってから、すぐに治療所へフィーを運んだ。
建物に1人私は残ったまま、2人を見送った。
私はもう、違うのだ。認識されないし、触れられない。それが、私の今の存在なのだ。
胸を掠めた寂しさを忘れるようにして、私は今まで見られなかった街を見て回ろうと、ふわりと軽い体を浮かび上がらせた。
私はこうして、”幽霊”になった。




